第10話 ひとりの人間の姿が

 ひとりの人間の姿がキルト大聖堂の庭に現れたのは、それから何日後のことだったかしら。


 蛹になった私の視界は少しずつ明るくなりはじめて、今では薄い膜のようなものを透かして、うっすらと外側の景色が見えていた。

 視界に映ったのは人間の青年の姿、ぼんやり明るい金色の髪。見慣れた子供とは違ったけど、私にはすぐに分かったわ。


『……ミッチー君?』


 神の気配を潜めて、普通の人間のように装ったクロス。

 まあキルト大聖堂の防護結界を抜けてくる時点で、ちっとも普通じゃあないんだけれど。


「答えを聞きに来てやった」

 クロスはそう言った。

「貴様がいつまでも寝こけているからだ。虫けらめ」

『……答え?』

 私、ミッチー君にクイズなんか出されていたかしら。


 考えこんでいる私を、クロスの青い瞳が射貫く。視界はぼんやりしてよく見えないのに、その視線は私の意識を直に突き刺すようだった。


「さっさと答えろ。貴様はこの世界をどうするつもりだ、異界の魂」


 ……世界?


「貴様はそのために喚ばれたはずだろう。怪物どもを残らず消すか、それともこの世界の人間たちが望むように私を殺すか? まあ私が死んだところで何かが変わるはずもないがな」


 ふん、と鼻を鳴らして、青い瞳が傲然と私を見おろす。


「あるいはこの世界そのものを壊し、一から新たに創りなおすか。すべては貴様の想いひとつだ。虫けらめ。貴様はいったい何を選ぶ?」


 クロスの問いかけに重なるように、いくつかの囁きが意識の隅にはじける。


 ――キミはこの世界をどうしたい?

 ――キミはどんな世界を作りたい?

 ――キミの【想い】はいったい何?


 私は少し考えてみる、

 これまでのこと、三人で旅した道のこと。

 クロスとアゲハの三日間や、アゲハとカナリアの四年間のこと。


 私の想い……?


『とくにないわ』


 真意を測ろうとするように、クロスが私を見おろす。


『そりゃあ私だって悲しい争いはなくなればいいと思うし、ミッチー君やカナリアには幸せでいて欲しいと思うわ。でもそれって、私がわざわざ世界を変えなきゃいけないコト?』


 ぶっちゃけこのまま三人で、おだんご食べに行けば良いんじゃないかしら。

 まあ私いま、蛹なんだけど。


「……役割を放棄する、ということか?」


 冷たい瞳を私に向けて、静かにクロスが確認する。

 役割?


『そういうことになるかしらね』

「そうか――。ならば」


 ザッ、と。


 突然、無数の針の嵐が私を一息に刺し貫いた――そんなふうに私の感覚は捉えたけれど、たぶん事実じゃなかったと思う。

 ただ鮮烈な神の気配が、全方位から私を飲み込んで、


「貴様はこの世界に用済みだ。消え失せろ、異界の虫けらめ」


 冷酷な神の命とともに、圧倒的な力が私を押し潰す、

 蛹の私にはもちろん逃げる術なんかなくて、


 それはあまりに一瞬のことすぎて、

 恐怖を感じている暇も私にはなかったのだけれど、


「――お姉さまッ!」


 バチッ、と白い光が走って、


 そしてすべてが静かになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る