第3話 困った、困った

 ……困った。困った、困ったわ、

 前世モンシロチョウには難題過ぎる!


 魔王を倒せ、とか言われても――いえその、人間になったからには言葉の意味はわかるのだけれど――それにしたって、あんなウニウニぐにぐにタコみたいな――え、タコ? タコって何――ああ、あの海洋生物――海洋?――ええと、あのでっかい水たまり――ああああもういきなり知識が増えて混乱しているわ。


 とにかく、巨大なタコみたいに手足を……じゃないや、炎や雷や氷や風の魔法を、四方八方ウニウニぶんぶん振り回しているあいつを、倒せ、とか言われても。



 カナリアが指した相手は戦場でひときわ目立つ存在、

 異形の怪物ではなく美しい人型の方だったのは意外だけれど、

 炎や雷や嵐や、あらゆる力で怪物の群れを薙ぎ倒し、

 千切り、焼き捨て、投げ飛ばしていたわ。


 ええとこれ、近づいたら私もぷちってされるんじゃないかしら。 


 そう思ってみていたら、

 そいつがぐるりと頭部をめぐらせて、


「――――」


 巨大なトンボの目玉に間近で睨まれたように、ずくっと身体が縮む、

 己を狩ろうとする存在への、

 それはどんな生き物でも持つ本能的な――『恐怖』。


「……あ、駄目」


 カナリアの声が聞こえたのと同時、

 悠然と魔王が、手にした大剣を振り上げて、


 次の瞬間、それはまっすぐ振り下ろされる。

 裂かれた空間から嵐が、炎が、氷雪が、雷が吹き出し、

 全てのエネルギーは渾然一体となり、

 鈍い銀色の塊となって、あっというまに目の前に迫っていたわ。


 一瞬後には私の身体は四散して、


 ……ええと、何だかずいぶん早いような気がするけれど、

 ひょっとして私、また生まれ変わるのかしら。



  **



「――……お姉さま、ちゃんと見ていてくださいね。カナリアが必ずお守り致しますから」


 ふわっ、と。


 耳元を撫でた音は春の風のように優しくて、

 だから私、自分がまたあの菜の花畑に戻ってきたのだと思ったわ。


「目を、あけてください。勇者さま」


 その声で初めて、自分が目を閉じていたことに気づく。 

 見ると目の前には大柄なローブの背中、

 その向こうでは銀色の鈍い輝きが渦巻いて、

 両手を広げたカナリアを、虹色の光が揺れながら取り巻いていたわ。


「勇者さまは救世主です。決して死なせたりしません」


 聞こえているのはカナリアの声、

 それからキ――ンと細い耳鳴りのような音響。

 ぶつかり合うエネルギーの発する音はあまりにも大きすぎて聞こえなくて、

 何が起きているのか私にはちっともわからないけれど、


 銀色の輝きは確かに虹の光を圧倒して、

 ローブに覆われた手の先を、肘を、肩を包み込み、

 

 鈍い銀色の塊の中に、その姿は次第に飲みこまれていく。


「カナリアのお役目はここで終わりです」


 けれど聞こえる声は深く静かで、


 ほんの少しだけこちらへ傾けた、

 みにくい岩の塊のようなその顔で、


 カナリア、あなたは笑っているの?


「どうか勇者さま。お姉さまの愛したこの世界を――……」


 映像は途切れ、

 爆発的な白銀の輝きが視界を埋め尽くす、


 けれど一瞬、


 その向こうに深く静かな空が見えた気がして、

 私は思わず手を伸ばした――。



「……あら?」

 それでどういうわけか、気がつくと暗い森の中に立っていたの。

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