『未来人、ニュータウンへ』
両目洞窟人間
未来人、ニュータウンへ
3年付き合っていた彼女のちよちゃんに別れを告げようと思って、冬の日の朝、ドトールに呼び出して「話があって」と切り出そうとしたら、神妙な顔をしたちよちゃんが「実は言わないといけないことがあって」と切り出してきたので、先制攻撃にうろたえつつ、こいつは浮気してましたってやつか~と身構えていたら「私、実は未来人で・・・」って。
こんなときどんな顔したらいいか、俺わからない。
「いやいやいやいや」とコーヒーをかき混ぜながら、冗談ならやめとけよと思うけど「信じてもらえないのはわかるけども、未来人なのは本当で。」とちよちゃんは頑な。
そしてそれを言ってるちよちゃんの顔はとても嘘をついている顔ではない。3年付き合っていたからわかる。
だから余計に頭がこんがらがってしまって「未来人ねえ~」と単語を繰り返すことしかできない。
未来人ってことは、未来から来たってこと?え、何のために。というか、そしたらなんで俺と付き合ったの?え、こういうのってこの時代に痕跡とか残したらだめなんじゃないの?
いろんな疑問が頭に浮かびまくるのは映画の見過ぎだろうか。現実は大丈夫だったりするんだろうか。そもそも何から聞いたらいいんだろうか。俺はちよちゃんに別れ話をすることなんてもはやどうでもよくなっている。
「えーと、ちなみにいつくらいの未来?」
まずはどの程度『未来』なのか探ろうと思う。
「それが・・・言えなくて・・・」
「え、なんか、言ったらこの時代に干渉しちゃうとかそういう理由?」
と聞くと、ちよちゃんはこくりとうなずくだけ。
「えー・・・じゃあ、俺と付き合ってたのとかって、めちゃくちゃ時代に干渉しまくりだったんじゃ・・・?」
と言うと、ちよちゃんはめちゃくちゃ困った顔になって「そうなんだよー」って嘆く。
付き合っちゃだめじゃん。なにしてんだよ、ちよちゃん。
ちよちゃんの説明によると、ある事情でこの時代に来たそうで、本当はすぐに帰るつもりだったらしいんだけども、「西村くんに会ってしまったから・・・」と俺に出会ってしまったせいで帰れなくなってしまったとファムファタールな理由を俺に語るのだった。
じゃあ、俺のせいじゃないか。
ちよちゃんに出会った時、俺は一目惚れしてしまったのだ。
一目惚れなんて存在するなんて思って無くて、あるとしてもお米の名前くらいだろって思ってたけども、それは突如やってきた。
ある春の昼下がりに、人通りが激しすぎる都会の駅の出入り口に降り立った時。
わたわたとしている女の子がそこにいた。背が小さくて、地味な格好をしていて、大きな目でしきりにあちこちを見渡して、正直挙動不審で。
それがちよちゃんで、その姿を見て、俺はあっけなく恋に落ちた。
挙動不審にわたわたとしているちよちゃんの姿にいてもたってもいられなくなって、声をかけてしまった。
普段ならそんなこと絶対にやらないのだけども、そのときは不思議なことが出来てしまった。やらなきゃいけないと思ってしまったのだ。
俺が話しかけたらちよちゃんは完全におびえきっていて「違う、違う、怪しい人ではない」と信じさせるのに3分かかり、「何か行きたいところがあるのですか」と聞いたら「あ、いう。え、お」とパニクって話どころではないちよちゃんから用事を聞き出すのに15分かかり、それが今居る場所とは全く関係なかったからそこに連れて行くのに2時間かかった。
ちよちゃんを目的地に送り届けた時にはもう夕方だった。
「ありがとうございました」と笑うちよちゃんの姿にまたもや心を打たれてしまった俺は気がついたら「また会えますか」なんて聞いて、ちよちゃんは困ったような顔をしてうんってうなずいた。
それからは毎日毎日楽しくて、やっとまた会えた日は本当に最高で、ちよちゃんといる時間が1秒1秒本当たまらなくいとおしく思えて、ちよちゃんの表情一つ一つがたまんなくて、表情筋がちょっと動く様子ですら見逃したくなくて、じっと見て「なんか、ついてますか?」なんてありきたりなことをいうちよちゃんが愛おしくて、めっちゃ大好きってなってたのだった。
そんな気持ちになってたのに3年経って、俺は環境の変化やら、最近のちよちゃんが妙に冷たいことやらで、なんかもうこの関係は無理なのかもと思っていて、別れることにしてみようと思って、今日を迎えたのに、「未来人です」って。なんだこれ。
「え、これを俺に言ったってことは、もう帰らなきゃいけないとか?」
と聞くと、ちよちゃんはうなずいて「あー」とため息をもらしてしまった。
「どうやって、帰るの?」
「それが、信じてもらえないけども」と帰る手段を話し始める。
1時間半移動したところにあるニュータウンに行く。そこに時空のつながりが弱い地点があるらしい。
「そこで、この機械を作動させなきゃいけなくて」
とちよちゃんは小さな青い箱を取り出す。
ちよちゃんがその青い箱を開くと、箱の中からアンテナが伸びてくる。そのアンテナの真ん中あたりに、レンズがついている。ちよちゃんによれば、レンズをのぞき込みながら、青い箱についているダイヤルを回すらしい。
「ラジオのチューニングを合わせるみたい」と俺は言う。
ちよちゃんは困ったように笑う。俺はその歯並びの悪い口が好きだったことを思い出す。
何を言えばいいかわからないまま、俺はちよちゃんを駅まで送っていく。
ちよちゃんはごめんねと何度も言ったりするけども、よく考えれば、俺は今日元々別れ話をしようとしていたのだ。願ったり叶ったりじゃないか。すんなり別れることができてよかったじゃないか。
でも、馬鹿みたいに後悔している。
もう1日くらい居たらいいじゃない?って言うけども「今日が最終日」って言って嘆いている。
ここ数ヶ月は「帰らなきゃ行けない日」つまり終わりが見えてきてとても辛かったこと。
それが態度に出てしまって申し訳なかったことを俺に言う。
それを聞いて、さらに自分が馬鹿に思えて、ちよちゃんが乗る電車に飛び込んで死んでしまいたい衝動に襲われる。
でも、それをしてしまったら、だめだ。ちよちゃんが戻れなくなってしまう。
ちよちゃんをこの時代に縛り付けているのは間違いなく俺なのだ。
俺は何を言えばいいかわからない。だから「この時代ものって持って帰ったりできるの?」って聞くけども「あんまりだめで」って言われたりする。そうだよな。そうだよなと納得する。
ちよちゃんには浮き世離れ感があってとても好きだったんだけどもそれってこの時代生まれじゃなかったからか。
どこに行っても楽しそうにして、どんな食べ物も初めて食べたような顔をして、どんな映画も、どんな音楽も、新鮮な顔で楽しんで、どんなイベントも食い入るように見つめていたちよちゃん。
駅に着く。
ニュータウンに向かう電車なんてそんなに待たなくてもやってくる。
「3年間。ありがとうー」とちよちゃんは笑顔で言う。「まさか、3年もいるなんて思わなかったなー。また」と言って口ごもる。
「また、なんてないよね」と俺は言う。
「そうだね。・・・未来に帰っちゃったら、本当、結構未来だから、またってないと思う」
「そうかー」
「・・・忘れちゃっていいからね」とちよちゃんはあっけらかんに言う。
「ちよちゃんのこと?」
「うん。未来に行っちゃうし」
「忘れないようにするって」
「もう死んだと思ってくれていいから」
「でも、未来には生きてるわけだし」
「遠い未来なんて、死後の世界みたいなもんだよ」
「・・・そうかー」遠い未来なんて死後の世界。
「じゃあ、死後の世界に行ってくる」とちよちゃんは改札に向かう。俺は手を振る。それしかできない。
ちよちゃんはまたごめんねと言ってから「本当3年間、ありがとうー!」って叫んで、改札の向こうに行ってしまって、それからあっという間に姿が見えなくなって、電車が来て、その電車はニュータウンに向かって消えていった。
ちよちゃんが消えてしまってから、俺はどうしたらいいかわかんなくて、駅の近くにあったベンチに座ってぼんやりする。
俺は何をしたらよかったんだ。
ちよちゃんに何を言えばよかったんだ。
俺はそもそも、今日別れるつもりでいて、でもその別れたいと思った最近のちよちゃんの行動は、もうすぐ帰るからの心配であって、じゃあその気持ちをくみ取れなかった俺ってなんだよ、くそ野郎かよって思って。
でもこれじゃ自己憐憫に浸るだけだ。
「忘れてもいいからねー」なんて言うから、忘れちゃうぞ!と意気込んでみる。
その次の瞬間にそれは馬鹿みたいだと思う。
ちよちゃんの3年は「忘れていいからね」だの「死んだと思って」だので消え去ってしまうような強度の弱いものなんかじゃないはずだ。
だから、帰り道に俺はノートとペンを買う。
そこに思い出を書き綴る。でも、どれもありきたりな言葉にしかならない。
初めて会ったことも2回目のデートのことも花火大会のこともご飯を食べたことも喧嘩したことも仲直りしたこともありきたりな言葉でしか書けない。
それでもノート一冊は埋まる。
だからもう一冊ノートを買う。
そこに言葉を書く。
ノートになんか書いたって、ちよちゃんに伝わるわけないけども、もし、未来までこのノートが残っていたら、そのときにちよちゃんが読めばいいと思って、恥ずかしいことを書く。
ちよちゃんが未来にかえって1ヶ月経ちました。
毎日ちよちゃんとの3年間を思い出しています。
ちよちゃんは未来に帰ってしまいましたが、俺は3年間に閉じ込められてしまったようです。
ちよちゃんと花火大会に行った日のことを覚えていますでしょうか。あの日、人は山ほど居て、べったりするような湿気で、嫌になるくらい汗が出て。でもちよちゃんは楽しそうに出店を見ていました。
あの日、ちよちゃんは「りんごあめ」を買いました。
りんごあめは赤茶色で、めちゃくちゃ堅くて、ちよちゃんはかみ砕くのに苦労していました。
その堅いりんごあめをかみ砕いて、中身を食べ始めたとき、ちよちゃんは馬鹿みたいに笑って「美味しいー」って言って凄くかわいかったなと思いました。
花火が上がり始めて、でも俺らが居る場所じゃ全然見えなくて、移動し続けたら、ビルの隙間から6割くらいがやっと見える場所を見つけて、そこで花火を見ましたね。
そんな6割くらいの花火なのに、ちよちゃんは凄く楽しそうにしていました。
俺の人生で一番楽しかった花火大会はあの日でした。
全部がそうです。
俺にとっての人生で一番楽しかった日は、全てあの3年間でした。
あれから、ちよちゃんと行った場所にもう一度訪れてみました。
でも、どの場所も、全然面白くなかった。どの時間も、全然楽しくなかった。どのご飯も、全然美味しくなかった。
ちよちゃんにもう一度会えないかと思って、初めて会った駅に行きました。相変わらず人は沢山多くて、俺もあのときのちよちゃんと同じようにわたわたしました。でも、ちよちゃんはいなかった。当たり前だけども。
その日は、その場所で1日がおわりました。馬鹿みたいだけども、 ずっといました。もう馬鹿になっているのかもしれないです。
俺は書く。書く。書く。ノートを言葉で埋める。
溢れる気持ちをノートに書いていく。
ちよちゃん。死後の世界と言っていた未来はどうですか。未来で楽しくやっているでしょうか。多分、ちよちゃんのことなので楽しくやっていると思います。
俺は楽しくやれるかどうかわかりません。
それどころか、今は忘れてしまうのが怖いです。
だからこうやって、ノートに思い出を書き続けています。
ちよちゃんとのことを書き続けています。そうしたら、残る気がして、あの3年間は嘘じゃ無かったような気がして、もっといえば未来に届くかもしれないって思えて。
ちよちゃんのことが好きでした。
ちよちゃんの歩く速度が好きでした。
あんまり水が飲めないちよちゃんが好きでした。
うつむいて歩いてばかりのちよちゃんがすきでした。
好きな音楽がかかると肩を大きくうごかしてリズムをとるちよちゃんのことが好きでした。
でもこうやって、細部を書けば書くほど、ちよちゃんから遠のいていく気がします。俺が好きだったちよちゃんは本当にいたのか。わからなくなるときもあります。
2冊目のノートも半分埋まる。ボールペンのインクも切れる。
それでも書く。ちよちゃんのことを残していく。
俺、本当はあの日に別れ話をするつもりでした。俺は、俺で勝手に、終わり時だなんて思っていたんです。本当に馬鹿でした。本当に
俺はちよちゃんのことが好きでした。
未来から来てくれてありがとうございました。
ちよちゃん。未来に届いていますか。
届いていますか。
この言葉は届いていますか。
あの3年間は消えてしまったんですか。
あの3年間って時間は一切消えてしまったんですか。
俺の今のこの思いもきえてしまったんですか。
未来には何も残っていないんですか。
そうだとしたらとても怖いです。
こんなにこの気持ちは抱えきれないのに消えてしまうのは一瞬だなんて。
ちよちゃん。
ちよちゃん。
2冊目のノートも言葉で埋まってしまう。
俺は呆然とする。
2冊も、ちよちゃんのことを書いたけども、このノートが未来に残っていくことはないことも知っている。
俺のちよちゃんへの気持ちは2冊のノートになった。
でも、このままじゃ落書きだ。時間の速度に負けてしまう。
俺はなんとかちよちゃんに言えなかった言葉を未来に残そうと思う。そのために、俺は物語を書こうとする。
ちよちゃんへの気持ちを物語に変えるのだ。
アイデアは山ほどある。何しろノート2冊分もあるのだ。
それから俺は書く。物語を書く。ちよちゃんへの気持ちをなんとか物語に変換しようとする。
最初は物語にすらならない。見よう見まねで書いてみたものは不格好なキメラのようなものしか生まれない。
それを読み直して、へこんでしまう。
でも、また書き始める。
何度も、何度も書く。
短編を書く。ちよちゃんとの思い出を元にした短編を書く。
短い話を書く度に自信がつく。
思い出は物語に変わっていく。
でも、未来に残るような強度を持った物語にはならない。
時間の速度に耐えられるものを俺は作らないといけない。
だから、また書く。
今度は長編にチャレンジする。
全く歯が立たない。
言葉をいくら費やしても、それはだらだらと続くだけで、物語にはならない。
心が折れそうになる。何度も諦めようと思う。
でも、書こうとする。
ちよちゃんの思い出も忘れそうになる。
そのたびに2冊のノートを読み返す。
付き合っていた期間よりも、別れてからの時間の方が長くなる。
俺は驚異的な速度で未来に向かう。
でも、ちよちゃんがいる未来には行くことができない。
そして産み出す作品が未来に残る強度のものかもわからない。
それでも書く。
書いてみる。
あれから何十年も経った。
俺が生きている間、未来に行くタイムマシンは作られそうにもない。なので、まだ書いている。
タイムマシンの代わりに俺は物語を延々と書いている。
書き始めた時よりも、俺の書いている物語は強度を増しただろうか。俺の書いた物語は未来に残るだろうか。
書いても書いてもそれはわからなかった。
俺は書いているうちに知り合った女性と付き合うことになって、気がつけば夫婦になって、家族が出来て、子どもは大人になって、孫が生まれそうになっている。
もう、ちよちゃんのことを思い出すのも困難になっている。
おぼろげなちよちゃんのことをそれでも物語に変換しようとする。
「死後の世界だと思っていいからね」
もう、ちよちゃんは本当に死後の世界に行ってしまったようだ。
俺の物語は死後の世界に届くだろうか。
俺が実際に死んでしまった後でも、死後の世界に届くだろうか。
祈るように物語を書く。
必死に、つなげるように。
「西村先生。新刊を机の上に置いておきましたからね」
と編集者が俺に言う。
ベッドの上で寝たきりになった俺は返事するのもしんどくて手を振ることでしか返事ができない。
「西村先生。本当に素晴らしい本だと思いました。あとは私たちが必死に売りますので」と編集者は俺に言う。
何も出来なくなるほど老いてしまう前になんとか書きあげた本。
でもどうでもいい。
俺はもうこの先、何も産み出すことができない。
物語を産み出すことができない。
俺は老いすぎてしまった。もう、あとは死ぬだけだ。
もう、家族も俺がいなくなった後の準備をしている。
まあ、書き続けただけの人生にしちゃいい終わり方だ。
俺は机の上の本を目にやる。青い箱が表紙の本。
自分で言うのもなんだが、これまでの中じゃ一番物語の強度が強い本が書けたはずだ。
でもこの本は未来に残ってくれるだろうか。未来に残るほど強度は強いのだろうか
部屋に誰か入ってくる音で目が覚める。部屋は暗い。まだ夜中みたいだ。
家族の誰かが入ってきたのだろうか?それか編集者か?こんな時間に?
人影は音を立てないように動いている。でも、どこか挙動不審気味だ。見覚えのある動き。
その人影は、机の上にある本を手に取った。そしてじっと見ている。何をしているんだ?
それからその人影は俺に近づいてくる。
そして俺に向かって言葉を発する。
「西村くん」
「ありがとう」
聞き慣れた声だった。
俺ははっと目が覚める。部屋が白く光っていて日がもう上っていることに気がつく。
昔付き合っていた女の子の夢を見てしまうなんて。
もう死にかけのじじいなのに、未だに10代のような夢をみるなんて。
恥ずかしくてどうかなりそうだ。
せめて、このことを書けたらと思う。言葉に変えてしまいたい。
じじいの夢の中に、昔好きだった女の子がやってきたなんて。
物語にしても、官能小説ぐらいしか許されなさそうだ。
俺は机の上に目をやる。
するとあの新刊の本は無くなっていて、代わりに信じられないくらい古びた本が置いてある。
でも、表紙に見覚えがある。
青い箱が描かれた表紙。
あの新刊が古本に変わっている。
俺はそれを見て、涙が止まらなくなる。
あれは夢じゃなかったんだ。
ちよちゃん。
「おい。ちよちゃん。この時代のものは未来に持っていったらだめなんじゃなかったのかよ」
窓から風が吹きこむ。
古本からカビの匂いがする。
『未来人、ニュータウンへ』 両目洞窟人間 @gachahori
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