第12話

井筒屋佐平は、幕府が下田を開港した頃から燃料食料の供給を表向きに異国との取引を密かに初めていた。店の奥には異国の水夫達もいてその者達との会話の為に店の者に英語を習わせていた。奨元の父道元が井筒屋の先代のかかりつけ医であったおかげで、奨元は蘭方医になる時、井筒屋の援助をえた。そして今また井筒屋は開国と共に入ってきた新しい医学を習う事を奨元に勧めて援助を申し出て来た。そこには、新しい医学で人助けをしようとする狭義もあるが、身体の弱い一人息子の良吉のことを思っての事でもあった。奨元はその申し出に応じた。但しそれは、弟子の伊織にしてやって欲しいと頭を下げた。良吉の往診に供をして来ていた伊織の事を以前から見ていた佐平は、それを快諾した。伊織は奨元の往診に付き合っては、その折に、多少英語を話せる通詞から英語を教えてもらっていた。

そして、そんな伊織が、左馬之助の人柄を知るにつけ彼こそ英語を学びこの国の為に新しい学問を学ばねばならない人物だと思うようになっていった。どうすれば彼に英語を学ばせることが出来るかを考えている時、佐平が良吉の話相手を探している話を聞いて、左馬之助を紹介した。幕臣の子と言うことで二の足を踏んでいた佐平も左馬之助の人柄の良さに惹かれ、そして何と言っても良吉が左馬之助に懐いた事もあって左馬之助は、井筒屋に出入りしだした。

「兄は、その良吉さん相手になにをしているんですか」

「良吉はね、今年 十歳の子供だよ。左馬之助君は良吉に算術や読み書きや、勝さんの話やそう、新之助君の話もしていたよ。左馬之助君は良吉の師であり、兄であり、遊び相手だと思うよ」

「それで、お金を貰っていたのですか」

「いや、その代わりに英語を習ってたんだよ」

「え 英語・・・ですか」

「そう、新之助君も知っての通り、浦賀に黒船が来てからこの国の状況は大きく変わって、思っているより多くの異人が来ています。彼らが話す言葉が英語です。言葉が分からなければ、喧嘩をするにも仲良くするにも出来ないでしょう」

「はぁ」

「井筒屋の店の奥には、大勢の異人の水夫達がいます。もちろん大きな声では言えませんが・・・今、左馬之助君は彼らと通詞を置かずに話をする事が出来ます。おそらく私よりも得意だと思いますよ」

「・・・」

その時小屋の外から声が掛かった。

「伊織、話はおわったか。婆さんが、伊織がいるなら晩飯を一緒に食いたいと言うて、きかん。友達がいるなら一緒に来てもらえと言うとる。どうじゃ」

奨元の声が遠慮なく響く。伊織は、少し嬉しそうに笑って、小屋の外の奨元に応えている。

「すいません。まだ終わりそうにありませんが、終わったら新之助君を連れて母屋の方に顔をだします」

「おお、わかった」

伊織は、言い終わると新之助に改めて

「もう少し、話をきいて下さい。ここからが本題になります」

「本題ですか。十分に驚いているのですが・・・」

「本当の事を言うと、今までの話は、新之助君は知っているのではと思っていたのですが・・・ご存知ないとわかりました。左馬之助君が話していない事を話す事に若干後ろめたい気もしますが、自分の正義に従って話をしました。これから話すことも私は、間違いだとは思はない。新之助君はきっとわかってくれると信じています」


井筒屋での左馬之助の英語の上達は驚くほどのものであった。一年ほどすると店の者達が左馬之助の事を頼りにしだした。商売相手からくる英語で書かれた書状や約定などを左馬之助に確認してもらって取引しだし、異国の水夫たちや通詞たちも店の者たちとの細かい確認ごとを左馬之助をはさんでするようになった。そうなった頃に佐平は、勝つに飲みに誘われる。もともと若い頃からの知り合いで、身分も仕事も関係なく暇をみては飲んで愚痴を言い合う仲であった。

「左馬を異国に行かせたい。力を貸しては、くれないかい」

「なんだいお上の力でどうにかしてやんな。左馬はなかなか大した奴だぜ」

「わかっている。俺に力がありゃな、頼みやしない。近々飛ばされる。今なら何とか金は出せないが、周りを抑えてごまかせすことは出来る」

佐平は、暫く黙っていたが

「・・・年が明けたらアメリカさんの船が来る。それでいいなら都合がつくぜ」

「決まりだな」

勝は、わかっていたと言うように笑った。こうして、左馬之助のアメリカ行きが決まった。


大切な話をすると伊織は言った。詳しい成り行きはわからないがと前置きして

「勝さんと井筒屋の後押しで左馬之助君は、明けて一月十七日にアメリカ行きの船に乗ります」

「えっ あめりか。兄が・・・」

「話しをもらって、迷っていたようだった。相談されて何があっても行けと勧めた。私の言葉が決め手になったかどうかは分からないが・・・少なからず負うものがあると思っています」

「あなたのせいで、兄が異国に行くのですか」

「いや、そうではないです。左馬之助君は、国の為に行くのです」

「公方様の為ではないのですか。国の為に・・・兄を止める事って出来ますか」

「どうだろうか。もしかすると新之助君には出来るかもしれません。が、してもらいたくないし、してもらっては困る。そう思っています」

「それでも、私に教えてくれるのですか。私にどうしろと言うのです」

「知って、黙って送ってやって欲しいのです」

「・・・・」

「これは、一か八かの大勝負です。船に乗るのも危ういものです。遠い異国に必ず着けるかるかどうかもわからない。行ったところで何があるか。それを過ごして、帰って来る。帰ったところで罪人となるかも知れん。それでも行って欲しいと思うのです。それを承知で行くと言うなら・・・近しい人に送ってやって欲しいのです」

そう言って伊織は、手をつき頭を下げた。

「伊織さんは、酷い方ですね。俺には兄を止める力も、父母に打ち明ける勇気も、兄に嫌われる覚悟もない。それを全部、わかってて、見送れと言うのですか」

「新之助君の言う通り私は酷いやつです。でも、新之助君なら大丈夫だと信じてます。左馬之助君に行って来いと送り出してやって下さい。これが、私が知っている全てで、私の願いです」

「・・・伊織さんの思いに応えられるかどうかは、わかりませんが・・・教えて下さって、ありがとうございました」

新之助は、手をついて頭を下げた。

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