第2話

 次の朝、錦之助が屋敷の裏門の所で待っていた。

「おはよう、錦ちゃん」

「おはよう、新ちゃん。今日は、ごめんね・・・あのね」

「何言ってんだよ。俺だって楽しみさ」

「いやぁ。昨日、あんな話したけど・・・俺ね、お梅ちゃんの事そんなにすきじゃない」

「えっ、好きじゃないの・・・うーん」

「ごめんよ、新ちゃん。今日は、一緒に美味しもの食べに行こうよ。おばあ様から小遣い一杯もらってきたからさね」

「あーっ、わかった。お梅ちゃんが好きじゃないんだね。じゃあ、誰が好きなの」

「いや、それは・・・」

言葉に詰まった錦之助の顔は、真っ赤になっていた。新之助は、一人でにへにへ笑って

「じゃあ、別にお梅ちゃんじゃあなくてもいいよ。そのさ新ちゃんの好きな子にさ、買ってあげようよね。よし、決まりだね。清二にさ、色々聞いてさ。あいつ本当に、あの辺の小間物屋がいいですよとかよく知ってやがるんだ」

「好きな子に・・・」

「よし、出発しようぜ」

清二お勧めの小間物屋で錦之助は、赤い珊瑚玉の簪を買った。新之助が最初に見付けてこれが綺麗だと錦之助に薦めたものだ。

「俺が、勧めて言うのもなんだけどね。本当にこれで良かったの」

「うん、これがいいよ。新ちゃんが選んでくれたこれがね」

「そうかぁ」

二人で話していると、道の向こうに賑やかな一団がやって来た。見慣れた道場の同輩だがその中心に見知らぬ大男がいる。周りの連中もだが、その中心の男が一番大声で騒がしい。向うもこちらに気が付いたようだが、日ごろ別段仲がいいわけでも無いので、軽く頭を下げてやり過ごそうとしていたのに、その大男がこちらに気付いてやって来た。

「おお、錦ちゃん 今日は、道場さぼりよったか。

まぁ たまには、ええぜよ。稽古より大事なことがあるもんじゃ」

男は、二人をみてにっこり笑った。親し気な言葉に、錦之助は真っ赤な顔で頭を下げ、横にいる新之助の方を向いて、新之助を紹介しようとする。

「さ、いえ、幼馴染の・・・」

言いかけたところで、ここでは目立つとか周りがうるさくなってきた。

「すまんのう。また今度じゃ」

大きな声で、男が去って行く。錦之助は、頭を下げてそれを見送った。

「・・・錦ちゃん、ごめん。俺、もう帰るわ」

錦之助は、新之助の言葉に驚いた。これから二人で、甘いもの食べてその辺の店をひやかして帰ろうと先程、話し合ったばかりだった。

「新ちゃん、一緒に遊ぼうって」

「いや、さっきの人と話してくりゃいいぜ。買い物出来たしさ。明日は、錦ちゃん用があるんだよな。じゃあ、またな」

「いや あの人は・・・」

錦之助が声をかけるのだが、新之助は足を止めずに錦之助を置いたまま立ち去った。別段それ程、腹が立ったわけじゃないが、何となくあそこにいたくなかった。道場の同輩もあの大男も錦之助も見ているだけでもやもやする嫌な気分になった。


屋敷に戻ると、明日は一人で屋敷でごろごろしようと思っていたのに、父上が「明日は、左馬之助の供をしろ」と言ってきた。冗談じゃない、明日は朝から道場に行こう。別に兄上の供が嫌な訳じゃない。出来た兄上と一緒にいると、なぜか惨めな気分になる。そんな自分が嫌なんだ。それに早く道場に行って、錦ちゃんに今日のことを謝ろう。 

翌朝、新之助が道場に行くが、錦之助は見当たらない。

「おはようございます」

「新之助、久しぶりだな」

「申し訳ございません。少し身体を壊しておりました」

「それは、それはと言うわけあるまい。鍛え方がたらん。今日は、覚悟しろ」

「・・・」

「返事は」

「はい」

久しぶりの稽古を終え、帰りの用意をすませて改めてみても錦之助の姿はなかった。他のやつらと話すこともなく、そのまま道場を後にする。屋敷に帰るのも気がすすまず、錦之助の店の方に足を向ける。そこで橋の向こう側を歩く錦之助に気が付いた。声を掛けようとして隣を歩く大男に気付いてやめた。後は何も考えることなく、ただ二人の後をつけて行った。二人して語らいながら道を行く、その後を付いて歩くと、とある屋敷の中に入って行った。一緒に中に入るわけにもいかず、そこに立ちつくすしかない。ぼんやりしていると屋敷から出て来た男の姿を見て驚いた。

「兄上」

「新之助、どうした。迎えに来てくれたのか」

「あっ、いえ 今日は申し訳ございませんでした」

「わざわざ、それを言いに来たのか」

「・・・」

「・・・まあ、いいさ気にするな。帰りに団子でも食べて帰るか」


二人並んで団子を食べていても、左馬之助はなにも聞いてこない。新之助が喋りだすのを待っている。

「兄上、先程のお屋敷はどちらの方の」

「あちらは、勝先生のお宅だよ。私は、今いろいろとお世話になっている」

「勝海舟様のお屋敷」

「ああ、それで」

「・・・そのお屋敷に大きなお方、兄上が出てくる少しまえに屋敷に入って行かれた方は、どなたかご存知でしょうか」

「・・・ああ」

「ご存知なんですね」

「あまり大きな声で言えない話だが。新之助も名前ぐらいは聞いたことがあるだろう。坂本殿。昔から勝先生と交流のある方だよ」

「さかもと、さかもと、坂本殿・・・ああそうか。昔、うちの道場に通ってらしたことを聞いたことがありました」

「そうか。あの方は、免許皆伝の腕前だった」

家に帰ってからは、食事もなにもかも上の空ですごした。頭の中は、兄上から聞いた坂本殿のことでいっぱいだった。坂本殿は坂本龍馬で、俺の道場の伝説で、勝海舟の弟子で、勤王の志士で色々と盛り沢山の男。全然、俺と違うよな。錦之助は、そんな男と一緒にいたんだ。自分一人が取り残されているような気がした。後ろ歩いていたはずの錦之助は、もうずっと先の方に行ってて・・・ああ、もうどうでもいいか

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