第16話


「……うるさい」


 シャワーを浴び終えた煉は、リビングの入り口に立ったまま、さくらの叫声を聞くなり、思い切り眉間にしわを寄せて不愉快そうにさくらを一瞥する。


 さくらは下着姿の煉の大胆な姿を目撃し、恥ずかしさで慌てて正座している自身の太腿に視線を落とし、目蓋を閉じて抗議した。


「な、何で服着てないんですか!!」


 この人には羞恥心ってものがないの!? どうして、そんなに他人の自宅で堂々としていられるのよ。


 心の中で煉には直接言うことが出来ない、非難の言葉の数々が次々と湧き上がる。


「無いからだ。お前、俺の服をどこにやった?」


 少し不機嫌そうな煉に問い返され、さくらはハッとした。そういえば彼がシャワーを浴びている最中に、服を洗濯機に放り込んでしまった。


「…………洗濯中です」


「何? 俺は着替えを持っていないんだが」


 だって、と胸裏で言い訳をしながら、さくらは項垂れたまま猛省する。


 余計なお世話だとは分かっていた。だが、煉の服の汚れが気になったさくらは、彼が着替えを持っていないことを失念したまま、服を洗濯してしまったのだ。


 怖さと煉の裸を見た恥ずかしさが、ない交ぜになり今更ながらに冷や汗が全身から滲み出す。


 どうしよう……。また、勝手なことをしてしまった。


 そう思考している間に、煉がさくらの隣に腰を下ろした気配がして、顔を上げられないまま、びくりと小さく震える。


「仕方ない。今日はこのままで寝る」


「え? ね、寝るって……」


 『寝る』という言葉に何故か過剰に反応したさくらは、思わず顔を上げ煉の方へと振り向いた。


 まだ乾いていない濡れた髪の毛から覗く煉の鋭い視線と、羞恥で顔を紅に染め上げたさくらの視線が交差した。


 一瞬の静寂しじま


「……え……」


 再度ゆっくりと煉を見上げたさくらは、驚きで眼を見開き言葉を失った。目の前の煉の姿に動揺し言葉が出なかったのだ。


 先程は羞恥で直ぐに視線を逸らしていたため、気がつかなかったが、煉の身体には痛々しい傷痕が無数に刻まれていた。


 今までは服に隠されて、見ることの無かった煉の身体に残る無数の傷痕。


 その中でも一番大きく目立つのは、首筋に一線に残された皮膚を雑に縫合されたような痕と、腹部にはまるで切腹をしたような大きな創傷痕があった。


 な、に……これ……。どうしたら、こんな傷痕が出来るのよ。怪我をしたなんて問題レベルの話じゃない。


 さくらの視線が傷痕に向いていることに気付いた煉は、何時もと変わらない声音で問う。その瞳には微かな落胆の色が、寂しさが見え隠れしていた。


「怖いか、俺が」


「……いえ、怖いとかじゃなくて……。その、痛くないんですか……」


「あ? ああ、痛みはない」


 さくらは心配そうに煉の顔を見つめると、視線をそのまま傷痕へと移す。

 

 初めて煉と出会った、あの日。


 煉は頑なに病院へ赴くことを拒んでいた。その理由を今になって気付く。


 もしかすると煉は、身体に刻まれた酷く痛ましい、この傷痕を誰にも見られたくないがために、病院で治療を受けることを拒んでいたのではないか。


 そう思うと安易に傷痕のことを聞いてはいけないような気がして、さくらは口を噤む。


「すまない。嫌なものを見せてしまったな」


「嫌だなんて思ってません!」


 何処か諦念しているような煉の声の響きに、反射的に語気を強めて返事を返す。


 当然、驚きはあった。でも、それよりもさくらが今一番気に掛かるのは、煉のその表情だった。


 どうして、そんな風に全てを諦めたような、泣きそうな顔をしているの。


「……やはり、服が乾いたら出て行く」


「だ、だめっ!」


 そんな、捨て猫のような表情をされたら、私……。


 さくらは深く思考する前に思わず、そう口走っていた。煉は僅かに眼を見開いたが、直ぐに何時もの無表情を保つ。


「どうしてだ? 俺が出て行こうとお前には関係ないだろう」


「それは……そうですけど。でも……」


 どう伝えたら良いのだろう。煉に向かって可哀想だから、なんて言ってしまったら、確実に煉は怒ってしまうに違いない。でも。それでも。


「……放っておけないので」


 逡巡した結果、さくらはこう一言するのが精一杯だった。


「おかしな女だな」


 さくらは恐る恐る煉を見上げると、煉はさくらを見つめ返し、少し照れた表情をして破顔していた。

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