第26話

翌年の春、竜之介とお玉の祝言が執り行われた。十二と十のお雛様のようだった二人が、まだ幼さが残るとは言え夫婦ぜんとして並んで座っている。新之助は、白無垢姿のお玉が頬を染め幸せそうに笑っているのを見て、どんな浮世絵の美人でも敵わないのだろうな。男と女とは、いろんな関係があるのだろう。存外、悪いものでもない。何より竜之介が幸せならばそれでいいなと思った。


そうして次の年の夏に起こったある騒動を新之助が知ったのは、随分たってからの事だった。話を知ったと言って、どうしようもない誰も悪くはない話、そしてもはや係る気のない話であった。


その日は、とても暑かった。昼をまわった頃、店が並ぶ表通りを一人の行者がぶつぶつと何かを唱えながら走り抜けていく。ある店の前で足を止めると行者は、さっと懐から伊勢神宮の札を次から次へとまき散らし、大声をあげた。

「霊験高い、伊勢は大神宮のお札じゃ。遠慮はいらん。このご時世早いもん勝ちや

それそれ、それそれ・・・ええじゃないか ええじゃないか・・・」

何処から集まったのか面を付け歌舞った者が、そこかしこで踊りだし、太鼓や笛

鳴り物が騒がしく鳴り響く。集まっていた野次馬も加わって店の前は、人でひしめいた。誰もが、浮かれ騒ぐ中で行者が、いきなり店の戸を踏みこわした。ええじゃないかの喧騒に悲鳴が加わる。お店の中には、店の者と客がいた。桜小町と呼ばれた美人の主の妻もいた。

行者の眼にはその妻、お梅の姿しか写していなかった。行者が手を伸ばすとお梅の手がそれを握り返す。店の中に入った者は銭箱を持ちだすと店の外でまき散らす。辺りにいた誰もかれもがその金めがけて大騒ぎとなった。

「ええじゃないか ええじゃないか・・・」

口々に叫びあう声は地響きのようにあたりを揺らした。その中で行者がお梅を抱きしめると男や女が脇を固める。人並みが大きくうねる中に二人の姿がかき消されていった。

その時、雨が降り出した。強く地面を打ち据えるように、熱にうかれた町を人を

お梅を一瞬にして、正気にさせた。行者の懐は幼い頃いつも自分をかばってくれた孝吉のあの温もりを、あの声を思いださせた。居心地の良い場所だけどお梅は両の手に力を込めて行者に抗った。一歩身じろぎその距離が開くと互いに見つめ合う。行者の、孝吉の顔が驚きの表情から悲しみに歪む、お梅は唇を噛みしめて嗚咽を堪えるしかない。

「お梅、これが最後や」

お梅に向けて伸ばされた手、お梅は己が手を胸元で握りしめて目を瞑る。一瞬の沈黙の後、孝吉が上を向いて大きく息をつくと、雨音をかき消すような大声で口上よろしく。

「三度目の正直やって、それであかんのやったらしょうがない。野暮は言わへん。これが最期のこんこんちきや・・・これにて終幕や・・・ほなぁ さいなら」

言い終わるとその姿は雨柱の中に消えて行った。最期まで、昔聞いた江戸言葉はでなかった。自分の知らない上方言葉を話す男だったと言い聞かせても雨の中のお梅に、もはや堪えるすべはない、そのままそこに崩れるように泣くだけだった。

そして正助は、少し離れた店の影からそっと、そんな二人を眺めていた。離れて行く二人に、正助はなぜかあの雪道を互いの肩を抱き合って去って行くそんな幼い二人を重ねていた。


江戸で他にええじゃないかが起こった記録はない


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