館の手がかり

「ねぇ、カル?」

「なんだい?」

「ここはどこなの?」


 シャルはあくまで淡々とした口調で聞く。


「うーん、僕にもわからない。僕も気づいたらここにいたんだよね……。なぜここに来たのかもわからないし……」

「そうなんだ……。でも、名前は覚えてるんだよね?」

「ん?あ、ああ、名前はね、どつしてか覚えてたんだ」

「忘れちゃいけないものだったのかな?」

「いや、それよりかは、忘れなくてもいいものだった気がする」

「忘れなくてもいいもの……?」

「なんとなくだけどそんな気がするんだ」


 カルはそんなことを言いながら軽く笑い、ボロい廊下をシャルより少し前で歩く。


「ここだよ」


 カルが立ち止まったのはひとつの部屋の前。


「ここが唯一の安全スペースだよ。」


 触手から助けてもらった後、カルは化け物が出ない安全な場所に連れていってくれると言った。そんなものがあるのか、半信半疑だったが、断るのも悪いので付いていくことにしたのだが、思っていたより普通の部屋だ。


「これが……安全スペース?」


「うん、中を見ればわかると思うよ。」


 扉を開いて中に入る。部屋の中には神社にありそうな飾りと供え物、そのほかにはカルの生活スペースだろうか。さっきの部屋より、格段に生活感が溢れている。


「あの飾りのおかげで結界が貼ってあるんだって、図書館の本で読んだんだ」

「図書館?」

「うん、前に探索した時に見つけた場所なんだけど……確か1階だったような……」

「連れて行ってくれない?」


 シャルはカルに飛びつくように詰め寄る。


「…………行ってどうするの?」


 だが、カルは頷かない。


「手がかりを探す」


 力強く、真っ直ぐに言い放った言葉。だが、それさえもカルは跳ね除ける。


「無駄だと思うよ?ここからは出られない。化け物がウヨウヨしているのにわざわざ出ていくなんて……」


 さっきよりも声が冷たい気がする。


「じゃあいい。一人で行く」

「場所もわからないのに?危ないよ?」

「どうせ出られないなら閉じこもっていようなんて、そんな考えするのは負けを認めた人だけだよ。安全な場所にいるだけじゃ、どこにも手は届かない。1歩でも、2歩でも、危険な場所だからこそ見える景色を私は見たいし、知りたい……」


 真剣なシャルの目を見てカルは静かに笑う。


「……シャル、君ってなかなか冒険家気質なんだね」

「そうかもね」

「君は強いね。僕なんかよりもずっと……」

「ううん、私がここにいるのはさっき、あなたが助けてくれたから。あなたがいなかったら私は死んでた。あなたこそ、本当の強さを秘めてると思う……人のために走れるんだから」


 シャルの言葉にカルはひとつため息をこぼす。


「ちがうよ、あれは君のために走ったんじゃない。僕が誰かを見捨てて後悔するのが嫌だから助けたんだ」

「でも、結果的に私のためになった……だから、ありがとう」


 シャルの言葉に少し照れたように見えたカルだが、すぐに真剣な表情に戻る。


「でもね、僕が走れた理由はそれだけじゃない。化け物の習性があったからなんだ。」

「習性?」

「うん、奴らは目標を決めたら、それを捕まえるまで他には目を向けないんだ。だから、君が狙われているとわかっていたから僕は走れたんだよ」

「そう、教えてくれてありがとう」

「やっぱり、行くの?」


 カルが心配そうに聞く。


「うん、行かなきゃいけない気がする」

「そっか、いつでも帰ってきてよ」

「……ありがとう」


 シャルはカルに背を向けて扉を開けた。暖かかった部屋とは違い、廊下は肌が引き攣るほど寒い。


 どちらから行けばいいのかわからなかったが、肌が風を感じた。


「左……」


 風は左から流れてくる。もしかしたら空いている窓があるかもしれない。部屋に向かう途中で窓が割れないことは調べた。なら、空いているものから出るしかない。


 廊下の先は真っ暗だ。光ひとつ見えない。


 どこまでも続いているような感覚だ。歩いても、歩いても、どこまでも続いている。


「あれ?おかしい……。」


 壁に掛けてある絵を見る。


「これ、さっきも見た……。」


 同じ絵があるのだろうか。そう思い、廊下の先へ視線を戻した時だ。


 コツコツ……。


 背後から足音がした。


 コツコツコツ……。


 だんだん近づいてくる。


 コツコツコツッ……!


 それはシャルのすぐ後ろで止まった。振り返る勇気はなかった。全身の細胞が逃げろと喚いている。


 シャルは走ろうと一歩踏み出した。


「うぐっ!あ……あぁ……げぼっ!」


 腹に言葉にならない激痛が走る。視線を落としてみるとそこには、シャルの腹を突き抜けた血の滴る巨大なハサミがあった。


 ハサミは一気に引き抜かれ、傷口から大量の血が流れでる。赤い絨毯がさらに赤く染められているのを見ながら、シャルは意識を失った。



「大丈夫?」

「ん……あ……?」


 目が覚めると目の前にカルがいた。心配そうな目で横になっているシャルを見ていた。


「あ、目を覚ましたんだね」

「あれ?私……生きてる?」

「え?生きてるよ?この部屋に入るなり、すぐに寝ちゃうんだもん。びっくりしたよ」


 ということは、さっきのは夢?

 あまりにリアルでグロテスクな夢だったからか、思い出しただけで吐き気がした。


「だ、大丈夫?」

「うん……大丈夫……だから、行かなきゃ」

「図書館に?」

「え、う、うん……」


 さっきのが夢なら、まだ、図書館の話はしてない気が……。


「僕も行くよ。危ないからさ」

「ありがとう……」


 2人は部屋を出る。相変わらず赤い絨毯の廊下が左右に伸びている。


「どっちに行く?どっちからでも行けるよ?」


 シャルは左の廊下を見る。さっきの光景がフラッシュバックし、頭が痛くなる。


「……右にしようか」


 察してくれたのだろうか、カルはシャルの手を握って一緒に歩いてくれた。


 さっきの部屋はどうやら2階だったようで、階段をひとつ降りると、1階と書かれているプレートが壁に張り付いていた。


「あれ……玄関?」


 ほかより一際目立つ大きな扉を見つける。


「あ、うん。でも何故か開かないんだ。」


 扉に近づいて押したり引いたりしてみるが、扉はビクともしない。


「何か、仕掛けがあるのかもね……」

「うん……」


 図書館は玄関の正面、降りてきたのとは別の階段の脇にある扉から入れるらしい。


「うぅっ!」

「だ、大丈夫!?」


 シャルは頭を抑えて座り込んでしまう。前よりも強い頭痛が……。


 シャルの頭の中で記憶のようなものが再生されていく。そして、その中にこの風景があった。


「ここ……前にも来たことが……」

「本当!?」

「えっと……たぶん……」

「そっか、思い出せそうなんだね。じゃあ、図書館に入ろうか。中を見たら、もっと思い出せるかも」

「うん」


 なぜ、いつ、この場所に来たのかは分からないままだったが、徐々に脳が思い出すことを許してきている気がする。


 茶色い扉を開くと、中には大量の本棚と、それに収まりきらないほどの大量の本が目に飛び込んでくる。いくらかの本はたしかに収まりきらず、散乱しているものもある。


「す、すごい……」

「この中に、手がかりがあるのかな?」

「あるかも。カルは見たことない?」

「うん……ないね」


 これは夢と食い違っている……。


「どうかした?」

「あ、いや、探そっか」

「うん」


 カルは右側を、シャルは左側を担当し、端から見ていく。だが、どれも関係の無い本ばかりでこの館について書かれた本はないようだ。


「無いなんて……どうしよう」


 どの本も埃まみれで息苦しくなる。


「ケホッケホッ」


 ホコリが口や鼻、目にまで入って涙が出てくる。


「これを使ってよ」


 涙で歪んだ視界にマスクが差し出される。


「あ、ありがとう、カル」


 シャルはそれをつける。


「少しマシになったわ……ってあれ?カル?」


 顔を上げてみるとそこにカルはいなかった。


「なんだい?」


 カルは奥の方から返事をした。


「あれ?さっきこっちに……?」


 カルは何かの紙を持って帰ってきた。


「え?僕はずっと向こうにいたよ?」

「そんはずは……!」


 なら、さっきの男の子はだれ……?心配になってマスクを外す。


「まさか毒でも塗られて……あ!?」

「ど、どうかしたの?」

「これ!」


 シャルが着けていたマスクの裏に、ペンのようなものでこう書かれていた。


『探し物はなんですか?見つけにくいものですか?図書館の中も、部屋の中も探したけれど見つからないの?』


「…………」


「な、なかなかユーモアのある化け物だったんだね……」

「待って!マスクの中に紙が入ってる。」


 どうやって入れたかはわからないがマスクの繊維の中に紙が入っているのが透けて見えた。


「出してみよう」


 マスクを破り、紙を取り出す。そこには血のような赤いインクで『君が目覚めた場所を探して』と書かれていた。


「目覚めた場所?」

「ってシャルが目覚めた場所ってこと?」


 なら、あの部屋に戻らなくてはいけない。あの、ナニカがいる部屋に……。


「行ってみる?」


 シャルはカルに聞いてみる。


「でも、危ないんじゃないかな?」


 確かにそうだ。死ぬ可能性もあるし、何しろ怖い。けれど……。


「行かなきゃ。だって、手がかりが見えそうなのに、追いかけなかったら、無駄になっちゃうもの。私は行く」


「……そっか、なら僕も行かなきゃね」


 カルは優しい笑顔でシャルを見る。


「君がもし脱出できた時、僕が何もしなかったら、君に見捨てられちゃうかもしれないしね」


 冗談か本気かはわからないがシャルはこれだけは断言できた。


「そんなことは絶対にしない。あなたを見捨てない」


 嘘じゃなかった。心の底から出た言葉だった。


「…………ありがとう」


 カルは嬉しそうな、でもどこか寂しげな笑顔を見せた。



 それからは静かだった。廊下のきしむ音だけが響いて、廊下がやけに長く感じた。だが、気がつくとあの扉の前に立っていた。


『1人のみ入れ』


 扉には赤い字で大きくそう書かれていた。


「じゃあ僕が行くよ」


 カルが前に出る。


「だ、大丈夫?」

「うん、やるって言ったからさ。僕も一応男だよ?そんなに心配そうな目で見ないで」


 カルは背中を向けていたがその顔はきっと笑っている。そう感じるのだ。


「じゃあ少し、待っていてね」

「うん……」


 シャルは心配だったが、カルが部屋に入るのを見届けた。


 しばらく静寂が流れた。


「シャル、見つけたよ!」


 カルの元気な声が扉の向こうから聞こえてくる。だが、それに混じって異様な音も聞こえてくる。ベチャッ、ニュル、と……。


 そしてその直後、なにかの割れる音とともにカルが叫んだ。


「うわ!や、やめろ!こっちに来るな!」


「カル!大丈夫!?」

「あ、あが……う……」

「カル?カル!」


 扉をガンガンと叩く。すると、重かったはずの扉がゆっくりと開く。


「カル!」


 目の前には頭から血を流して倒れるカルと……それを襲うナニカの姿があった。


「う……あ……」


 カルにはまだ意識があるようだ。気がつくとシャルは近くにあった植木鉢を持って部屋に飛び込んでいた。


「シャル!だ、ダメだ……」


 カルはそう叫んで目を閉じた。


「え?」


 シャルは部屋に踏み込んだ。いや、踏めなかった。床に触れた足が溶けるように消えた。


「う……あ……!?」


 激痛が走る。だが、それだけでは終わらなかった。足がなくなり、次に地面に触れた体、腕が消えていった。それでもシャルの意識は消えない。最後に頭が床に転がった。


「あ、う……が……か……」


 声にならない苦しみが続く。それでもシャルは生き続けていた……。



『あーあ、1人しか入っちゃいけないって……教えたはずなんだけどな〜』


 何処からか、男の子の声が部屋に響いていた。



「はっ!」


 シャルは目を覚ました。赤い絨毯の上で。


「あ、目が覚めたんだね。」

「あ、あれ?何ともない?」

「え、あ、僕?別に部屋の中はなんにも起きなかったよ?」

「そ、そう……」


 また、夢だろうか。体がなくなり、生首だけになっても痛みを感じて苦しみながら生きなければならないという絶望感……。それが夢にしては嫌にリアルにフラッシュバックする。


「大丈夫?」

「う、うん……」


 シャルはよろけながら立ち上がり、壁にもたれる。


「いや、びっくりしたよ。部屋から出たらシャルが寝てるんだもん。初めは死んじゃったのかと思ったよ」


 冗談めかした口調で、ははっとわらう。


「そ、そう……」

「ん?顔色、悪いよ?」

「何でもないわ」

「そう?一旦帰る?」

「ううん、大丈夫」


 シャルはゆっくり廊下を歩む。


「そう言えば、本はあったの?」

「あ、いや、無かったよ」

「そう……」


 夢の中では確かにあったと叫んでいた。


「じゃあ、さっき、図書館で持っていた紙は?」

「え?あ、これのこと?」


 カルはポケットから紙を取り出して広げる。


「地図?」

「うん、たぶんこの館の1階の地図。ほら、ここに図書館がある。」


 カルが指さしたのは玄関のすぐ側の部屋。

 Libraryと書かれている。


「今はここだね」


 カルは次に小さな部屋の並ぶ通路の一角を指さす。


「うん、で、次はどうするの?」


 シャルは地図を見ながら、大体の間取りを把握する。


「実は、一つ気になっている場所があるんだ」


 カルは一番奥、右端の部屋を指さす。


「ここ、扉のマークがあるのにその先に部屋がないんだ」

「本当だ……変ね……」

「ここを確認しようと思うんだ」


 特にやるべき事が見つからない今、それを断る理由はなかった。


「うん、じゃあ行こう」


 カルについて行くように歩く。廊下は中心の大広間を囲むように一周している形で、1辺が長い。その部屋に着くまでには足がクタクタになっていた。


「ほら、ついたよ」

「やっと……」


 カルはゆっくりと扉を開く。中は明かりがなく、暗い。


「入るね……」


 シャルは探究心が先走り、カルより先に部屋に踏み込む。


「あ、そんなに焦ったら……危な――――」


 バタンッ!


 背後で扉が勢いよく閉まった。


「え?あれ?」


 急いで扉を開けようとする。だが、扉は開かない。


「カル!カル!いるの?」

「いるよ!なんであかないの!?」

「分からない!」


 扉は押しても引いても開かない。


「なんで!?なんで!?」


 部屋の中は暗闇だ。その奥から何かが手を伸ばしてきている気がする。


「うぅっ!」


 急に頭痛に襲われる。痛みに頭を抱え、倒れ込む。また、頭の中で記憶のようなものが再生されていく。


 女の子が、女の人に無理矢理部屋に閉じ込められている。真っ暗な部屋で女の子はドアを必死に叩く。だが、女の人は振り返りもせずに立ち去っていってしまった。女の子はそれでもドアを叩きながら叫んだ。


 『お母さん』……と。



「大丈夫?」

「え?」


 気がつくと目の前にカルがいた。


「扉、もう開いてるよ?」


 扉が開いたおかげで、部屋の中に少し、光が入ってきていた。


「あ、うん。大丈夫……」

「本当に大丈夫?さっきも寝てたし、寝不足とか、気分が悪いなら休もうか?」


 だが、シャルは首を横に振る。


「……そう、無理はしないでね」


 カルは心配そうにシャルを見ていたが、すぐに部屋へと視線を移す。


「扉のマークは……あそこだ」


 地図にマークがある場所には本棚があった。


「どうしよう……」


 図書館にあるような本棚ではなく、小さいものだったから、2人で運べるだろうと提案する。


「そうかな?でも、やってみよう」


 カルはすぐに反対側に回って本棚に手をかける。シャルも本棚を掴み、タイミングを合わせて持ち上げる。


「んー!」

「むー!」


 力いっぱい持ち上げようとしたが、上がらなかった。


「どうしようか……」


 本棚をよく見てみると、後ろの壁とは少し隙間があるようだ。


「倒せるかな?」

「倒す?」

「うん……」


 シャルの提案にカルは唸っている。部屋の大きさは大丈夫そうだし、本棚も固定されていない。物音は大きくなるが、仕方ないと思う。


「うん、やってみよう」


 2人は壁と本棚の間に手を入れ、精一杯引っ張る。本棚は意外とあっさり倒れた。近くにあった机に倒れ、本棚もろともひび割れてしまったが、本棚があった場所には確かに、扉が現れた。


「行ってみよう」


 カルが扉を押す。木製の軽い扉だったせいか、勢いよく開き、石製の壁に音を立ててぶつかる。


 その音は、現れた地下への階段の奥へと響いていった。

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