第6話
賭場の開かれる屋敷に連れて行かれる前に、清二から言われたこと。
変装して見た目をかえ、言葉にも気をつけるようにとか、もちろん錦ちゃんを連れ出す抜け道の位置を詳しく聞いた。最後にこれだけは、守ってくれって言われたのは錦ちゃんに話しかけるなって事だった。
「なんでだよ。生垣越しでもいいから話しかけてもいいじゃないか。清二は、話したくせに・・・」って文句を言ったが、「そんなんだから駄目だって、言うんですよ」って言われた。「顔をみれば、気持ちが動くきっと今すぐ助けてやろうと思う、それじゃあ事はしくじるし、錦之助さんも新之助様の声を顔を見たら気持ちの糸が切れっちまう」ってことをくどいほど言われた。最初は、そんな事って思ったけど何度も言われて「わかった」って返事をした。屋敷をでる前にも念押しされて、少しむかついたけど黙って頷いた。
事が終わって、清二の言ったことが何となくわかった気がした。清二の奴きっと、だからガキは嫌なんだって思ってやがったんだろうって気がした。その後も清二は、賭場と顔を繋いで、俺も二度ほど付いて行った。その時は、申し訳ないけど好奇心があって興奮した。
それからいよいよ錦ちゃんを連れ戻すって、道場の方にもその日を伝えておいてくれと清二に言われたので師匠に話した。
決行日は、元治元年七月十九日。
二人して、いつものくぐり戸を抜けると、見慣れた男が迎えてくれた。
「よっ 清二さん、今日は坊やもか」
「こんばんは、今日もよろしくお願いいたしやす。それと、こちらを」
背負子をいつものようにくぐり戸の近くに置くと、徳利を取り出して男のに前に持って行く、男も慣れたもので、新之助の方をみて
「今日もよろしくな」
と言いおいて、清二と一緒に屋内に消えて行った。新之助は、一呼吸おいてから生垣の方へ向かうと、そこから隣の様子を伺った。そして井戸端の側で、働く錦之助を見つけた。
「錦ちゃん、錦ちゃん」
あまり大きな声は、出せない。抑えた声が錦之助に届いたのか、ゆっくり振り向きこちらにかけてくる。二人で頷きあって、足早にそれでも静かに生垣を挟んで、抜け穴のある所まで移動する。錦之助は、清二からその場所を聞いていた。何時その時かは解らないそれでもちゃんと確認して、何度も頭の中に入れておいた。新之助の呼ぶ声を聞いて、今日がその日と確信すると、静かにちゃんと動きだした。生垣を挟んで、飛ぶように進む。目当ての所に到着すると、小さな抜け穴から新之助の手が錦之助を招くように突き出された。
その時、錦之助を呼ぶ声が暗がりに聞こえた。新之助は錦之助の手を強く握り自分の元に引き寄せた。「何処で、さぼってやがる」罵る声はするけれど、追われていることはなさそうだった。黙って抱き合ってからは、早足で一目散に動いた。そして錦之助は新之助の指し示す背負子の中に身を隠した。一度、新之助も背負子の中に入って試してある。自分よりも小柄で昔よりもやつれた錦之助は、難なく背負子のなかに収まっている。襤褸切れを頭から被せて、小声で囁く。
「錦ちゃん、辛いけどしばらく動かないでおくれ。声も我慢な」
背負子の側で、座り込んで周囲に気を配った。
一刻ほどして清二の声がした。
「いやあ、今日も楽しく遊ばせて貰いましたよ。」
「いやいや、こっちもいいもん頂いて、いつも悪いね。で、今日はもう帰っちまうのかい」
「こいつが、今日はなんかこれのいる所にも行きてえみたいでね」
清二は、小指をたってて笑って、何気に背負子を背負っていた。
「へー、まあ兄貴分も大変だな。色々、教えてやりな。おっ、何なら俺が教えてやろうか」
男は、新之助の方をみて笑った。大袈裟に首をふると、男と清二が笑っていた。いつもと同じにくぐり戸を開けて清二が先に外に出て、それに付いて出ようとすると男に腕を捕まえられた。
「えっ」
振り向くと、男が懐から半紙にくるんだ物をだして、新之助に押し付けた。
「昼間にな、菓子なんぞ貰ったんだ。こんな顔の男が食うもんじゃねい。食ってくんな」
「ありがとう・・・ごぜいやす」
たどたどしく礼を言って、それをありがたく懐に収めた。もう一度頭を下げて、くぐり戸をくぐると、後ろで「また、来いよ」と声がした。
外に出ると懐に手を忍ばせていた清二が、息をはいた。後は二人、静かに並んで歩く。大きな屋敷沿いに人影はない、後ろから追われていることもなさそうだと思っていると屋敷の塀沿いの暗がりから影が一つすっと動いた。「あっ」と叫びそうになった新之助の口を清二の手が塞ぐ。
「遅かったじゃあないですかい」
「そっちこそ、待ちくたびれたわ」
「師匠」
声をころして、呼びかけるとほっかむりをした師匠がニコニコ笑っていた。
「ここからは、旦那が背負ってくだせい」
そう言って、清二は背負子を降ろすと優しく中の錦之助に話しかけた。
「もう大丈夫ですが、あと少しこのまま我慢してくだせい」
「よし、じゃあおれが背負うぞ」
師匠がゆうゆうと背負子を背負った。
「清二、・・・お前ここで帰るか」
「・・・いや、道場までついて行く。新之助さんも落ち着かねぇだろうし」
「そうだなぁ。じゃあ、行くか」
師匠と会ってからは、さっきまでの緊張感が少し薄まった。俺は、黙って付いて歩いていたけど、清二と師匠は二人で気の抜けた会話をしている。それとなく聞いていると、「お前はガキの時から」とか「また、親父さんに叱られろ」とか子供の口喧嘩のようで、この二人は昔からの知り合いなのかなと思った。でも、そんな事より俺には背負子の中から時おり聞こえてくる嗚咽の方が気になった。
道場に到着し、背負子の中から出て来た錦之助を見て、新之助は驚いた。さっき生垣を抜けた時、手を引き抱きしめた時に痩せたと感じた身体は、あっちこっち痣だらけで着ている着物もボロボロだった。そんななりで錦之助は、三人の前に畏まって座ると深く頭を下げた。
「助けて頂いてありがたく存じ上げます」
俯いた顔を上げることなく、そこがぽたぽたと涙の跡をつけていく。新之助も頭を下げて手の甲で顔を拭っている。
「よかったな。よい友達をもって」
師匠の明るい声が、響いた。清二は静かに笑っている。
「錦之助さん、そのままで聞いてくだせい。本当は、直ぐにでもお店の方に戻ってもらっても大丈夫だと思うんですが、念には念を入れて暫くこちらでお世話になって下さい」
「えっ、でも」
錦之助は驚いて、顔をあげた。師匠がにこにこ笑っている。
「何も気にすることは無い。ここに居たいだけいればいい。錦之助は、私の弟子なんだからな」
「錦之助さん、ここは師匠の言うことを聞いてください。多分 まずい事は何にもおこりゃしません。それでもって考えて、腕のたつこの人の所にいてもらいてえんです。新之助様が考えなすった事ですしね」
錦之助がここではじめて、新之助の方を見た。又、涙がこぼれそうになるのを我慢している。新之助が錦之助に近寄ってふたりして、大声で泣いた。清二と師匠は二人で黙ってそれを眺めていた。
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