第26話 キズナ(前編)

 上から心臓を震え上がらせるような音が響く。列車が通過したのだろう。川沿いの高架下で彼等は息を潜めていた。

「大丈夫だよ、ノブ」

 ハルは、目元に勇気を宿しながら笑った。

「ノブは、僕が守るから」


 時間は、前日に遡る――





 *****





 施設に残っていた患者と、施設外に出ていた患者がある一ヶ所に集められた。A山県の隣に位置する県に存在していた、『みらい』の隠し施設だった。完全な地下シェルターになっていて、如何なる災厄が『みらい』を襲った際に分離症患者が避難する場所として、と同時に患者を隔離する施設として機能する予定だったものが初めて使われた。



「えー、皆さん。お静かに。騒がないで」

 意味がわからないままこんな場所に集められて、施設の中が雑音にまみれるほど誰もが困惑していた。そんな皆の騒ぎを落ち着かせようと若い男性職員がスタンドマイクの前で声を張り上げている。確かあの人は四月のガイダンスでも司会を務めていた気がした。幸田さんだったっけ。

「なあ、ハル」

 ノブが俯いたまま僕に声をかけた。

「俺たちさ、これからどうなるのかな……」

「……」

 返事が出来なかった。どう返せばいいのか、どの言葉を選んでもノブの心の闇を深くさせてしまう、そんな風に思われた。

「あなたたちに、伝えなければならないことがあります!」

 キーンと、マイクが反響する。耳を射抜くような不快音が喧噪な空気を一気に冷やして場を静めた。

 みらいのセンター長を務めている寿留美子。この人もガイダンス以来だった。張りつめた表情で僕らをキッと睨んでいるようでもあった。

「……現在、『みらい』の施設内において、緊急事態が発生しています。あまり詳しいことはここでは言えませんが、あなたたちはしばらくの間ここにいてもらうことになります」

 会場中が再びざわつく。どの患者も母体と片割れで手をつないだり、身を寄せ合ったりしていた。

「それで、今から母体と片割れで、部屋を振り分けたいと思います」

 一瞬、会場が静まり返った。え、どういうこと? そんな言葉が誰の顔にも浮かんでいた。母体と片割れを引き離す。そういう意図がセンター長の顔つきから見て取れた。

「なんで母体と片割れを分けるんですかー?」

 前の方に座っていた一組の患者が手を挙げて質問を投げる。センター長は偽物のような笑顔をつくって、静かに答えた。

「それはですね、片割れに対してちょっとした調査をするために――」

「もうはっきり言いましょうよ!」

 センター長の発言を途中でぶった切るように、その台詞は突然ステージ台の上に放り込まれた。何事かと困惑しているセンター長をよそに台へと上る階段を駆け上がって一人の男性職員がステージの中央までやって来た。すぐさま他の職員が男性職員をステージから降ろそうと動き始めた。しかし、男性は引きずり降ろされる前にその言葉を言い放った。

「お前たちはこれから殺される!」

 ノブが僕の手を強く握った。

「片割れが暴走したから、まだ目覚めてない奴らもまとめて隔離されるんだ! 逃げろ、早く逃げろ!」

 男性職員の口が大きな手で覆われ、そのまま彼は床に押さえつけられ動きを封じられた。ほとんどの患者がすぐには情報を飲み込むことができなくて、ただ固まっているだけだった。

 僕はノブの手を引っ張った。ノブは僕に腕を掴まれて立ち上がった。僕ら二人は誰よりも早く駆け出して、職員たちの間をすり抜けて扉を開けた。運よく鍵はかけられていなかった。

 ――ハルさん!

 リンさんの声が聞こえた気がした。

 僕はこの半年間で様々な出来事に遭ってきた。心から親友だと思える、仲間もできた。あんなに楽しいと思えることはこれから先にはないんじゃないかと思える。

 ありがとう、雨宮優香里さん。ありがとう、新倉俊樹。

 僕は、須藤晴信は――自分を見捨てないことを選ぶよ。


 その後、親友たちがどうなったのか、僕はだいぶ後になってから知ることになる。




 *****





 暴動を起こした、覚醒した片割れの集団は神獅子山を下山していって『分離症患者支援センター みらい』を襲撃した。彼らは強い殺人衝動にその身を任せ、様々な凶器を持って職員たちと施設に残っていた患者たちを殺していった。何とか彼らの襲撃から逃れた職員と患者は隣の県にあるみらいの『緊急時避難施設』に逃げていった。そこでセンター長を主導とする職員たちはまだ目覚めていない片割れに対して「特別警戒」を行うことを決定。『緊急時避難施設』にあるいくつかの部屋に片割れをすべて収容し、母体から距離を置かせる。そして目覚めの兆候がある者に対しては、処分することが即席の緊急会議で決まった。毒薬を何らかの手段を用いて飲ませて静かに死なせるのである。研究の成果によって、目覚めた片割れは互いに同調し、よりその凶暴性を増すことが明らかになっていた。一種の大衆乱舞に近い、マス・ヒステリアのような状況を防ぐためにも危ない芽は早めに摘まれることになったのだ。しかし、職員たちも決して一枚岩ではない。なかには響のような考えをもっている者も存在していた。そんな一人の職員は、センター長の発言を黙った聴くことができなかった。今から秘密裡に殺人が行われようとしている。そんなことが許されるだろうか。確かに覚醒した片割れは危険な存在ではる。だが、だからといって彼らに人権などないというのか。ましてや目覚めていない片割れは……そう思った瞬間、男性職員は駆け出していた。子供たちを鳥籠から逃がそうとしたのだった。




 *****




 響は虚ろな目で空を眺めていた。隣には先ほどまで響を殺そうとしていた片割れの死体が転がっている。彼女から奪ったナイフで彼女の胸を深く突き刺した。

 初めて人を殺したなあ。響はなぜかその事実を真っすぐに受け止めることができていた。自分でも驚くほど落ち着いていた。アスファルトの地面に仰向けになって転がって、隣から風にのって漂ってくる血の匂いを鼻腔で感じていた。

 響と少女が交戦している横を、何人もの少年少女が荒ぶるように通り過ぎていった。幾人かはこちらに視線を寄越してきたものの、少女に加勢して響を襲ってくることはなかった。彼らは「真の目的」のために下山しているように見えた。おそらく『みらい』に向かったのだろう。そんな気がした。

 この少女は完全に殺人衝動に呑まれていたのか、職員を殺したあとすぐに響に対して殺意を向けた。見境なく人を殺したかったのか。今となってはもうわからない。

 響は静かに体を起こした。まだ、彼にはやることが残っていた。

 ヒナタに会いに行かなくちゃ。

 ヒナタが施設にまだいるのかどうかは分からない。けど、先ほどの集団の中に響の姿はなかったように思う。いたら真っ先にこちらに反応していただろう。だからおそらく、まだ山頂の施設に残っているはずだ。

 一歩前に踏み出したその時、道のカーブの先から二人の人影が姿を見せた。

「あ……」

 響は思わず声をあげた。その人影は彼がよく知る人物だったからだ。一人はヒナタだった。そしてもう一人は。

「あら、響くんじゃない」

 白鳥文だった。

「し、白鳥さん? なんで……」

 二人は響に近づいて行き、少女の死体を挟んで両者は対面した。

「よう、ヒビキ……久しぶり」

 ヒナタは舌なめずりをするようににんまりと不敵な笑みを浮かべた。

「響くん。私、ついにやり遂げたの」

 白鳥文は高らかに声をあげ、両腕を大きく広げてみせた。彼女は今から演説でもするかのような勢いで語り始めた。

「私はずっと思っていた! 片割れを人として扱わないこの世の中に対して、ずうっと憎しみを抱いていたの! 今まで隠してきたけれど、響君の一件があった、あの時からずっとよ。母体を悲しませないためにも、片割れが幸せにありのままでいられる、生き生きとした環境を私は用意してあげたかった」

 彼女の語りには一切の淀みもなく確かな意志をもって言葉が紡がれていった。

「やっとね、その決心がついたの。片割れの子たちを解放してあげたわ。そしたら見て、あの子たちは目を輝かせて復讐を始めたの。そりゃそうよね。今まで散々自分たちを痛めつけてきたんですもの。憎しみを抱かない方がおかしいわ!

 私は心臓を刃で深刺しにされた研究者を見て確信した。自分のやったことは間違いじゃない。正しかった、私はいいことをしたってね!」

 狂っている。響はそう思った。この人はもう思考というものを放棄している。考えるのをやめた大人だ、この人も。結局、そうなんだ。皆、大人ってやつは……

「白鳥さん、そろそろヒビキを殺したいんだけど」

「そうね。それじゃあ響君。ヒナタ君のために犠牲になってあげて。それで彼が喜ぶなら、良いでしょ? だって、同じ自分なんだから」

 ヒナタが死体を踏んだ。響に一歩近づいた。ヒナタが手に持っているメスを構える。その時、響は顔を上げた。

「結局、あなたは諦めたんですね」

 白鳥文の顔をしっかりと見ながら言った。

「あんたも同じだよ、施設の職員と同類だ!」

 白鳥文の顔が震え始めた。響の真っすぐな瞳が彼女の心を射抜いていった。自分の信じていたものを崩されそうになった彼女は響の発言に耳を塞いだ。

「だってそうでしょ、あなたは逃げたんだ! 考えることをやめて、不条理に従った、あなたは特別なんかじゃない、汚い大人の一人だよ!」

「おい、ヒビキ、俺を無視すんな」

「ヒナタ、お前もだよ!」

 響は、片割れに対して叫んだ。

「お前は俺なんかじゃねー! 俺は荒木響で、お前はヒナタだ! イカれた殺人野郎だ! お前なんかに、俺の人生はわたさねえーー!」

 逆上したヒナタはその勢いのまま響につかみかかり、メスを突き出した。響の体は後ろに引かれ、彼の前に大きな影が現れた。ヒナタのメスはその大きな影に突き刺さり、崩れていった。

「え……」

「くそーーーーー!」

 二階堂秀則は刺された腹の痛みをこらえながらヒナタに対して思いっきり殴りかかった。顔面に衝撃を受けたヒナタは後方に崩れ落ちていった。二階堂は響の腕を掴んで走り出した。

「せ、先生?」

「いいから逃げるぞ! 響!」

「先生っ! その、血が」

「うるせー、こんなの何とでもなる!」

「なんで、こんなところに……」

「白鳥さんが、管理施設に向かって行ったってつう目撃情報が噂で流れてきたんだ。だから気になって来たんだよ!」

「今、『みらい』って」

「ああ、くそ大変なことになってるよ!」

「なんで逃げなかったんですか……」

「さあな。けどまあ、お前を救えたから、結果的に良かったんじゃないか?」

 二階堂の腹からは血が滲み出ていた。出血を早く止めないといけないが、それでも走るのをやめたらきっと追いつかれる。

 響の目に涙が浮かんでいた。二階堂の顔には、やっと生徒を助けることができた、そんな満足をしているような笑みがほんのりと浮かんでいた。





 *****




 僕は走り続けた。ノブと一緒に。みらいカードのおかげでお金にはこまらないから、駅に着いたらそのまま特急の電車に乗り込んだ。

 そうして僕ら二人は北を目指した。どこまで行けるかは分からない。途中で捕まってしまうかもしれない。それでも僕は、運命が許してくれる最後の一瞬まで、ノブと一緒にいたかった。

 東京まで戻ってきた。ここからさらに列車をつかって北を目指す。誰の目にも届かないような、そんな場所を探して。

 ノブの覚醒の時は、すぐそこまでやって来ていた。








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