第8話
錦ちゃんは、その日のうちに師匠に連れられてお店に帰って行った。
あの婆さんは、きっとがっかりして落ち込んでしまうのかと心配してたけど、そんな事は無かった。今までの事が嘘みたいに錦ちゃんに商売を教えている、少しでも店を大きくするってはりきっているそうだ。錦ちゃんと俺は相変わらず友達だけど、今までみたいに錦ちゃんが俺のあとについて歩く事はなくなった。少し寂しいけど、たまに顔をみられるし話もするし、まあ仕方ない事だと思う。それとあの時、坂本さんと話していたのは、長州藩に知り合いがいるんじゃないかと思って話をきいたそうだ。今となると、どうしてあんなに腹がたったのだろうな。俺は、あれから稽古に励んでいる。最近は、稽古だけじゃなく兄上について行って、勝先生の話も聞いている。毎日、忙しくて充実してるのだが、ただ気になる事が一つある。清二が今までみたいに接してくれなくなった。どこかよそよそしくて、何だか避けられてる気がする。一緒にあんな事したのが、嘘みたいだ。あの時のわくわく感がなんだか恋しい。
八月のある日、道場の帰りに久しぶりに清二に声をかけられた。
「新之助様、今晩ちょっと付き合って頂けますか」
「おお、いいよ。で、何処にいくんだ」
「まあ、まあ、それは後ほど」
夜になって、裏門で清二と待ち合わせて夜の道を歩く。錦之助を助けたあの夜いらいの事だった。季節もゆっくりと移り変わり虫の音が耳に届く。新之助は、歩く途中であの時の道だと気が付き、又あの賭場に行くのかと思った。
「何処に、行くかわかった。俺もまた行ってみたかったんだ」
「ああ、そうですかい」
また、黙って二人で歩くと、新之助が思っていた屋敷の前に到着した。中に入るのだと足を止めても清二はそこを通り過ぎた。隣の屋敷だと新之助が訝しくついていって驚いた。
「清二、ここって・・・」
言葉が出ない、清二もなにも言わない。錦之助が働いていたあの大きなお屋敷は、そこだけがぽっかりあいた暗い虚ろになっていた。
「何もありませんぜ。草一本生えてない」
「なんで」
「負けたんですよ。長州さんがね。それでもこのまま、負け続けるかどうかは、わからない。俺にとっちゃそんな事はどっちでもいいんですよ、徳川さんでも京都のお偉い方でもね。ただね、ちゃんとお天道様がまわってりゃあ、それでいい。誰が死のうが・・・俺が死んでもかまわねぇってね」
「清二、それって」
「そんな事は、お武家の中でやってくれって話ですよ。そう言って、錦之助さんの事とか最近ちょとあなたに構い過ぎた。ここらで、ちゃんと弁えようって思い直してやした・・・ 」
「だからだ。最近、顔みないって思ってた」
「あっ、気付いてもらてたんすね。で、ここからはお願いです」
「いやだ。俺は、前みたいに清二と話がしたい」
「いや、ちょっと待つてください。まずは、話を聞いてやってくださいませんか。それで・・・これは昨日の話です。俺も遊びに来たんです。隣の賭場に、それでこれを見ちまった。ぽっかりあいたこの場所に立ってね。何が何だかわからねいが、怖くてね。ほんと怖くて、足が震えましたよ。でね、何が怖いか考えたんです・・巻き込まれないで良かったって・・・あの時、新之助様が、死んじまってたらってね・・・心底思いました。俺は先なんて、ないような人間だが、新之助様は違う。新之助様はね、この先に行く人だ。でね、新之助様の側だと・・・俺にも見えない先が見える気がする。それでね、お願いだ。お側に置いてくれませんか」
「・・・」
「あっ、失礼なこと・・申し訳ございません。」
「ううん、ありがとう。清二・・俺、錦ちゃんには申し訳ないんだけどこないだの事、大変だったし怖かったけど、なぜだか楽しかったんだ。心のどこかで、又あんな事ないかなって思ってる。でも、あの時の俺は役立たずで、又あんな事があるなら・・・俺は、師匠や清二みたいな頼りになる男になりたい。分からない事は山ほどあるし、どうすりゃいいかもよく分からない。でもな、俺はそんな男になりたい。もう、拗ねて何もしないのは勘弁だよ。だからこっちからお願いするよ、俺の力になっておくれよ。清二、いや 清二さん」
「へへ・・くすぐってえ、やめてください。清二さんは、勘弁だ。そうだな
せめて清さんにしてください。これからは嫌でも俺は、あんたの側にいますよ」
「ああ、頼むよ。それとこれからは俺のことは、新さんにしておくれ」
「えっ・・・」
その後は、何だかおかしくって、二人で笑いあった。
暗闇の中だ。清二が言ったように徳川様の世の中も加納の家も俺の先行きもまだまだ見えない。でも、この辺で腹を括ってやるしかないよなって覚悟を決めた。あとはなるように、なれだよな。
その時ふと俺は、文机の上に置いた赤い珊瑚玉の簪の事を思い出した。うーん、あれは一体何だったんだろう。・・・そこはなかなか、なるようになれとは行かないのかな・・・
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