第13話

伊織から話を聞いてひと月がたった。暮も正月も例年通りに何事もなく過ごし、あの話が本当の事だったのかと疑ってみるが、教えてもらったその時は確実に近づいていた。

小正月が終わって一月十七日の夜、左馬之助が屋敷をでて行く日。新之助は、自室に一旦戻ってからこっそり裏門近くの植え込みに隠れて、夜を過ごすことにした。伊織の話は全部作り話で、朝が来たら清二とふたりでとんだ冗談を真に受けたと大笑いしてやると思っていた。それでも夜遅く黒い影が裏門から出て行く。それを見て、新之助も少し間をおいて裏門をでた。兄の跡をつけようと通りに出ようとした瞬間、いきなり暗がりに引きずりこまれて、驚いて声を出そうとすると口を塞がれた。そこにいたのは清二だった。清二に目配せされて先を見ると東吾が兄の後を追っている。

「俺に気付いたかな」

「大丈夫ですよ。東吾さまだって、こんな事には慣れてねぇ」

「俺達も後を追いましょう」

「わかった。それで・・・東吾さんと話がしたい」

後ろから見ていて、東吾は明らかに左馬之助のあとを追っているのが見て取れる。もう迷う事はない。東吾が兄に危害を加えようとしているなら何とかして止めないと、話して聞いてもらえない時は・・・腕では勝てない。その時は、大きな声で騒いで兄を逃がそう。命までは取られまい、腕や足の一本位くれてやってもいいそう思って、新之助は東吾を追った。覚悟が決まれば少しでも早く東吾を止めよう、遅くなって、兄に危害を加えられてはいけない。

「追いついて、前にまわって声をかけ東吾さんを止める」

「へい、急ぎやしょう」


東吾は、後ろから近づいてくる足音に気がついていた。忙しなくなる足音に殺気はないにしろこの夜半に自分に近づく足音に油断なく気をまわしていた。江戸十傑などと呼ばれるようになってから所構わずに刀を抜いて勝負を挑まれるようになった。強い相手と対峙する時の血の沸き立つような興奮は大好きだが、かかって来る者達がみな東吾の相手になるような者達とは限らなかった。ままならない自分の不満をただ他人にぶつけたいだけの者や自分の力量も分からずに名を上げることの為にかかって来る者、はっきり言って迷惑でしかなかった。自分で望んで得た称号でもない江戸十傑は、ことのほか面倒だった。が、ただ一つ友である左馬之助が自分の事のように喜んでくれた事だけが何よりだった。その友が自分の知らないうちに、異国に行くと言い出した。それは決まった事だと、一番にお前に打ち明けたと左馬之助は言った。突然の事に驚いた。

左馬之助は幼い頃からの友達で、自分と違って優しく聡明な東吾の自慢だった。旗本の図体だけでかい三男坊。初めてあったあの時、口下手で泣き虫な東吾は、兄たちにからかわれて庭の隅で泣いていた。その時、隣の庭から迷い込んだのが左馬之助だった。慰められて、はじめて友になってくれた。同い歳のくせに大人びた口調で東吾に言ったのは「東吾は剣術を習えばいい。きっと強くなる。強くなって立派な人になるんだ」って・・・

東吾自身、努力もし頑張って強くなった。おかげで自信が持てるようになり性格も変った。全てが左馬之助のおかげだと思い、どんな時でも側にいて左馬之助の為になろうと決めていた。その相手が異国に行ってしまう。行ってしまっては何も出来ない。俺は又ただの役立たずになる。驚いて腹が立って思わず左馬之助に酷い事を言ってしまった。本来なら誰よりも喜んでやらねばならない自分であったはずなのに、それだけではなく意地をはって、謝る事もせずに左馬之助に会う事もためらっていた。出立の日にちは聞いていた、そしてとうとうその日になってしまった。

猛烈に後悔した。ここにきて後悔しても遅いかもしれないが、せめて最後に顔を見て「行ってこい」とちゃんと見送ってやりたいと心の底から思っていた。

そんな思いで足を速めていると、後ろから飛び出した二つの影が行く手を遮った。

「今は、相手をしている暇はない。退かぬと切る」

東吾が刀の柄に手をかけた途端、辺りに広がる殺気に清二は新之助を庇うように身構える。

「東吾さん、待って下さい。新之助です。どうか、黙ってここはお引き願えないでしょうか。兄が、東吾さんに何をしたかは知りませんが、どうか・・・」

東吾は、聞き覚えのある声に驚いた。目がなれるとその顔にも見覚えがある。

「新之助か・・・」

東吾が柄にかけた手を引くのをみて、清二と新之助がほっとする。

「どうして こんな所に・・・」

「そんな事より、兄を許して下さい」

「何を言っているのだ、許しをこいたいのは俺の方だ」

「えっ、兄と喧嘩をされた話を聞きました。東吾さんを怒らせたのは、兄のほうでしょ」

「いや、俺が勝手に怒ったんだ。左馬之助は、悪くない・・・」

新之助と東吾が話していると先の方で大きな声がした。瞬間、三人は走り出した。

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