黄昏の館 編
目覚めた少女
少女は目を覚ました。
「ん…………?」
暗闇の中、右手に違和感を感じる。
目を開けても暗闇は暗闇のまま。
ただ、どこから漏れているのか薄暗いあかりが微かに視界を助け、目を凝らせばなんとか見える。
自分が横になっているのは薄汚いベッドのようだ。周りからは物音ひとつしない。
足元に気をつけながらベッドを降りる。その時初めて、自分が裸足なんだと気がついた。
床は冷たいコンクリートで小さな針でチクチクと刺されているような痛みが足裏から全身に伝わってくる。
だが、今はそれどころじゃない。頭が混乱しているのか、なぜ自分がこんなところにいるのか分からない。ましてや自分が誰なのかもわからない。
「うっ!」
思い出そうとすると頭痛がする。誰かが頭の中で思い出すなと引き止めているような気がする。
ただ、それ以上は何も浮かんでこなかった。
それよりも、痛みから出たさっきの声が自分のものじゃないような気がした。喉が枯れているようだ。ヒリヒリと痛む。
かなり長い間、眠っていたのだろうか。
少女は部屋の中を見渡す。だが、部屋の家具たちは少女から隠れるように暗闇に溶け込んだ。
少女は立ち上がり、部屋を探索しようとする。部屋はそれほど広くはないようだが、右手首にはめられた鍵付きの手錠のせいで行動範囲が狭められてしまっている。
鍵を探さなきゃ。
自然とそんな考えが浮かんでくる。
普通に考えれば、鍵なんて部屋の中に落ちているようなものではないことは少女にも分かった。だが、なぜか頭の中でこだましているのだ。『鍵を探せ、鍵を探せ』と。
まるで少女の中に誰かもう1人、いるような感覚だ。
手始めに少女はベッドの隣にある引き出しを開けてみる。
「……写真?」
一枚の写真が異様な存在感を示していた。気がつくとそれを手に取り、覗き込んでいた。
幸せな家族、そんな言葉が当てはまるだろうか……。ただ、右から3分の1くらいは破れたか燃えたかで無くなってしまっていた。
写真を元に戻して引き出しを閉める。少女は次に反対側の引き出しも調べる。
そこには一枚の紙が入っていた。
「『ベッドの下を覗いてはいけないよ』?」
暗闇の中でも異様なほどはっきりと見える赤い字で書かれたそれにすこし恐怖を抱きながら、少女はゆっくりとベットに近づく。
恐怖よりも探究心、好奇心の方が勝ってしまった少女はベッドの下を覗く。
その瞬間、右目に鋭い何かが刺さる。
「え……あ……あがっ!」
赤黒い血が流れ出してくる。左目に写ったのはベッドの下でもぞもぞと動くナニカ。
それの目が少女を捉える。恐怖で体が動かない。そして、ナニカが少女に向かって飛びついてきた。
反射的に少女は体を後ろに跳ねのける。
だが、後ろにもベッドがあったようで体が思ったより動かなかった。
だが、気がつくと目の前にはもう、ナニカの姿は無かった。それに、血が出たはずの右目も無事だ。
「夢?」
まだ、寝ぼけていたのだろう。普通ならそれで済むはずはないのだが、異様に落ち着いている自らの胸を押さえ、少女はまたベッドの下を覗く。
奥の方、なにか光っているものを見つけ、手を伸ばす。ギリギリ届かない。
「なにか長いもの……。」
少女は周りを見渡す。反対側の壁にほうきが立てかけてあるのが目に付く。どうやら目もだいぶ慣れてきたようだ。
手錠の鎖に邪魔されながらも、ほうきにはギリギリ手が届いた。まるで、誰かがわざと取れるように置いたような感じがする。
そのほうきで光るものを掻き出す。
「鍵……?」
サビれ具合と色から手錠の鍵だと分かる。鍵穴に差し込み、回してみると手錠はあっさりと開いた。
まだ、部屋の半分しか調べられていない。ただ、直感がこの部屋から出るのは難しいと言っている。
その通りだった。部屋の隅の窪みの奥にあった扉にはしっかり鍵がかかっていた。
だが、その鍵も、部屋のどこかにある気がしていた。
こちら側には水道や棚があるようだ。まるで最近まで使っていたかのような生活感がある。喉が渇いていることもあり、少女は初めに水道を調べる。蛇口をひねる。
だが、当たり前のように水が出ない。
「ん?」
何かが蛇口から出ている。黒いナニカが。
ボトッボトッという音とともに蛇口から溢れ、詰まった排水溝に流れずに流し台に溢れていく。少女は思わず後ずさった。
「あれ?」
だが、瞬きをした瞬間にそれらは嘘のように消え、蛇口からは透明な水が出ていた。気味が悪かったが手皿に水を受けて飲む。乾いた喉に染み渡る水だった。
「あー、あー。」
声も戻った気がする。元の声を覚えていないからはっきりとは言えないが……。
棚には食器が敷き詰められ、鍵は見当たらない。上の棚かもしれない。そう思い、近くの椅子を持ってきて登る。
よかった、なんとか届く。
手を伸ばし、中を探る。よくは見えないが鍵はないようだ。
その時、椅子がひとりでに揺れ始めた。ガタガタと揺れは激しく、落ちそうになる。
まるで、誰かにゆらされているような感覚だ。
「やめて、やめてよ!」
口からこぼれた助けを求める言葉。
そう言うと揺れは収まった。誰もいないはずだが……。
「うっ!」
少女の頭がまた痛み始めた。頭の中に映像のような、どこかの光景が浮かんでくる。
「あれ?誰かがいじめられてる?」
そこには女の子が椅子に乗っていて下で男の子がそれを揺らしていた。周りの子はみんな笑っている。女の子は泣きながら「やめて、やめてよ!」と叫んでいる。まるでさっきの少女のようだ。
「…………」
椅子から降りてみると足元に光るものを見つけた。
「鍵だ……。」
少女は自然と扉へと向かう。ここにいてはいけないと、頭の中で誰かが言った気がする。
鍵穴に差し込み、回してみるとすんなりと開いた。
ギイギイと音を立てながら開いた扉の向こうには赤い絨毯が引かれた廊下が続いていた。
少女は部屋から出て、まっすぐ歩く。だが、なぜか途中で振り返ってしまう。そこにはナニカが扉の隙間から触手のようなものをウネウネと伸ばし、少女を捕まえようとしている姿があった。
目を見開き、走り出す少女。触手は動きを止めない。
少女はさらに逃げようとするが足がもつれて転んでしまう。鼻先に触手がふれ、目を閉じた時、どこから現れたのか、同い年くらいの男の子が走ってきて扉を勢いよく閉めた。
金属製の扉に挟まれたナニカは生き物か何かも分からない唸り声を上げて苦しそうに部屋の中に消えていった。
「大丈夫?」
男の子は優しい声でそう声をかける。
「あ、ありがとう……。」
「泣いてるの?」
少女の目には涙が滲んでいた。
「大丈夫……だから。」
「これ使って。」
男の子はポケットからしわくちゃのハンカチを出して差し出す。
「ありがとう……。」
少女は素直に受け取り、涙を吹く。
ハンカチを男の子に返すと男の子は笑って聞いてくる。
「あの部屋には入っちゃダメだよ。変なのがいるから。」
「入ったんじゃない、起きたらいたの。」
「起きたら?なんで?」
「わからない、思い出せない。」
「そう……」
男の子は何か考えている風だったが、すぐに視線を少女に戻す。
「じゃあまずは自己紹介するね。僕はカルロス。カルって呼んで。」
「うん、私は…………」
名前が思い出せない。
「ごめんなさい、思い出せない。」
その言葉にカルはニコッと笑った。
「名前なんてどうせ他人を見分けるための肩書きでしかないんだから、思い出せないなら作っちゃえばいいんだよ!」
おどけたような、真剣なような、そんな声でカルは言う。
「作る?」
「うん、そうだね……どんなのがいい?」
「覚えやすいの……忘れちゃいそうだから。」
「じゃあ……シャルロットは?」
「シャルロット?シャルロット、シャルロット……うん、覚えやすいね。」
「じゃあ君は今日からシャルロット、シャルだね!よろしく。」
カルは手を出して握手しようと目でいう。
この意味のわからない場所では異質とも思えるカルの笑顔も、その時は暖かく感じた。
「うん、よろしく……カル。」
少女も手を出してカルの手を握る。
一人でいるよりかは頼もしいと強ばったままの皮膚で笑顔を見せた。
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