第32話

「亡くなった・・・」

「今日、井筒屋に行った折に・・・そこで聞きました。井筒屋は、坂本さんと商いで繋がっていたようで、京から坂本さんが亡くなったと知らせがあったんです。おそらく、まだこの事を知っているものは少ないと思います」

「そうか・・・」

「その話を聞いてから清二の様子がおかしくって、井筒屋から姿を消して、屋敷にも帰って来なくて・・・」

「どうして、ここに来ていると思ったんだ」

「主水に訊きました。一つだけ心当たりがあると・・・迎えに行かないと帰って来ないかもしれないって・・・」

「桜井殿か・・・桜井殿からは、何か聞いていないのか」

「何も聞いておりません」

「そうかまぁな、本人が何とも黙っている話を桜井殿や俺がとやかく言えるわけがないんだが、お前が清二郎を大切に思っているのは分かってる。新之助、お前は何も問うな、ただ俺が今から話す昔語りを聞いておけ。そして、聞き終わったら忘れてくれ。そうでないと・・・頼む」

「・・・」

師匠は、湯呑に入れた酒を俺と自分の前に置いて、ゆっくりと話だした。

「あれが、ここに通いだしたのはずっと子供の頃だった。近所に住むとある藩の江戸家老があれの親父で、母親は身体が弱くて幼い頃に亡くなっている、本当に小さな頃からここが奴の遊び場だった。やんちゃ坊主で、おしゃべりで門弟みな奴のことが可愛くてな。とくに、さなに懐いていて・・・

ある日、近所の年長のガキ大将と喧嘩になった。小さいくせに間違いをただそうと頑張ってたが、結局のところ負けたそうだ。その負けた奴に「強くなれ」とはっぱをかけたのが、さなでそこから道場の門弟になった。その時は、忙しい父親が「宜しくお頼み申す」と丁寧に挨拶にやって来た。見るからに誠実で優しそうな方だった。「父上が好きなのか」と聞くと大きな声で「はい」と言って嬉しそうにしておった。剣の筋はよく、努力もおしまぬ。きっと強くなってひとかどの剣客になるのだろうと思っていたよ」

「腑に落ちました。いままでどうして清二が、あんなに強いのか分かりませんでしたが、よくわかりました。でもそれがどうして、私が知ってる清二になるのか・・・」

「それなんだが奴が十四になった頃、親父さんの藩が取り潰しになってな。元々忙しかった親父どのがもっと忙しくなって・・・寂しかったんだろうな。道場に入り浸るようになってな。あまりにひどいので、ある日さなが「今日は家に帰って、親父殿の顔をみてこい」と怒鳴ったんだ。もともと、さなの言う事はよく聞く奴だった。その日、道場をでて、・・・そして清二郎はそれっきり戻って来なかった」

「どうして、なぜ、清二はどこに行ったんですか」

「分からん。後の事は・・・ニ、三日しても戻って来ないのでこれは何かある。皆そう考えたが、新しい家の場所を誰も訊いてはおらなんだ。心配はしてもどうにもならん。そんな時に桜井主水殿が役人と一緒に訪ねてこられた」

「主水が・・・」

「そうだよ。新之助がここに来るずっと前の話だ。まぁ、お前がここの門弟になる事になったのもこんな縁があったからなんだがな。主水殿と清二郎、二人の親父殿が親しい間柄であったようだ。藩が取り潰しになった後も親交があって、主水殿は新しい家の方もご存知だった。清二郎が道場をでて行ったその日の夜にあった事、ここからは主水殿に聞いた話だ。


主水殿の父である桜井守善は、その夜、清二郎の家に出向いて行った。それは、清二郎の父である奥村兵衛と二人で、囲碁をやる約束があった為だ。月に二度、互いの屋敷に出向いては囲碁を打つ。もう長く二人の間にあった約束事で、そもそも友となったのも互いに金策に駆けずり回っていた折に、偶然顔を会わせ何かの拍子に囲碁の話となり意気投合した。旗本の用人と小藩の江戸家老と立場の違いはあるが、互いに信用のおける相手であると見極め尊敬しあっていた。この何か月は、

兵衛の方から多忙にて暫くのあいだ残念だが約束を反故にしていただけないかと言ってきていた。そして久しぶりに守善の元に使いが来て、誠に勝手な事ではございますが、久しぶりに足を運んでいただけないかと言ってきた。やっと片付けが済んだのだろう。碁を打ちながら相談したいことがあるとも書いてあった。労をねぎらって、今夜はゆっくり話を聞こう。守善は、兵衛の藩が取り潰しになってから江戸屋敷で働く者達の仕事の世話や国元の方で新しい藩に奉公出来ぬ者の世話をしていた事を知っていた。兵衛は、付き合いのあった商家や他藩の用人など自分の知人全てに頭を下げて、一人でも多くの者の身の振り方を考えた。守善の所へもやって来て加納の家で、一人でも雇ってもらえないかと頭を下げた。あいにく人を雇う余裕が無いので、丁寧に断ったが、その後もずっと気をもんでいた。それが、やっと知らせをくれた。


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