第9話 左馬之助の秘密

十二月になって気忙しい江戸の町。

年の内の稽古もあと数日となった頃、家の仕事が忙しいと言ってご無沙汰だった

清二が出がけに声を掛けて来た。

「新之助さん、少しよろしいですかい」

「おう、ご無沙汰。いいよ。今夜かい」

「いや、ちょっと急ぎの話なんで・・・稽古帰りにでも、新之助さんが気に掛けていらっしる事と関係があるんじゃないかと思いましてね」

「・・・ああ、わかった」

俺が気に病んでた話って・・・

この春から秋ごろにかけて、錦ちゃんの一件で色々と変わった事がある。

錦ちゃんが俺の後を追わなくなったこと、きちんと稽古に行きだしたこと、清二と色々なことを話すようになったこと、それと兄上とのこと。

歳が離れていたこともあって子供の頃から兄と一緒に何かをした事も、まして遊んでもらったこともほとんどなかった。成長するにつれますます距離が離れていったような気がする。それが錦ちゃんの件があって偶然に勝先生の屋敷の前で出会ってから兄が、声を掛けてくれるようになった。最初は驚いたが、正直なところ嬉しかった。そこから勝先生の所に連れていってもらって、おかげで今は勝先生に可愛がってもらっている。なにより、今まで人に聞きたくても聞けなかった事を兄は、丁寧に教えてくれた。「物を知らないと事の本質は、わからない。わからないものは判断できないだろう」兄は優しくそう言った。

攘夷派でも勤王でも己の信じる所にいけば言い、だが父や母を泣かすような事はするなよとも言ってくれた。

やっぱり聡明で優しい自慢の兄であった事を思いだした。

そんな風にこれからは仲良く、やっていけると思っていた矢先に兄が自分を避けていることに気が付いた。知らなければ、何も思いはしなかったのに・・・大好きな兄であったことを思いだしてしまった今は、それが何とも切ない。


「加納新之助殿」

道場を出てしばらく歩いていると、町中で大きな声で呼び止められた。相手は優し気な顔でにこにここちらを見ている。大柄だが細身の体躯で、清潔だが古びた着衣に大きな風呂敷包みを持っている。何処かで会ったことがあったのかと考えるが思いだせそうにないので、失礼を承知で名を問うことにした。

「申し訳ございませんが、どちら様でいらっしゃいますか」

相手は、一瞬驚いて納得したように一人で頷いている。

「ああ、申し訳ないのは、こちらの方です。左馬之助君からいつも話を聞いていたのと先日、勝先生のところで顔を見たのですっかり知り合いの気分でした。拙者は、石川伊織と申します。以後、よろしくお願いします・・・」

「あっ、はい。兄のご友人でしたか。失礼いたしました。こちらこそよろしくお願い致します」

何か話したい事でもあるのかと次の言葉を待つのだが、何も言ってこないので声を掛けようとした時

「兄上、はやくして下さい」

少し先から声がした。利発そうな女の子が風呂敷包みを抱えてこちらを見ていた。

「静、すまん。すぐに行く。申し訳ない、こちらから声を掛けたのに・・・

新之助殿と話がしたいのだが・・・そうだ明日 勝先生の所で時間を下され。それとこの事は左馬之助君には内緒で、では」

「ではって・・・お待ち下さい」

石川伊織は言うだけ言っていそいそと女の子と行ってしまった。あっけにとられていると、隣で聞きなれた声がする。

「あのお方は、どちらの・・・」

「えって、清二か 驚かすなよ」

「へえ、お迎えに参りました」

「ああ、ありがとうよ」

「左馬之助様のことで気になる話を聞きましてね。取り敢えずはそのご報告を」

「そこの茶店でも大丈夫かい」

「そうですね。参りましょうか」

茶店に着くと、清二は徐に話し出した。

清二の古くからの知り合いで、遊び人の直助と言う男がいる。半端な男だが地場の岡っ引きの下働きのような仕事をして何だかんだと色んなところに顔をだし、色んな話を集めては小金にかえている。そんな男が清二の所にやってきて、一杯奢れと言ってきた。そこそこ飲まして話をきくと「清二さん所の若様、気を付けた方がいいぜ」と言いだした。

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