第8話 ふわりと、午後の風に

 ふわりと、午後の風に香ばしい匂いが漂う。


「ほら、これがコーヒーの実の炒り茶よ。苦いけど飲めるかしら、クロス君」

「気安く呼ぶな。虫けらの名を冠した人間風情が」

 

 開け放たれた窓からは、優しい光、

 小さな木のテーブルは粗末だけれど使い込まれていて。

 窓を背に座る子供の影は……あら、ひょっとしてミッチー君?


「そして、じゃーん! これがアタシの唯一の得意料理、おだんごでーっす!」

「……料理か? それ」

「ちょっ。ひどっ!」


 器の上には、つやつやおだんご、できたての湯気をほかほかあげて。

 見あげる子供のその顔は、確かにミッチー君なのだけど、清冽な瞳も纏う空気も、まるで次元が違ってる。

 竦みそうなほどに圧倒的な――そう間違いなく【クロス】の気配。

 なんだけど、ぎゅうっと胸の中に抱きしめたら、意外にちっちゃくて柔らかくて。


「生意気ゆうなー! 天馬に逃げられておうち帰れなくなっちゃったお子ちゃまのくせに♡」

「うるさい。じきに迎えが来る」


 クロスは嫌がって暴れるけれど、がっちり捕まえる腕からは逃れられない……いいえ、怪我させたりしないように、ちゃあんと加減してるのよね。

 それにしても、これはどういう夢なのかしら?


 手も足も言葉も私の意思ではなく、勝手にすらすら動いていく。私はただ見ているけれど、その目も誰かと一体化してるみたい。

 抜け殻じゃない生きてる人間の中に入りこんだら、こんな感じになるのかしら。


 『私』が鏡をのぞいた隙に、私は『私』を確認する、

 覚えているより幼いけれど、それは見慣れた私の顔――つまり、アゲハの顔。

 でもそれじゃ、アゲハとクロスが一緒に居るってこと?

 考えていたら、鏡の中の顔がふっと笑った。


 ――夢に惑わされないで。キミはキミの想いを貫いて。


 ……え?

 今のは……?


「うふふ。アタシの夢はおだんご店長よ。いつか首都にビッグなおだんご店を出すんだから!」

「ふん。食ってる方が似合いだろう、貴様には」

「何ソレ!? まあでも冗談よ、アタシはこの村が好きだもの。ド田舎だけど」


 三日もすればクロスは諦めて、抱きしめても頬ずりしても抵抗しない。

 ちっちゃな身体はあたたかくて、さらさらの髪はお日さまの匂いがして。


「えへ、今日のおだんごは気に入った? クロス君」

「甘味が足りない。もっと蜜まみれにしろ」

「甘党なのねぇ。お子ちゃま♡」

「……うるさい」


 クロスの声は不機嫌だけど、瞳はほんのり笑っていて、

 それは永遠に続くかと思うくらい……幸福で満たされた時間だった。



  **



 それはたまたま『私』が、家の貯蔵庫の扉を開けた瞬間のこと。


『お姉さま――! やっと繋がりました、ほら見てくださいカナリア、元の姿に戻れましたよー!!』

 突如現れた怪物の幻影、ていうか『私』の手、お腹にめり込んでるわ……。

 ええと、元の姿?

『そうでした。思念接触でお姉さまの知らない姿が見える筈ないのでした……』

 しょんぼりしないで、カナリア。


『えと、あんまり長く話せないので、手短にいきます。まずはご先祖様の所業ですね。いくら経営難だからって腹立つ! ムキーッ!!』


 ええと?


 カナリアが説明してくれたところによると、四百年前の【キルト大聖堂】は経営難に陥っていたのだそう。それで地元に人を呼ぶために、伝説のおだんごの噂をでっちあげたというの!

 そして実際に近づいてきた人間は、難癖付けて魔法陣で飛ばしてたそうよ。


『でもそれがまたいい加減な代物で、カナリアの持っていた転移の痕跡と呼応して暴走しちゃって。結果カナリアは元の時間軸に戻って、ついでに元の姿にまで戻れたのでそれはラッキーなんですけど……。お姉さまの方は魂と身体の結びつきが弱かったせいか、おかしなことになっています』

 小首をかしげて、カナリアは続ける。 


『まず魂ですが、転移魔法からはじかれて、近い時間の近い肉体に居候しています。つまりだいたい四百年前の、アゲハお姉さまの身体の中にいらっしゃいます』


 どういうこと?


『……分かりません。アゲハお姉さまも四百年前に行ったことがあるのか……』

 いいえ。『私』はここで生まれてここで育っているわ。

『ですよね。……確かにアゲハお姉さまは、カナリアの血のつながった姉ではありません。でもまさか、未来に跳ぶ魔法なんて――』

 つぶやいて、カナリアは小さく頭を振る。


『今はよしましょう。ともかくお姉さまの魂が、まだ過去にいるのは確かです。そのあたりの時間軸に不穏な影が見えますから、気をつけて下さい。それから肉体の方ですが、こちらはカナリアと一緒に現在に帰還しています。ただその……理由はわからないのですが――』


 そこで『私』がぱたんと貯蔵庫の扉を閉じてしまったので、カナリアの姿も扉の向こうに消えてしまったのだけれど、彼女が最後に叫んだ言葉は、辛うじて私の耳に滑り込んできた。


『お姉さまは今キルト大聖堂のお庭で、巨大な蛹になっておられます――!』


 ……ええと? どういうこと?



  **



 その夜、森の中の川沿いにあったその小さな集落は、

 突如現れた怪物の群れによって壊滅し、


 アゲハはひとりクロスの力で、四百年後の未来へと飛ばされた――。

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