Bパート 最低!最低最低最っ低!!
「……は?」
ヒイラギの言ったことをゆっくりと噛み砕き、俺は隣に偉そうに座るMIDIへと視線をやった。MIDIはふんぞり返ったまま鼻を鳴らした。
「正確には本人じゃないさ。記憶と人格を保持した別人だ。本人はとっくの昔に死んでっからな」
「……へ?」
間抜けな声を上げてMIDIのことを凝視してしまう。だってたしかに言動はそれっぽいけれど、まさかこの幼女がRuinsのハバキさん?
信じられずにヒイラギを振り返るが、彼も「その通りですよ」とでも言いたそうな顔でうなずいている。俺は目を何度も瞬かせ、それから急に湧いてきた喜びで飛び上がるようにして立ち上がっていた。
「えっ、わあー!! ハ、ハバキさん!? あのハバキさんっすか!? 俺、大ファンで! 握手してください!!」
「やめろやめろ。だから別人だっつってんだろうがよ」
「まさか会えるなんて思ってなかったっす! わー! すごい!!」
「だから離せって!」
自分が何を言っているのかも分からないままMIDIの手を捕まえて揺さぶる。理由は何一つ分からないが、どうにも彼らの言葉に嘘はないように思えてしまっていたのだ。
感激した俺がMIDIのことを持ち上げて立たせ、さらにファンとしての歓喜の言葉を連ねようとしたその時、MIDIは大きく頭を引くと、俺の額に思いきり頭突きをしてきた。
「ったく、うるせぇ!」
「いでっ」
思わずMIDIの体を落とすと、MIDIはソファの上に立って俺に指を向けてきた。
「だから俺はハバキじゃねぇんだよ! 俺のことはハバキじゃなくてMIDIって呼べ。敬語もやめろ。次にハバキって呼んだらぶん殴るぞ!」
「もうぶん殴ってるじゃねぇか……いてぇ……」
額を押さえて俺はよろめく。すぐそばにあった机に足がぶつかった。その痛みで我に返った俺は、できれば気付きたくなかった一つの事実に気付いてしまった。
「ん? っつーことはさ」
「なんだよ」
震える指をMIDIに向け、俺はおそるおそる尋ねる。
「お前、中身はオッサンなのか……?」
「まあそうなるな」
飄々と答えたMIDIに俺はピシッと固まった。目の前の幼女はオッサンで? 俺はそんなオッサンの前で着替えを? しかも下着姿で歩き回って? その上、上半身裸で……?
「うわーーーーーーー!!」
「うるせぇな何だよ突然」
指を突っ込んで耳を塞ぐMIDIに俺は距離を取って叫ぶ。
「最低! 最低最低最っ低!!」
ひどい。本当にひどい。相手が幼女だと思ってやってきたことが全部オッサン相手だったなんて!
ぐるぐると回る思考の中、俺はふと思い出す。ついでにさっき尻も触られてた! がっつり触られてた!
「なんで、お前、えーーーーーー!?」
怒りが羞恥を上回り、俺はMIDIにつかつかと歩み寄った。
「な、なんで言わないんだよ!!」
「あ? 気付かねぇほうが悪いんだろ」
「さいてーーーーーっ!!」
*
ヒイラギの運転する車に乗って、俺たちはある場所へと向かっていた。外出禁止令の出た街には人っ子一人おらず、今から向かう場所に来ている三人も、メールで呼び出したりしなければ自宅にこもりきりになっていたことだろう。
ヒイラギが――というより、ヒイラギの上にいる公安局の人間によれば、この外出禁止令は、街を統治する政府によって発されたものらしい。フィーネという少女による宣言によって発令された警報のために、出動したマトンがあのような動作をしたらしい。というのが、公安局の見解だった。
――何故、政府のマトンにMIDIが追われていたのか。そして何故、公安局がMIDIを保護しているのか。分からないことだらけだったが、とりあえず俺には今一度確認しておきたいことがあった。
隣にシートベルトをしめて大人しく座っているMIDIに俺は声をかける。
「なあ、MIDI。本当にお前の中身はハバキさんなのか?」
「まあな。少なくとも俺が認識する限りではそうだよ」
「……じゃあなんでMIDIの中にハバキさんの人格があるんだ?」
人格が移植されるというのは珍しいが前例がないわけではない。音楽データとして残された記憶と人格が、別の機械に移植されたという話を聞いたこともある。
だけど何故それがMIDIなのか。そもそもどうしてMIDIにはこんな力が備わっているのか。尋ねたいことは山ほどあったが、そんな俺にMIDIは冷たく言い放った。
「知るか」
こちらに目を向けようともしないまま、MIDIは吐き捨てる。しかし思った情報が得られず落胆する俺に、MIDIは窓の外を見ながら言った。
「でもちょっと感謝はしてるぜ」
伏せかけた目を上げる。MIDIは口の端をわずかに吊り上げていた。
「もう一回この世を面白おかしくロックにできるだなんて最高じゃねぇか」
MIDIはこちらを振り向いて首を傾げた。
「たとえ利用されているだけだとしてもよ。俺は俺の音楽で世界を揺らすぜ。お前もそうだろ?」
手首を返して指さされ、俺は一瞬言葉に詰まり――それからにやりと笑った。
運転席のヒイラギが軽くため息を吐いたのが聞こえた気がした。
*
俺たちが向かった先は、いつも使わせてもらっているあのライブハウスだった。ヒイラギを車に置き去りにして、劣化加工を施されている階段を下って中に入ると、そこにはマツロワズのメンバー、ギターのクァンとベースのロンフェン、それからドラムのサングが俺たちを待っていた。
「おお。お前らがインのとこのバンドメンバーか」
俺が三人に声をかける前に、MIDIはつかつかとメンバー三人に詰め寄ると、下から舐めるようにして彼らの顔を眺めていった。
「名前と担当は?」
「は?」
「だから名前と担当を言えって」
三人は胡乱な顔になりながらも自己紹介をした。
「ギターのクァンだ」
「ベースのロンフェン」
「……ドラムのサング」
MIDIはそんな彼らの顔を眺めまわすと、口の端を持ち上げた。
「ふーん、まあまあの顔つきしてんじゃねえか」
「な、なんだこのガキ……」
「イン、こんなところに呼び出してどうしたんだ? 今は外出禁止令が出てるっつーのに」
「…………」
三者三様の反応をする彼らに、MIDIは努めて明るく言い放った。
「あーごほん。詳細は省くが、インは公安の犬として歌うことになった! ついてくる奴はいるか?」
伝えなければならないことをMIDIがあっけらかんと言ってくれて、俺は内心安堵していた。きっと、俺一人では、言えなかったことだから。
クァンはMIDIのことを凝視した後、困惑した顔で俺に視線を移してきた。
「な、何があったんだよ、イン。公安局だなんて……」
「俺にもよく分からねえ。ただ、運悪く公安に目をつけられちまっただけなのかもな……」
弱々しく言う俺に、クァンはそれ以上何も言えなくなったようで、黙り込んだ。
MIDIはそんな三人を見回して尋ねた。
「で、来るのか? 来ないのか? どっちだ?」
メンバーたちは顔を見合わせ、それから俺とMIDIを見た。一分経ち、二分経ち、それでも名乗り出る奴は一人もいなかった。
俺は無理をして三人に笑いかけた。
「そっか。まあ、仕方ないよな」
三人は何も答えなかった。俺は微笑んだまま首を傾けた。
「変なこと聞いてごめんな。俺、お前らと歌えて楽しかったよ」
そのまま踵を返して、ライブハウスを後にする。目の端に浮かんだ涙は、無理矢理拭ってなかったことにした。
どうしてこんなことになったんだろう。俺はあいつらとずっと歌っていたかったのに。
「すまねぇな、イン」
追いついてきたMIDIが目を伏せながら言う。
「お前が公安に目をつけられたのはきっと俺と一緒に歌えたからだ」
歌えたから。その事実が重く心にのしかかる。あの時歌ってしまったのが全ての始まりだった。だけど――
「お前とのタッグなら俺が演奏すると判断されたんだろうよ。巻き込んで本当に悪かった」
「……いいよ。もう済んだことだ。公安のためっつーのは気にくわないが、お前に歌わせてもらったあの歌は……結構楽しかったし」
そうだ。あの時、俺は確かに楽しかった。数年ぶりに楽しく自由に歌を歌えていた。だから。
「これからも好きに歌わせてくれるんだろ?」
MIDIに向かってニッと笑ってみせる。MIDIは少しびっくりした顔をすると、俺と同じようにニッと笑ってきた。
「任せな。俺が存分に歌わせてやるよ」
MIDIの宣言に、俺はそれが真実なのだと実感する。失ったものも多かったけれど、不思議となんだか晴れやかな気分だった。
背後から誰かが追いかけてくる足音が聞こえてきたのはその時だった。
「イン!」
振り返るとそこにいたのは、黒髪で目元を隠したひょろながい男だった。
「あ? テメェたしか、さっきのドラムくんか?」
ドラム担当のサングは俺たちに追いつくと、居心地悪そうに視線を斜め下にやった。
「その……」
サングは少しの間言いよどんだ後、意を決した様子で、俺に言い放ってきた。
「インを一人だけいかせるわけにはいかない。……いや、やましい意味はその、なくて、ただ俺がついていきたいだけっていうか、そういうのだから、別に下心とかはないから本当に!」
「へ?」
「え、えっと、だからその――俺も行く。インと一緒にバンドをやる」
俺はその答えに目を瞬かせ、それから笑顔で拳を突き出した。
「ありがとな、サング。お前がまたバンドメンバーになってくれて心強いぜ!」
サングはそれに拳をぶつけながら、なんだかちょっとだけ落胆しているようにも見えた。MIDIはそんな俺たちを見比べると、にやにやと笑って、サングの尻をバシッとひっ叩いた。
「頑張りな、青少年。こいつは手ごわいぞぉ?」
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