第4話 なのはなばたけに

 

  なのはーなばたけーに いーりーひうすれー

  みわたーすやまのーは かーすーみふかしー


 『ガッコウ』で習った歌を口ずさみながら歩く女の子たちの声を、

 なぜかしら、聞いた時よりも鮮明に、私は思い出していた。



 赤い炎が、パチパチと音を立てて燃えている。

 そこは川沿いの小さな洞窟の中で、

 私はカナリアが拾ってきてくれた石に座り、

 カナリアが起こしてくれた焚き火に当たりながら、

 カナリアが捕ってきてくれた魚を食べたところ。

 外ではざわざわと、風が木々を鳴らす音がしていたわ。


「どうぞ、ココの実のジュースです。あったまりますよ」

 大きな木の実を割った器が、目の前に差しだされる。


 カナリア曰く、ここは元いた戦場から北へ約五千メートル、

 過去へ四百年ほど移動した森の中なんだそう。

 そしてその移動をしたのは、どうやら私の力だというの。


「時間と空間を一緒くたに動いちゃうのは、初心者あるあるです。痕跡の確保はしましたから、帰り道の心配はありません」


 カナリアが言うならそうなのね。


「でも……これは、運命なのかもしれません。勇者さまをお喚びした途端、他でもないに流れつくなんて――」


 そうなの。


 カナリアが説明してくれたところによると、

 私が見たあの神々と怪物との戦いは、

 ちょうどこの四百年前に始まったものなのだそう。


「以来おびただしい数の人間が巻き込まれて命を落とし、人が安心して住める土地はなくなりました。もはや神は神ではなく、争いを止めない限り人間は生き延びられない……だから、私たちは【クロス】を倒すことにしたのです」


 勇者だったカナリアのお姉さまは【クロス】に挑んで敗れ、

 清められたその抜け殻に、異界から魂が呼び込まれた。

 それが今私がここにいる理由、

 そしてカナリアが怪物の姿になったのも、私を喚んだ代償なのだそう。


 異界の勇者には想いを【具現化】する力があって、

 きっと【クロス】だって倒せるはずなんだとか。


「でも、どうして私なの?」

 甘いココのジュースを舐めながら、私は尋ねてみる。


「私なんにもわからないし。人間を喚んだほうがよかったんじゃない?」

「魂に貴賤はありません。タイミングが合えばいいのです」


 じゃあ、夏だと蚊だったかもしれないわね。


 炎に照らされたフードのぼんやりした陰を眺めながら、

 ずっと気になっていたことを、私は尋ねてみる。


「カナリアは鳥なのよね?」

「カナリアは人間です。勿論アゲハお姉さまも」


 そうなの。


 アゲハというのは勇者だったカナリアのお姉さまの名前で、

 私が入れられたこの身体の名前。

 つまり私は今アゲハになっていると、簡単に言うとそうなるわね。


 私、モンシロチョウなんだけど。


「お姉さま」


 フードの奥からじっと私を見て、カナリアが言う、

 人前で勇者は呼びにくいし、私に呼ぶべき名もなかったので、

 カナリアはひとまず私をそう呼ぶことにしたみたい。


「突然こんなことに巻き込まれて、ご迷惑は承知しています。でもどうか……カナリアと一緒に、ここで【クロス】を探してもらえませんか」

 パチパチと小さくたき火の音が、夜の中ではぜる。


「もしかするとあの戦いを、起こる前に止められるかもしれません」


 私は少し考えてみる、

 といっても別に選択肢はなくて、

 だって私、カナリアがいないと何食べていいのかわかんないし。


 ただ。


「カナリアって笑うの?」

「…………はい?」


 カナリアが一瞬、ぴたりと動きを止める。

 岩の塊のようなその顔に刻まれた裂け目がうにっと横に伸びたけど、

 うーん、それが笑顔なのかどうか、私には判別できないわ。


「ごめんなさい……」

 しょんぼりしないで、カナリア。


「じゃあ、後でいいわ」

 カナリアがかぱっと顔を上げる。

「人間の形に戻ってから。戻るのよね?」

「え、ええ……たぶん……」

「じゃあ、それでいいわ。もとに戻ったら、笑って頂戴」

「……それが条件……ですか?」

「そうね」


 条件っていうかまあ、ただの興味本位なんだけど。


 ……ねぇカナリア。モンシロチョウの視界は曖昧だけれど、

 私が見ていた『女の子』たちは、いつも確かに笑っていたわ。


 あなたは? カナリア。


「……はい――」


 小さく答えてうつむいて、


 ……ええと、あれ? これってもしかして、

 笑うどころか泣かせてないかしら。


「はい、必ず――……。お約束致します、お姉さま……」



   **

 


 翌日、川沿いをしばらく下った先で見つけた集落。


「……ええと……?」

 ローブの背中を固まらせて、カナリアが困惑した声を出す。


 その小さな村はまるで襲撃を受けたあとのように、

 破壊と焼け跡と血の染みを残して、人間の姿はひとつもなくて。

 ただ奥の方の壊れた家の玄関先に、

 ひとりだけ、十歳ぐらいの子供が腰掛けていたの。

 

 金の髪、青い瞳、白磁の肌の、つくりもののように綺麗な男の子。


 もしや戦火の生き残りかと、あわてて名をたずねたカナリアに、

 男の子がぶっきらぼうに返したのは――


「クロス」

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