第11話

それから数日して、新之助は稽古を休んだ。こっそり屋敷をでて、左馬之助の後をつけることにしたのだ。左馬之助は、勝先生の所に行くときは必ず供をさせてくれたのに最近は声も掛けてくれない「なぜ、お供させてくれないのです」と聞いてみると、勝先生は、蟄居中のご身分なので、そう何度も行ってはいけないと言われた。そのくせ気を付けて見ていると、出歩くよりも屋敷で書物を読むことが好きな兄が頻繁に外出している。そんな事からも、兄が何か危ない事に巻き込まれているのではと不安が募る。思いつくとじっとしている事の出来ない性格だ。兄の後をつけてでも、真実を確かめずにはいられなかった。案の定、兄は裏門からこそこそと出て行く。新之助は、清二の所で着物を着換え笠を深く被って兄の跡を追う。何時もの勝先生の屋敷への道順ではないのは明らかで、商家が並ぶ道を兄は、迷いなく歩いていく。そのうち足を止めたのは、辺りの建物の中でも一番大きな商家、井筒屋だった。

井筒屋は、江戸一番の豪商で江戸で暮らす者で近江屋の事を知らぬ者はいないと言われるほどのものだった。新之助もその建物の大きさと、店全体から立ち昇る活気の前で立ちすくんでしまった。兄が店の中に入って行ったその時、入れ替わるように店の者に丁寧に見送られて出て来る二人に目がいった。

「石川様」

思わず声をかけると、その人は優しい笑みでこちらを見ると、すたすた進む連れの男に声を掛けた。

「奨元先生、お待ち下さい」

先を進む小柄な中年男は、この寒さのなか作務衣に頭に手拭いを巻いてどこかの下男のような風体だった。

「どうした、伊織の友人か。それにしても若そうだな」

「そうです。私の友人で、なんと左馬之助君の弟なんです」

「そうかぁ、左馬之助の弟か。そうかぁ、そうかぁ。伊織、用があるなら・・・今日の往診はもうこれで最後だし、このまま帰ってもいいぞ」

「いや、有難いですが、薬籠もありますし、家では静がうるさいので薬園を使わせてもらっても宜しいですか」

「別に構わんが、お世辞にも綺麗な場所じゃねいぞ。いいのかい」

「我が家よりはましですので」

「はは・・・違いねぇ」

言い残すとさっさと歩きだした。新之助は自分が口を挿むこともないままその薬園なる所に行くことが決まったのだと悟ると足早に伊織の横に並んで歩いた。先日、初めて会った兄の友人は、今日はもう自分の事を名で呼び友だと言う。変わった人もいるものだと思っていると小さな声で伊織が囁いた。

「すまぬなぁ。うちの先生はだいぶ変わった人でな・・・」

町中を抜けるとすぐに大きな百姓屋にたどり着いた入口には「本道医井坂道元」と書かれた看板が出ていた。

「新之助君、荷物を置いて来るのでここで待っていてもらえるかな」

「伊織、母屋で話したらどうだ。薬園は寒いぞ」

「いや、あそこの方が気楽でいいです」

伊織は大きな声で話ながら母屋の奥へと入って行った。しばらくすると言った通りすぐに戻ってきて、新之助を母屋の裏の小さな小屋に案内した。

「確かにここは、少し寒いんだが母屋にいると色々うるさい人が多いんでな」

相変わらずにこにこ笑って、囲炉裏に火を入れている。小屋の中は、粗末な作りだが清潔に保たれているし居心地の悪い場所では無かった。

「なぜ、ここが薬園なんですか」

「ああ、今 この時期はよく分からんかも知れんが、この小屋の裏で薬に用いる薬草を育てているんだ。植わっている樹木も全てがその種のもので、春になるとこの辺りが緑に覆われる・・・また、その頃に来ればいい。私は、この時期も好きなんだがな」

「石川様は、お医者様なんですよね。兄とは・・・」

「石川様は、止めてくれ。伊織でいいよ」

「では、伊織さん。兄の事で何かお聞かせ頂ける話があるならお願い致します」

「ああ、そうだ。それでここに来てもらったんだ。そんなに固くならんでいいよ、ではまず、どうして私が左馬之助君と知り合ったかそこから聞いて貰おうか」

「はい、お願い致します」

伊織は、ゆっくりと話し始めた。

「私の師は、蘭方医の井坂奨元。先ほど私と一緒にいた風変わりな人です。ここはその奨元先生の御父上の本道医の井坂道元先生のお屋敷。もともとは奨元先生と勝さんが友人でね。私もお供でよくあちらのお屋敷にお邪魔していて、連れられて行くうちに左馬之助君を紹介して頂きました。歳も近く、人柄もいい左馬之助君とはすぐに仲良くなりましたよ・・・」

伊織は、当時を懐かしむように話つづけた。

伊織と左馬之助は、医師と旗本の子弟と身分も暮らしむきも違ったが互いに向学心が強くお互いの知識を話すうちに尊敬しあう仲になっていた。その話の中で異国の話が出て来た。医師である伊織は新しい医術を学ぶ為に今までのオランダ語ではない英語の必要性を左馬之助に話した。そして勝の渡米の話も聞いていた為、左馬之助の中で語学の習得への興味が募っていった。

「左馬之助君の向学心を知って、奨元先生に相談して井筒屋を紹介する事にしたんです」

「井筒屋は、先程のあの店ですよね。兄はいったいあの店で何をしているんですか」

「左馬之助君は、井筒屋で働いています」

「加納家の嫡男が商家で働く・・・そんな事」

「そんな事はないと思うでしょ。だが、左馬之助君は、ある目的の為に井筒屋で働いているんです」

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