Aパート mp3とWAVの違いは分かりますか?

「何が権利だ! 何が与えようだ! 腹が立つ!!」


 スチュアートから別れて通された部屋で、俺は荒れ狂っていた。低いソファの背を何度も蹴りつけ、その度にぐらぐらとソファが揺れる。


「ひええ……物に当たらないでくださいよ……ほら、クールダウンクールダウン」

「ああ!? これが落ち着いていられるか!」


 少し離れた場所でこちらを宥めてくるヒイラギのことすらも苛立たしくて、俺はひときわ強くソファを蹴りつける。


「クソッ! クソックソッ!!」


 腹立たしい。あんな条件を突き付けてきたあの男も、それを飲んでしまった自分自身も、本当に腹立たしい。憎らしい。いっそ殺してしまいたいぐらいだ。


 ガンガンとソファを蹴りつけることでしか感情を発散できずにいた俺だったが、突然自分の尻を思い切りひっぱたかれて振り向いた。


「ハァ!? 何しやがる!」

「その辺でやめとけや。ソファが可哀想だろうが」


 尻を叩いてきたのはMIDIだった。こちらも苦々しそうな顔をしているが、俺よりは幾分か冷静なようで、ぽんぽんと俺の尻を数度叩いて宥めてきた。その様子に毒気を抜かれた俺は叩かれた尻をさすりながら、チッと舌打ちをしてヒイラギを見やったMIDIの視線を追った。


 俺たち二人に視線を向けられたヒイラギは引きつった笑いを浮かべながら、ずり落ちていた黒縁眼鏡を押し上げた。


「ええとですね、自分からあなた方が置かれている状況についてご説明しますね」


 どうぞ座ってください。


 そうやって促され、俺たちは二人掛けのソファに腰を下ろした。足を組んで、向かいに座ったヒイラギを見下すような姿勢になり、「……で?」と言ってやる。隣のMIDIも俺同様のポーズでヒイラギを見下していた。


 ヒイラギは冷や汗を拭いながら、長辺が20センチほどの電子端末を取り出した。ヒイラギが手をかざすと、電子端末の上に大きなホロが浮かび上がる。


「ご存じの通り、この街の楽譜の全ては『Melodious Music Rights Organization』略してMMROが管理しています。我々レーベルはそれを貸し出され、コピーバンドによる音楽言語という形で曲を皆様に提供しているわけですが」


 ホロの中にはMMROと書かれた円形が表示されている。ヒイラギはその中にどこかからの矢印を書き足した。


「電子天蓋に映し出されたあの少女。彼女が投影されたのと同時に、MMROはハッキングを受けました。多くの楽譜が――特に攻撃性の高い楽曲の楽譜が盗み出されたのです」


 今度はMMROの中からの矢印を書き足す。それを目で追っていた俺たちに、ヒイラギは意を決した様子で宣告した。


「あなた方には犯人の少女の居場所を捜し出してもらいます」

「はぁ?」


 思わずヒイラギ相手に凄んでしまう。ヒイラギはびくりと肩を震わせた。


「んなもん探し出すつったってどうやってだよ」

「ハッキングです」


 即答したヒイラギに俺は目を瞬かせる。それをいいことに、ヒイラギは言葉を続けてきた。


「mp3言語とWAV言語の違いは分かりますか?」

「まあ、なんとなくは……」


 ぼそぼそと答える。実際のところは感覚的にしか分からない。俺にはプログラミングの学がないのだから。それを察したのか、ヒイラギは再び端末の上に手をかざして、WAVとmp3の二つの文字を表示させた。


「いいですか、WAVは音楽ファイル、そしてmp3はその音楽ファイルを圧縮したものです。若干違いますが、WAVは生の音、mp3は圧縮加工済みの音とでも理解していただいて構いません」


 ヒイラギはWAVとmp3を交互に指しながら説明する。そこまではなんとなく分かる。本当になんとなく、だが。


 俺が理解したということにしたのだろう。ヒイラギは二つの単語を掴むとそのまま近づけてぶつけた。


「この街のプログラムはmp3で構築されています。ここにWAVをぶつけたらどうなると思いますか?」


 俺は組んでいた足を戻して身を乗り出した。


「どうって……mp3が影響を受けるんじゃねえのか? そっちの方が圧縮されてファイルが軽いんだし」

「その通りです。あなた方にやってほしいのはそれです」


 ヒイラギがパチンと指を鳴らすと、端末の上のホロは消え失せた。


「電脳空間にダイブしてWAV言語で音楽を奏で、立ちはだかるmp3言語たちを動かして情報を盗み出す。それがあなた方の仕事というわけです」


 あまりに情報密度が高い話をされて、俺はぱちぱちと何度もまばたきをする。自慢ではないが俺はそんなに頭の回転が速いほうではないのだ。しばらく固まった後、俺は口に手を当ててううんと考え込み、それからちらっとヒイラギを見た。


「……んなこと可能なのか?」

「できますよ。そのためのMIDIさんですから」


 場の主導権を握れたヒイラギは今まででは考えられないほど堂々と胸を張った。


「MIDIは楽譜と音源さえあれば、何でも奏でられる古代言語です。つまりあなたとMIDIさんが同調すれば、どんな音楽相手にもメタをとった曲が弾けるということです。原理上は」


 隣のMIDIを見やる。MIDIは相変わらず足を組んだままヒイラギを見下していた。


「相手もセキュリティ対策バンドを抱えているでしょうから、一筋縄ではいかないはずですが、きっとあなた方ならできると信じています」


 根拠のない自信でそう言いきられ、俺は何を返したらいいのか分からず困惑する。そんな俺たちにヒイラギは再び俺たちを窺うような表情をした。


「あと、これは上から知らされたことで、どこから出た情報なのかは分からないんですが……」


 ちらりとヒイラギは俺たちを見る。その視線の先にあるのは、スカートからショートパンツが見えてしまいそうなほど堂々と足を組んだままのMIDIの姿だ。


「MIDIさん。あなたの中にいるのは、Ruinsのボーカルのハバキさんですよね……?」

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