第15話

赤沢は大身旗本の次男坊で加納の家よりも家格が上で、左馬之助と同じく勝の屋敷に出入していた。そのことで、我が身の行く末になにか良い事がないかと思い通っていた。取り立てて目立つことのない男であった。ある日、勝の屋敷に行ったところ偶然、左馬之助と伊織の話を聞いた。詳しくは、わからぬが左馬之助が異国に行くことになったようだ。勝が海臨丸で異国に行き出世をした話は聞いている。きっと左馬之助は勝に取り入り、上手くしたに違いない。何とか取って代わってやる。日にちはわかっている当日締め上げて段取りをきいて、なり替わればいい・・・そうでもせねば、自分が行ける訳がない。もともと左馬之助のことが嫌いであった。自分よりも家格の低い家の出身にもかかわらず自信満々で、誰彼構わず皆に好かれ、きっと自分のことなど気にも掛けていないだろう。赤沢の思いは、この時まで膨らむだけ膨らんでいた。

東吾は、手を合わす男に言った。

「この者がどこの誰とは、詮索いたさぬ。ただこの事をまた遺恨に感じてここにいる者達に無体な事を企めば、その時は・・・容赦いたさぬ」

男は手をついて頭を下げると、赤沢何某を背に負って暗がりのなかに消えていった。

東吾はその者たちがすっかりいなくなったの確認すると、何事もなかったように屋敷に帰ろうとした。その背中に背筋をのばした左馬之助が問いかける。

「東吾は、俺に別れの言葉ばかりではなく礼も言わせんつもりか。・・・助かった心より礼を申す。」

東吾は、背中を向けたまま立ち止まる。せっかく謝罪しょうと決めた気持ちがこの騒動で機を逃した。左馬之助の顔も見たしこのまま去ろうと背を向けたのに、その背に向けて左馬之助が声を掛けてくる。泣き顔なんて見せることなど出来ない。

泣き虫の東吾はもういないのだ。振り向くこともできずに背を向けたまま口を開く。

「勝手なことばかり言いやがる。俺は、納得してねえからな。何で異人の国なんかに行きやがる。国を捨てて、家を捨てて、・・・友を捨てて・・・。まだまだ、文句が言い足りねえ。帰って来いよ。何があっても帰って来い。じゃねえと許してやらねえからな」

伊織が東吾の言葉を聞いて、文句を言いかけ、その声が涙ぐんでいるのに気が付く。左馬之助も気が付いているが、俯いたまま動かない。東吾が諦めたように歩きだした瞬間、左馬之助が口をひらいた。

「帰って来る。何があっても帰ってくる。帰ってくるが、お前も・・・約束しろ。この先、今のご政道がこのままだとは、思えない・・・お前は強い、強いが・・・もし、剣だけではどうしようもない事がおこった時・・・お願いだから無駄に死ぬな。どんな事があっても生き急ぐな。俺に言いたい事を言う前に、絶対死ぬなよ」

東吾の背中が揺れる。

「本当に勝手な奴だよな。お前は、俺に卑怯者になれって言うのか。約束はできねぇよ。だが努力はする。お前に小言を言うまでは死なねえように努力する。

・・・じゃあな、気をつけて行ってこい」

曲がりなりにも別れの言葉が言えた、これでいい。東吾は、真っ直ぐ振り返ることなく暗い道を一人で引き返して行った。東吾の背中を見送って、先程からずっと腰が抜けたように座り込んでいた伊織が立ち上がり、新之助と左馬之助の顔をみて

「新之助君も来ておられるようだし、私もこの辺で失礼いたす。」

「伊織さん、とんだことに巻き込んでしまって申し訳ありませんでした。あなたのお陰で助かりました。ありがとうございます」

「いやいや、私は何も逆に左馬に助けて貰ったようなものです。私は、左馬の悩みを押し切って異国に行くべきだと進めた。その決意にせめて、見送りだけでもと思い参った。だが今、あの方の言葉を聞いて、自分の考えが随分浅はかだったと思いましたよ」

「伊織さん・・・」

「・・・それでも・・・私は、やはり信じている。左馬が、これからこの国にとって必要な者だとそして、この事がきっと役に立つと・・・気を付けて」

伊織はそう言うと何もなかったように笑って頭を下げて、歩いて行った。

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