第14話

左馬之助は今日この時、全てを捨てて屋敷を出て来た。

留学の話を聞いた時、正直舞い上がって嬉しくてしょうがなかった。誰よりも喜んでくれるだろうと思って、東吾に話したら逆に声を荒げて諭された。幕臣の息子と言う立場を忘れるなと・・・

今回の件は、幕府の重臣に公認されているとはいえ公のものではない、外国の商船に内密に乗り込む密航に他ならない。皆が知っていながら知らないふりをする。

このご時世何がおこるか分からない、勝先生さえ今は蟄居中だ。もし何か政変がおこって今の体制が変われば自分は、逆賊の徒となる。考えてみれば直ぐにもわかるような事に気がつかない振りをしていた。東吾に言われて舞い上がっていた気持ちは、一気にしぼんだ。加納の家の事を考えるならきっぱりと断るのが筋だった。

揺らぐ気持ちのなかで、伊織に「私の代わりに行ってくれないか」と相談した。今、考えると失礼な事を言った。「左馬、お前はなぜ自分が選ばれたか考えたか。この国の新しい仕組みを作るのに必要な者の一人が、お前だからだ。俺は、医者だ病んでる人は治せても国の為には何も出来ん。今はお前のような人間が必要なんだ。左馬が行かなきゃ意味がない」伊織に言われて、覚悟は決まった。

東吾に告げたこの話、もはや他言はしまい。ただ父にだけは、自分の思いを知ってもらいたい。軽い気持ちで異国に行くわけではない事、自分を嫡男からはずして欲しい事を書状にしたためて屋敷を出て来た。

廃嫡になる事には、未練はない。寧ろ加納の家を弟に押し付けてしまう事が何より忍びなかった。弟の新之助とは幼い時に遊んだきりで、長い間、同じ屋敷に住みながら歳が離れている事もあって声をかけることも、まして兄らしいことの一つもしてやれなかった。それが昨年、偶然にも勝先生の屋敷の前で会ってから言葉を交わし、成長した新之助を見て、嬉しかった。そして、その成長に立ち会う事が出来なかった事が残念でならなかった。それならこれからは兄弟一緒にこの大変な時代を加納の家を守りながら暮らしていくのもいいかも知れないと思うようになっていた。そこに来て異国に行ける話をもらって嬉しくて、新之助などは、きっと自分の事を尊敬の眼で見てくれるだろう。自分は常に新之助の善き兄でありたいと思っていたんだと改めておもった。その考えが、東吾に言われて自分勝手なもので、加納の家に迷惑をかけるもの、新之助にも・・・新之助とは距離をとろう。何か起こったとして巻き込んではいけない。ここしばらく一緒にいたが、また以前のように戻るだけだ。そう思いながら又、新之助を遠ざけるのは、なかなか厳しいものであったと思いだす。


今はもう、その事を考えるのを止めよう、ただ近江屋と約束した場所に行くことだけを考えよう。屋敷をでて一刻ほど過ぎた頃、自分の行く手に五、六人の人影が現れた。

「こんな夜中にどこにお出掛けかね」

「一人で歩いているとあぶねいよ」

「本当にこれぐらい暗いと女にもみえるねぇ」

男達は、手にそれぞれ得物を持って周りを取り囲もうとしている。こっちは丸腰だし、どうしたものか・・・丸腰だが背に負う荷物のなかには、井筒屋が餞別でくれた単発銃が入っている。隙を見て一旦逃げて・・・その時

「うおおお・・・」

暗闇からもう一つ影が動いた。

「貴様らなにをしてる」

「・・・その声は、伊織さんか」

「おお、左馬か。なんだこりゃ。知り合いか」

「そんなわけないでしょうが。あんた、だれ彼わからずに飛び込んできたんですか。ほんとにもう・・・」

「そう言うな、何とかなる」

「なんだぁ、おう どうする」

男達も突然の飛び入りに驚いているようだった。その中で一人だけ頭巾をかぶって顔を隠している者がいて、そちらの方に指示をあおぐかたちでいる。

「どちらも・・・」

「はあぁ、二人ともだなぁ。いいけど、金はもう少しだしてもらうぜ」

男達はゆっくりと二人の周りを囲みだした。まわりを囲まれて、背中合わせの状態に追い込まれた。その時、月明かりのした三人の男が、懸命に走って来るのが見えた。それと同時に聞きなれた東吾の声が響く。

「てめぇらの相手は、こっちだ。江戸十傑の一人、堀江東吾だ。覚悟してかかってこい」

普段は、嫌って決して言う事もない江戸十傑の通り名を大声で呼ばわった。その名は効果てきめんで相手の男達を一気に怯ますことが出来た。

「こんな奴とやるってきいてねぇよ」

「止めた止めた」

「これっきりだ。まぁ、前金だけで許してやるよ」

男達がざわざわとして、三々五々闇の中に消えて行った。

最後に残ったのは頭巾で顔を隠した男が一人。面白げに黙ったまま様子を見ていた男だったが、その余裕はもはやない。

「待て、お前ら約束が・・・」

その男の前に東吾が、刀の柄に手を掛けながらずいと出て頭巾をはぎ取った。男は腰が抜けたのか手を着いてそこから逃げようとしている。それを見ながら伊織が大きな声をあげた。

「赤沢さん、赤沢さんですね。何で、何でこんな所に・・・」

「違う、俺はその様な者ではない」

男は地面に張り付いたまま、大声で応えた。何処から出て来たのか身なりの整った男が赤沢と呼ばれた男の側に寄り、東吾を拝む形になり、それを見た東吾の身体から先程までの殺気が無散した。

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