第19話 実は万能

 遡ること数日前。


「家にいて何もするわけにもいかない。料理と掃除くらいなら俺が受け持とう」


 ある日の休日。煉はリビングのソファーに座ったまま唐突にそう言った。


「へ? 料理とか出来るんですか?」


 そんなまさか。とさくらは胸裏で思いながら訝しげに煉を見る。だが煉は腕組みをしながら、実に自信ありげな表情をしていた。


「ああ。任せろ」


 そう言うなり煉は立ち上がると、冷蔵庫へと直行する。が、さくらはそこで"とあること"を思い出し慌てて煉を制止しようとジャージの裾を思い切り引っ張る。


 だめっ!! そこは開けたら……。


「なんだ。せっかくの服が伸びるだろう」


 いや、そうなんですが。それよりも、だめなんです。そこを開けては……!!


 煉はさも不機嫌な顔で振り向くと、さくらに引っ張られているジャージの裾に手を添える。要するに『手を離せ』という煉なりの意思表示だろう。


 だが、さくらのそんな抵抗も虚しく、冷蔵庫の扉は煉の手によって開け放たれてしまった。


 刹那の沈黙。


「……前々から思っていたんだが、お前は酒を飲み過ぎではないか?」


 冷蔵庫の中身がものの見事にビールオンリーという状態を目にし、先に重々しく口を開いたのは煉だった。呆れている雰囲気がひしひしと伝わる。


「……お仕事終わりのビールは格別ですよ……」


 何の言い訳にもなっていなかったのは、さくら自身が一番よく理解している。だが、言わずにはいられなかったのだ。


「……はぁ。身体に悪い。毒も少量なら薬になり、薬も多量なら毒になる。アルコールの飲み過ぎは良くない」


 ごもっともなことを言われ、さくらは何も返す言葉がなかった。仕方なく今は煉の言うことに従う。


「すみません……」


 そもそも、どうして私は怒られてるんだろう。ここの冷蔵庫の主は私なのに……。


 胸裏で小さく悪態をつくも、煉に口答え出来るはずもなく悄気る。


 時折、煉は酷く年寄りめいた言動を口にする。先ほどの言葉も、その一つだった。そして思い返せば煉の言葉使いも若者にしては少々独特だと、そのとき初めてさくらは気がついた。


 身体の傷痕や言葉使い。煉を知れば知るほどに更に不思議さが増していく。


 でも悪い人ではないと思う。そんな根拠のない自信を胸に秘めながら、さくらは何やら考えこんでいる煉を眺めていた。


「まずは買い出しをしよう」


「買い出し、ですか」


 どうやら煉は本当に料理を作るつもりらしい。


 さくらは少し不安を覚えながらも、煉と共にスーパーへと向かったのだった。


 ◇


「カレー……」


「カレー?」


 回想から引き戻されたさくらは、箸を持ったまま優に問い返され我に返る。


 先ほどさくらが無意識にカレーと呟いてしまったのは、あの時実際に煉が作ったカレーが本当に美味しかったことを思い出していたからだ。


 本当に料理が出来るとは思わなかった。意外すぎる。


「ううん、何でもない」


 二人の話を全然聞いてなかった。何を話してたんだろう。


「営業課は体力仕事だよ。頑張ってね」


「はい。これから、上司の方や先輩達に鍛えてもらいます」


 優に励ましの言葉を貰った八重樫は、嬉しそうにハニカミながら意気込みを語っていた。


 本当に変わってないなぁ。八重樫くんは。


「それじゃ、お先に失礼します。……さくらさん、また後で」


「え? うん。お仕事頑張ってね」


 先に食事を終えた八重樫は、トレイを持ってさくら達から離れていく。


 そんな後ろ姿をぼーっと眺めていると、横から不意に頬をつつかれる。振り向くと優は不思議そうな表情をしてさくらを見つめていた。


「何?」


「もう仲良くなったの?」


「違うよ。後輩だって言ったでしょ」


 後輩だというのは嘘じゃない。ただ、大学生時代にちょっとした出来事があり、八重樫が一方的に、さくらを慕っているだけのことだ。


 というより、優。本当に八重樫くんのこと覚えてないんだね……。


 さくらは苦笑しながら、回想で箸が止まり、手つかずのまま残されていた定食を再び食べ始めた。

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