第59話 未来を語らう

 煉が紅子の料理教室へ通い始めてから、早一週間が過ぎようとしていた。


 めきめきと上達していく煉の料理の腕は、最早、ちょっとした定食屋を営めるくらいの成長を遂げていた。


 日々、試作品と称してテーブルに並べられる煉の料理の数々に、さくらは嬉しく思う反面、少し困ってもいた。何故なら──。


「なんか、太った気がする……」


 出勤前。さくらは洗面所の鏡の前に立ち、自身の顔を色んな角度から眺めていた。


 頬の肉付きが以前よりも少し、ふっくらとしているような気がしないでもない。顎を引くと、ぎりぎり二重顎にはなってはいないものの、鏡に写された自身の姿に、何故か言い様のない焦燥感に駆られる。


 ──このままでは確実に、どんどん太ってしまう……気がする。


 焦りを覚えたさくらは客観的な意見を聞くために、洗面所を抜けて、朝食の後片付けをしている煉の後ろ姿に声を掛けた。


「ねぇ、煉。もしかして私って、少し太ったかな?」


 どうか、私の思い違いでありますように……。

 

 という、さくらの切なる願いも虚しく、布巾ふきんを片手に振り返った煉は、さくらを一瞥した後、正直な感想を口にした。


「あ? ……そうかもしれないな」


「う……」


 やっぱり、そうなんだ……。私、いつの間に太っちゃったんだろう。体型維持には気を付けてたつもりなのに。


「どうかしたのか」


 煉はさくらの様子を不思議に思い、小首を傾げる。


「……何でもない。お仕事、行ってきます」


 太ってしまったという事実にショックを受けたさくらは、最早何も答える気力はなく、どんよりとした気分のまま会社へ向かった。


 ◇


「あ」


 午前の業務を終えて昼休みに入り、さくらはいつものようにバッグから、煉お手製の弁当を取り出そうとする。が、しかし、肝心の弁当がバッグに入っていないことに気がつく。


「どうしたの?」


 優に問い掛けられ、視線を上げて答える。


「お弁当忘れてきたみたい……」


 どうやら、今朝のショッキングな出来事が原因で、お弁当の存在をすっかり忘れてきてしまったらしい。


「優は今日、お弁当?」


「ううん。社食だよ。一緒に行く?」


「そうする」


 お弁当を忘れて来てしまったのなら、仕方ない。後で煉に謝罪のメールを入れて、今日は食堂でお昼を済ませよう。


 さくらはオフィスチェアから立ち上がり、財布を手にして、優と共に社員食堂へ向かった。



 そして、珍しいことに今日の社員食堂は何故か混雑していた。


「え? どうしてこんなに混んでるの?」


「夏バテ対策メニューが、社員の間で、ちょっとしたブームになってるの。だからだと思うよ」


 優に手招きをされて後をついて行くと、食堂内に設置されている、黒板式のミニ看板が目につく。


 食べやすさ重視、さっぱり定食。と、スタミナ満点、がっつり定食。の二品が看板に大きく宣伝されていた。


「あ、今日はソルトシャーベット付きだって。美味しそう」


 優はメニューを指差して、さくらを見上げる。


 さっぱり定食は女性社員に人気があるようで、周りの女性社員達は、こぞってその定食を選んでいた。反対に、男性社員はがっつり定食を選んでいる人が多く見受けられる。


「やっぱり、カロリーが低いのは、さっぱり定食かな?」


 不親切なことにメニュー表には、カロリーのことまでは記載されていない。油を使った肉定食と、野菜中心の定食。見た目からしても、さっぱり定食の方が、やはりカロリーは低そうだった。

 

「んー。どうだろう? カロリー気になるの?」


「えっと……少し、ね」


 本当ならば、がっつり定食を注文したい。けれど、今はカロリーという単語そのものが怖い。カロリー恐怖症に陥ってしまいそうだった。


 メニュー表の前で数分間悩んだ結果、さくらは優と同じさっぱり定食を注文した。


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