第9話 そうしてまた

 そうしてまた、四年の月日が経過した。


 未来へ飛んだアゲハはキルト大聖堂に保護されて、大司教の孫娘(!)のカナリアと一緒に、魔法や戦いの勉強をしたの。

 日々はめまぐるしくも穏やかで、勉強の合間に一緒に食べるおやつが、何よりの楽しみだったわね、カナリア。


 そうして月の明るい夜、アゲハは【クロス】を探して旅立つ。

 魔王に挑む勇者として、そして破れた場合には、異界の魂を呼び込むための依代となることをも定められて。時空を超えた経験をもつアゲハの肉体は、器として好適だったのね。


「カナリアは嫌です。お姉さまが死んだらなんて――お姉さまを利用するなんてッ!!」

 あのときカナリアは、泣いて怒ってくれたわね、

 最も適した召喚の実行者でもある孫娘の猛反発に、大司教も説得しかねて、困惑顔だったっけ。 


「ごめんねカナリア。でも大好きなあなた達のため……この世界のためだから」

 アゲハはそう言ってカナリアを抱きしめたけれど、本当はちょっぴり、罪悪感があったのよね。

 貴方のほんとうの想いは、ただひとつだったから。


「さよなら、カナリア。元気でね」


 涙でぐしゃぐしゃの頬にキスをして、アゲハは立ち上がる。

 唇に残る涙のにおいに、ちくりと胸を刺されながら。


「……さよ……なら……」


 そうしていくつもの丘を越えた先で、アゲハは【クロス】に出逢う。

 兜もなく顔をさらしたアゲハに気づいて、けれど清冽な神の気配を纏ったクロスは、ただ無造作に大剣を振り上げた。


「――……あちゃー。やっぱダメか」


 アゲハは笑ったのかしら?


 永遠を生きる神にとって三日という時間は短すぎて、きっと刹那にも満たなくて。

 たとえそれが怪物との抗争の最初のきっかけだったとしても、クロスはもう、そんなことは忘れていたのね。


「……でも、アタシは嬉しかったよ。またアンタに会えて」


 両手を広げて、アゲハは一歩、一歩、死神に近づく。

 大剣の先に溜まっていく、目映い太陽のような光を見上げながら。


「……ねぇ、もし、もしもだけどさぁ。異界の勇者サマとやらが、アタシの想いも一緒に叶えてくれるとしたら……」


 音もなく大剣は振り下ろされ、白い輝きが爆発する。

 その瞬間、アゲハが最後に太陽に向けたのは――とびきりの笑顔。


「……もう一度だけアタシと一緒に、おだんご食べよっ!」



  **



 穏やかな夕暮れの気配が、天と地を包みこんでいた。

 蛹になった私の意識はあたたかな場所をふわふわと漂うようで、何も目には見えないけれど。風に混じるかすかな夜の匂いは、感じることが出来ていた。


「……あ、やあっと戻ってきたんですね。カナリアはすっかり待ちくたびれちゃいましたョ」


 草を踏む足音とともに、愛らしい少女の声がする。

 そうして毎日様子を見に来ては、話しかけたり子守歌をうたってくれたことを、私はなぜだか知っていた。


『カナリア……。今いくつ?』

「もうすぐ十五になります。こっち戻ってから、しっかり四年経ってますよ」


 柔らかな何かが私の表面に触れる、岩の怪物ではない人の手のひらの感触。

 雨とは違うあたたかなしずくが、ぽつ、と私の表面にこぼれる。


『……ねえカナリア』

「はい……」

 蛹の私を抱きしめるように包んで、カナリアはうなずく。

 

「……神の想いは、ヒトとは違うはずなんですけれど。あの三年間の冒険は、クロスからアゲハお姉さまへの、贈り物だったような気がしてならないです……」


 ねぇアゲハ。


 ちっぽけなモンシロチョウの死は誰にも知られず終わったけれど、虫けら同然の人間アゲハの死に、クロスは気づいたのね。

 与えてしまった死はたとえ神でも、取り戻すことはできないけれど。


「……お姉さま。実はこの四年間で神々と怪物との戦いは、確実に減ってきているんです」

 柔らかなカナリアの声がする。

「四百年続いた争いを止めるのは、たとえクロスでも難しいことかもしれないけど。この世界はきっと良い方に変わっていくって、私は信じてます」


 そうね。


 ゆっくりとカナリアは歌い始める、

 カナリアの声は透明で優しくて、その歌が私は大好きだった。


 怪物の姿が人々に怖がられても、カナリアが歌い始めると、不思議とみんな頬をゆるめて、可愛いお嬢さんねぇなんて言い出したものよ。

 そこに超美形のミッチー君が現れたりしたら、それはもう大騒ぎ。

 懐かしいわねえ。

 楽しかったわね、カナリア。


「お姉さまは何に羽化されるんでしょうねえ……」

 ぽつんとカナリアが呟いた。


『ふふ。またその歌? カナリア』

「えへ。好きなんです。お姉さまのいた世界のお歌」


 あたりには優しい春の風が吹いて、ゆっくりと暮れていく空に、カナリアの透明な歌声が吸い込まれていく。

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