第16話

あとに残された新之助と清二はお互い顔を見合わせた。清二は、黙って少し下がると、そこに控えた。新之助は覚悟を決めて兄の顔を見つめた。

「恨みがましい事を沢山言おうと思っておりましたが、東吾さんや伊織さんの話を聞いてやめることに致しました。兄上、お願いでございます。このまま、新之助に見送らせて頂けませんか、ここが別れと言う間際まで・・・」

新之助は、泣かぬつもりであったのに兄の顔がぼやけて見えてしまう。左馬之助は、そんな弟をみて、逆に心を鬼にする。

「それは出来ぬ。私は、もはやお前の兄ではない。父上に書状を書いて出た。廃嫡のうえ縁をきって頂くようにと・・・縁のない他人に、見送られるような情けを受ける理由はない」

左馬之助はそう言うとすっとそのまま歩き出そうとした。新之助は動けないでいる。清二が縋るような形で左馬之助の腕を掴んだ。

「離せ、無礼であろう」

清二は掴んだ腕を放さぬままで、新之助の方を見た。新之助は頷くと、ゆっくりと話始めた。

「兄さま、長い間忘れてた事を色々思い出しました。子供の頃の事を思いだして、優しい兄さまが大好だったと、思い出して・・・よかったと思いました。歳を重ねてこれから先が、まだあるのだから、一緒に酒を飲んだり、幼い頃の話をしたり、悩みや不安を聞いてもらったり兄弟だからこその繋がりがあると・・・」

「諦めてくれ。私は、お前の兄を辞めたのだ。加納の家も捨て・・」

左馬之助が前をみたまま話していると、遠くの方から聞こえた蹄の音がすぐ目の前で止まった。馬上の人が声を発した。

「御一同 ゆっくりで思いの外、早く追いつきました」

その声を聞いて、三人は直ぐに誰かと見当が付いた桜井主水にちがいない。主水は加納家の用人で、加納の家の全てを取り仕切っている。新之助の父は、優しく真面目な男だが、主水は違う。加納の家は桜井で持つと周囲の同輩達が噂していると父はおかしそうに話していた。主水は主おもいで実直で切れ者だ。昨今、武家の内情はどこも似たもので金に困って借金で首が回らぬものだが、加納の家は、新之助の父母が質素に暮らしていることもあるが、主水の手腕でその実かなりの資産家である。主水は、主人夫婦には格別忠義な男であるがその息子達には厳しい。加納の家を護るためにも次の当主となる者が、どれ程の重責を負うのか、その為には全てにできた人となりでなくてはと日ごろから小言を言い続けている。

左馬之助などは、先程までの勢いは何処にか失せてしまうし、新之助はすでに神妙に首を垂れて動かない。清二でさえ、さっと暗がりに隠れてしまった。主水は続けて語りだす。

「此度は殿の名代にて、馬上よりご無礼つかまつる。まずは左馬之助殿、廃嫡のこと罷りならんとの事でござる。加納家、嫡男左馬之助は、病に伏せ向う三年他所にて療養いたす。三年以内に必ず快気いたし、加納の家を継ぐことに間違い無しとの事。お分かり下さいますね」

「それは・・・」

「そう言うことです。それと、清二そこに居るのだろ。こっちに来い」

呼ばわれた清二が暗がりから顔をだす。馬からおりた主水は、清二に馬を預けると

左馬之助の前で膝をついて、懐から切りもちを二つ取り出した。

「左馬之助様、御父上様が金子を用意せよと申されまして、今 可能なかぎり集めて参りました」

「主水、すまん。私には、父上やお前の思いに添う事が、加納の家を護ることが出来そうにない。それは父上に返してくれ、受け取ることは出来ない」

「何を申されます。左馬之助様は、何か勘違いしていらっしゃる。もともと勝先生の所に行くことをお勧めしたのは、殿と私です。その折も全ては左馬之助様の事をひいては加納の家を思ってのことです。殿も私も此度の事を自慢に思っております。これからの加納の家の当主として、必要な事ではございませんか」

左馬之助は、はっとして眼を見開いたまま言葉が出ない。

「ささ、これを早うお受け取り下さい。邪魔になるものではございません。きっと役に立つはずです」

左馬之助は、主水の顔をじっと見つめたまま、その手から切りもち二つ受け取って、捧げ持って頭を下げるとそれを懐に大切そうにしまい込んだ。主水が優しい目でそれを眺めていたが、少し残念そうに顔をしかめて、呟いた。

「もう少し早くに主水にご相談下されば、もっとご用意出来ましたのに・・・」

次に新之助の方に向き直る

「新之助様、殿が左馬之助様を見送って来て欲しいと仰っておりました。私はここで失礼いたしますので宜しくお願い致します」

丁寧に頭を下げると清二から馬の手綱を受け取ると清二に小さい声で

「屋敷でこの顛末説明してもらうからな・・・」

そうして、最後に左馬之助に向き直り

「無事のお帰り、お待ち申しております。では・・・」

そうして、馬上の人となった主水に左馬之助は、膝を付き背筋を伸ばして手をついた。

「父上の名代に父上への言づけを頼みたい。愚かな息子の我儘をお聞き頂き、重ねてのお心遣い有り難き幸せ。この上は、見聞を広め必ず三年の内に帰って参りますので、宜しくお願い致します」

「しかと、承ました」

その言葉をきくと、左馬之助は立ち上がるとにっこり主水に笑いかける。

「主水、ありがとう。少しの間留守にするよ。加納の家をよろしく頼む」

「馬上にてご無礼いたします。僭越ながらお引き受けいたす。何の心配もご無用です。只々、ご無事にお帰り下さいませ」

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