第62話 花束を受け取る彼に幸あれ

 九月某日、日曜日。


 さくらは少しの不安を抱えたまま、優の結婚式当日を迎えた。


「ネクタイが結べないんだが……これはどうやるんだ?」


「ああ、ちょっと待ってて。今、手が放せないの」


 煉の為に新調した冠婚用の礼服は、さくらが以前勝手に想像していた姿とは異なり、ホストにも怖い人にもならずに済み、見事に着こなしていた。


 普段は無造作にカットされたままの髪型も、今はさくらの手により、ワックスで綺麗に整えられ、隠れていた端正な顔立ちがあらわになっている。


 正直、結婚式に連れて行くのが惜しい。


 煉のことだし、ナンパの類いは皆無だろうけど、新郎の司さんより目立つのではないかと、不要な心配をしてしまう。


「……やっぱり。むっ!」


 そして、さくらは鏡に写った自身の後ろ姿を見つめながら、パーティードレスのファスナーと格闘していた。


 背中の途中で止まったファスナーを、何度も閉じようと奮闘するが、ほんの少しのアレが、邪魔をして閉じることが出来ないでいた。


 どうして、こんなデザインのドレスを買ってしまったのか。自分自身に対する不満の、ため息を溢す。


「おい。そろそろ時間じゃないか? 一体何をしているんだ。入るぞ」


「だ、ダメっ! まだ準備が出来てないの! 開けないでよ!」


 この日の為にダイエットはしてきたつもりだった。でも、煉の料理と食後に出されるデザートが毎回美味しく、結局のところ、密かに行っていたダイエットの成果は、あまり見られなかったのだ。


 無情にも煉の手によって、寝室の扉が開け放たれる。


「…………」


 背中に手を回し、懸命にドレスのファスナーを閉めようとしているさくらの姿は、煉の瞳に酷く滑稽こっけいに映ったのか。お互いに顔を見合わせ、その場で沈黙した。


「……だから、開けないでって言ったのに……」


「ファスナーは俺が閉めよう。前を向け」


 そう言いながら室内に入って来た煉に、さくらは俯きながらも素直に背を向けた。


 背中に煉の気配を感じ、羞恥と緊張感が走る。こんなにみっともない姿を、煉に見られるなんて思ってもなかった。きっと、呆れてるに違いない。さくらは諦念し、目蓋を閉じた。


 すると、熱を帯びた柔らかなものが背中に触れた。煉の吐息が首筋にかかり、反射的に身体が反応してしまう。


「……っ!」


「……色っぽいな」


「な、なにしてるの! 早くファスナー閉めてよ!」


 まさか、こんな時に煉から悪戯いたずらをされるとは思わず、さくらは赤面しながら、恥ずかしさを隠すように抗議する。


「お前はこんな姿で結婚式に行くのか? やはり、もう少し地味なドレスにするべきだ」


 一向にファスナーを閉めようとしない煉に、さくらは怒りを込めて振り返り、睨み付けた。


「こんな姿で悪かったわね。これしか買ってないし、仕方ないじゃない」


「いや、そういう意味じゃない。他の男達の視線に晒すのが嫌だと言ってるんだ。お前は俺の女だろう」


「な! こ、こんな時に変なことを言わないでよ! ばか!」


「変なことは言っていない。事実だ」


 こうして、二人が無駄な言い争いをしている間にも時間は刻々と過ぎていき、マンションを出る頃には、既に挙式開始間近となっていた。


 ◇


「間に合ったな」


「……はあ、良かった。間に合って」


 ネクタイをさくらに結んで貰った煉は、飄々ひょうひょうとした態度で、結婚式会場を見渡す。


 さくらはといえば朝からドレスのファスナーが閉まらなかったり、煉に振り回されたりと、散々な状況だった為、会場に到着した時にはすでに疲労困憊気味だった。


 無事に挙式開始時間に間に合うことが出来た二人は、受付を済ませて、教会内の指定された席に着く。


 そして、ほっとしたのも束の間。さくらの親友、優の晴れやかな結婚式が始まった。


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