第3話 "1000 knives"

どてらを着た二本足で歩くねこのまち子さんとファミレスに行ってご飯を食べていたときのことだった。

「宮本さん、わたし、こんなもの拾ってしまったんです」

とまち子さんはテーブルの上に白いうさぎのぬいぐるみを置く。

つぶらな瞳に口がエックスになっている顔のうさぎ。

「まち子さん。私の名字は岸本です。で、これはなんですか」

「岸本さん。これ、お腹を見てください」

ぬいぐるみのお腹の部分を見るとお腹のあたりに赤いボタンがついている。そのボタンの下には「don't push」と刺繍が縫われてる。

「気になりますね」

私はレモンティーをかき混ぜながら言う。

押してはいけないと言われると押してしまいたくなるものなのだ。

「わたし、これがずっと気になって気になって・・・」とまち子さんは腕をくんで唸っている。

「ねえ、ねえ。岸本さん。押したらだめでしょうか?」

とまち子さんは困った顔をしながら聞いてくる。

「うーん。押すなって書いてありますからね」

「にゃにゃにゃにゃ・・・そうですよね・・・そうですよね・・・」

とまち子さんはうつむいてしまった。

それから、オレンジジュースを飲み干して、またぬいぐるみを見つめた。

ぬいぐるみは少し薄汚れている。新しくもないが古くもない。

「まち子さん、これはどこにあったんですか?」

「わたしの住んでるアパートの前にある公園のベンチにちょこんと置いてあったんです」

「ちょこんと」

「はい。ちょこんと」まち子さんは「ちょこんと」を手で表現する。「なるほどー」

「とりあえず、後で警察に持って行こうとは思うんですけども、このボタンが気になってしまって」

Don't push.

「あ、オレンジジュース取ってきますね」とまち子さんは、椅子を降りようとする。

「私が行ってきますよ。まち子さん、届かないでしょ」

まち子さんはとても小さいので、ドリンクバーに届かないのだ。

「あ、忘れていました。すいません。ありがとうございます」

「いえいえ」

まち子さんを残して、ドリンクバーに向かう。



ドリンクバーは混んでいた。どうやら、高校生が集まっているみたいだ。私が空のコップを持ってしばらく待っていると、ふと視界の端に白いねこが通り過ぎるのが見えた。

その方面に目を向けると、二本足で歩くねこがいた。まち子さんだ。場所からしてどうやらトイレから出てきたみたいだった。

でもどてらは着ていなかった。

普段、どんな時でもどてらを着ているので、脱いでいるのは初めて見た。



ドリンクバーでオレンジジュースを入れて、席に戻った。

「はい。オレンジジュースです」

「ありがとうございます」とまち子さんはお辞儀をした。そのまち子さんはどてらを着ていた。

「まち子さんって、お手洗いに行くときはどてらを脱ぐんですか?」

「にゃ?なんでですか?」と私をいぶかしがる顔をする。

「いや、さっき、お手洗いに行ってたときどてらを脱いでいたじゃないですか」

「え」

「お手洗いの時はどてら脱ぐんだなーって見てたんですけども」

「わたし、お手洗い行ってないです」

「え」

「ずっと、ここにいましたよ」

「え、でも、お手洗いからまち子さん出てきましたよ」

「似たねこじゃないですか」

「凄くまち子さんでしたよ。あのお手洗いから出てきたんですって」と指さしたお手洗いからまち子さんと同じ顔をしたねこが二本足で歩いて出てきた。

固まっている私たちには一瞥もくれず、そのまち子さんに似たねこはファミレスをぐるっと歩いて、そのまま外へ出て行った。

「今の」

「わたしにそっくりでしたね・・・」とまち子さんが恐れおののいていると、またお手洗いからまち子さんと同じ顔をしたねこが二本足で歩いて出てきて、ファミレスをぐるっと歩いて、そのまま外へ出て行った。

そして、また、また、また、また。

次々とまち子さんと同じ顔をしたねこが出てくる。

店員もそろそろ不審がる。客もなんだなんだとなっている。

「なんか次々と出てきますよ・・・」とまち子さんは完全におびえきっている。

かくいう私もおびえきっている。

「次々と出てきますね・・・なんか、知らないんですか・・・」

「知らないですよ・・・うにゃにゃにゃにゃ・・・」

次々と出てくる中で、私は法則性を見つける。

このファミレスでテーブルにある呼び出しボタンが押される度に、まち子さんと同じ顔のねこがお手洗いから出てくるみたいだった。

そして次々と出てくるのは高校生が呼び出しボタンをどんどん押しているからみたいだった。

私はそれをまち子さんに伝える。

「なるほどーそれで、わたしが次々と!」

とまち子さんは納得したけども、それからまた顔が曇って「でも、なんで・・・」となる。

そりゃそうだろう。

ファミレスの呼び出しボタンが押される度に自分の分身がお手洗いから出てくるのだ。こんなに不気味なことはない。

ぴんぽーん。と押されて、またまち子さんがお手洗いから出てきた。店員が私たちの席に来て「あの、知り合いの方ではないですよね」と聞いてきて、まち子さんは首を横にぶんぶんと振った。

それから、ぼんやり見ていると、まち子さんが「あ、もしかして」と言う。

「どうしたんですか」

「あの、わたし、さっき押しちゃったんですよ、このボタン」

とさっきの薄汚れたうさぎのぬいぐるみを見せる。

「え、いつ」

「あの、岸本さんがドリンクバーに行ってるときに」

「なんで、押しちゃったんですか」

「あの、好奇心に負けてしまったんです」

「あー」

「うにゃにゃにゃにゃにゃ・・・」

とまち子さんは頭を抱えた。

でもある考えがひらめく。

「でも、ということは、もう一度そのボタンを押したら、まち子さんが増えるの止まるんじゃないですか」

と私が言うと、まち子さんはそれだ!という顔になり、もうすぐさまボタンに指をかける。

「じゃあ、押します!」

とまち子さんがぽちとボタンを押すと、同時にどこかで店員を呼び出すピンポーンという音が鳴り響く。

しかし、トイレからまち子さんは出てこない。

「・・・出てこないですね」

「・・・そうみたいですね・・・」と言って、まちこさんはほっと胸をなで下ろす。

「怖かったあ・・・」とまち子さんが呟き、私も一段落ついたことに、安心してふと窓の外を見ると、何十、いや何百のまち子さんと同じ顔のねこがファミレスに近づいているのがわかる。

何百のまち子さんと同じ顔のねこはファミレスに一斉に入ってくる。来店を告げるベルが鳴りっぱなしだ。

すると、お手洗いから次々とまち子さんと同じ顔のねこが出てくる。どうやら来店を告げるベルと今度は連動してしまったみたいだ。

戻ってきた方のまち子さんと同じ顔のねこたちははトイレに向かおうとする。

しかし、次々とトイレから出てくるまち子さんと同じ顔のねこに行く手を阻まれる。

次々と押し寄せるまち子さん。鳴り止まない来店ベル。トイレからあふれかえるまち子さん。トイレに行こうするまち子さん。

今やファミレスはまち子さんだらけになっていた。

本物のまち子さんは顔面蒼白状態になっている。

「ど、ど、どうしましょう・・・」

「とりあえず、逃げ出しましょう」

と私たちはファミレスをなんとか後にしようとする。

しかし、その瞬間にまち子さんがぬいぐるみを床に落とす。

落とした瞬間にボタンが入ってしまう。

窓の外に見えるドアというドアからまち子さんがあふれ出すのが見えた。




この日、世界にまち子さんが溢れた。世界中の至る所でまち子さんが文字通り溢れたのだ。

溢れたまち子さんは世界のシステムをダウンさせた。経済も政治も宗教も、全てがその日一変したのだ。

この日を後世の人々は世界同時多発ねこと呼んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る