第46話
一つだけ、心当たりがないこともない。
だが、あんな極僅かな一滴の血液に一体何の効力があるというのか。そう思いながらも、煉は躊躇いがちに結論を口にする。
「さくらが指先を切った時の血なら舐めたことがあるが……」
あれは何時の日のことだったか。煉が、さくらにカレーの作り方を教えようと躍起になっていたときだ。
具材の下準備をしていたさくらは、包丁で左手の指先を負傷し、煉は反射的にその血液を口に含んだのだ。
さくらの血液を口にした時の違和感は、この事だったのかと今なら合点がいく。
血液に甘味を感じたのは、さくらの血が何か特別なものだったからに違いない。
『……なるほどな、原因はそれかもしれない。それが引き金となり、お前の不死身の効力は消えた……』
「意味が解らないんだが。そもそも、お前はどうして此処にいる?」
白髪の男と会話をしている間も、さくらは目覚めることはなく、穏やかな寝息を立てている。余程、疲れているのかもしれない。
しかし、煉の疑問は最もだった。
何故、不死身にした張本人が、同じく時代を越えて現代にいるのか。
『それを話すとなると、途方もなく話が長くなるのだが……』
「勘弁してくれ。こっちは病み上がりなんだ、手短に頼む」
男は腕を組みながら、少し困惑した表情を浮かべて答えを濁す。煉はうんざりした様子で、ため息を吐いた。
只でさえ、一週間程眠ったままでいたため、身体のあちこちが凝り固まっているような感覚に思わず顔をしかめる。
『……生身の人間に戻ったんだ、お前は。愛した女性の一部、つまり、血や肉を身体に取り入れることによって、不死身の効力は無力化されるようだ……何とも浪漫的な話だが。人を愛することを忘れ、死ぬことばかりを追い求め続けていた私には、到底叶うはずのないことだったな』
「…………」
要するに、相思相愛でなければ、この呪いは未だ解けずに、永遠に自身を蝕み続けていたというのか。
長年、解決方法を探し求め続けていたものが、こんなに身近なことだとは思わず、盲点だった。
そうか、なら、さくらは俺のことを……。
今さらながらに、さくらの想いに気付く。
暫しの静寂が二人の空気を満たした。男は病室の天井を仰ぎ見ると、やがてゆっくりと自身のことを語り始めた。
『……心から愛し愛された男女の絆は、想いというのは、何にも代えられないほど偉大だ』
男は優しく微笑み呟く。なのに、その笑顔は何処か悲しげで、煉は、まるで昔の自分を鏡越しに見ているかのような錯覚に陥る。
『……少し、昔話をさせてくれないか。気付いていると思うが、私にも不死身という呪いが掛けられている。恐らく産まれたときからだろう。私はこの呪いを解くために、数え切れないほど様々なことを試行錯誤した。
だが、それでも、この身は変わらず朽ちることはなかった……。年老いることも出来ずに、ただただ、永遠に永い刻を過ごすというのは、気が狂いそうになるほどに、とても辛かった……』
同族としての同情だろうか。男の話を聞き、煉の心に芽生え始めていた複雑な感情は、ゆらゆらと揺れ動く。
俺自身、何度、世界を恨んだか分からない。
どうして、願ってしまったのかと。
死ねないということは、こんなにも辛く苦しいものなのかと、ずっと嘆き喘いでいた。
人は皆、永遠の命と若さを願い求める。
永遠を願うことは自由だ。だが、叶った時の代償を皆は知らないのだ。
孤独に生き続ける悲しさと、大切な人を見送り続ける苦しさを。
『周りから、世界から、私だけが切り取られ、見放されたような気分だった。
死ねる人間が羨ましかった。同時に妬ましくも思った。どうして、私は死ねないのだと。もう、生きるのは疲れたと何度も何度も、願っても誰も私を殺してはくれない。
そして、何百年も生きながらえ思考した果てに、私はお前を身勝手に不死身へ変えたのだ。身代わりになればいいと……』
「だが、ならなかったんだな。身代わりに」
『そうだ』
男が身勝手に願った想いは、そのままの形で煉へと受け継がれてしまった。
それが、不の連鎖の始まりだった。
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