第24話 告白
江ノ島の岩場は、うっかり気を抜くと濡れた岩に足を滑らせてしまう。
潮溜まりには小魚や小さな蟹が生息していて、よく目を凝らして足もとを見れば、そこにはフジツボがびっしりと生えている。
「フジツボって、生きものでしたっけ?」
リンさんがふいに僕に訊ねてくる。
「うん、確かそうだったはずだよ? ねえ、トシ」
「いや、俺はよく知らんし。『ねえ』と言われても」
「フジツボは生きものだし、甲殻類だよ」
僕らの間に、ノブがすんなりと会話に入ってきた。額にかかっていた前髪が潮風にあおられて揺らめいていた。
「え、てことはカニとかエビの仲間なのか?」
「そういうことになるね。昔は貝の仲間だと思われていたらしいけど、研究が進んで今の分類になったらしい」
「まあ、そりゃ……こんな奴がカニとは誰も思わねえだろうな」
若者が四人並んで岩にこびりつくフジツボを眺めている。端から見たらなんとも不思議な光景だろう。
「ねえ、リン」
何時の間にやらユカさんがリンさんの後ろに立っていた。呼ばれたリンさんは自然に体が反応したかのように振り向いた。
「ほれ!」
「きゃっ!」
甲高い、短い悲鳴をあげてリンさんが後ろに仰け反った。僕の肩にぶつかりそうだったので、慌てて体の向きを変えてリンさんを受け止めた。
「あっ……すみません、ハルさん」
「あ、いや……気にしなくて、いいよ」
「あらあら~ごめんね~」
ユカさんがニヤニヤしながら僕らを見つめている。その手には小さなヤドカリが足をわしゃわしゃと動かしていた。
「ぐぬ……」
なんか後ろから歯ぎしりする音が聞こえたのは気のせいかな。
「おい、ユカ。ちょっと今のは危ないぞ」
ノブがユカさんに近よりたしなめた。
「ごめんって。少しからかいたくなっちゃいてさ。二人を」
二人とも僕らに向けて視線を送る。何だかこそばゆい。何なんだ、さっきから……。
「お前らはいつまでくっついてんだよ!」
トシの一言で僕らが注目を浴びている訳にはっとした。リンさんは謝りながら慌てて離れ、僕も肩を受け止めていた両手をぱっと離して少し後ずさる。
「お前らだけいっちょ前に青春してんじゃねえよクソが……」
隣からドスの効いた声が耳に届いた。
「ユカ……やめてよ、ほんとに」
「はいはい、今度から気をつけますよ」
ヤドカリが潮溜まりに帰っていく。ポチャンと水中に沈んでいき、暫くは貝殻から姿を現さなかった。数秒の後、ニョキッとハサミが出てきてそのままてけてけと岩の割れ目へと身を隠してしまった。
「あれ、そういや……シキはどこ行った?」
ノブが辺りを見回す。欠けていたメンバーの存在を、今更ながら皆思い出したかのように周りに目線を配った。
「あ」
何かを発見したらしいトシが波打ち際の方に向かって歩き始めた。彼の行く先には、数名の女性と一人の男が、ちょうど太陽の光によって逆行となり、影になって戯れている様子が確認できた。
トシが男の影を一発殴り、そのまま男を引き連れてこちらに戻ってくる。影の正体はどうやらシキだったみたいだ。
「お前、せっかく、もう少しでアドレス交換できそうだったのに!」
「るせえ! ナンパしてんじゃねえよ!」
「何をカリカリしてんだお前。普段より厳しくねえか?」
「知るか!」
二人のやり取りを見て、皆が笑った。
先程から、ゆっくりと日が傾きつつある。直に、海面が紅く染まっていくだろう。
真実を告白するその時は着々と迫っている。
「あ、只今戻りました」
「お帰りなさい」
僕らは江ノ島内にある、民宿に戻ってきた。
江ノ島を巡る前に、荷物だけ先に部屋に置かせてもらっていたのだ。
二泊三日、この宿にお世話になる。
高級な旅館やホテルにはあえて泊まらなかった。外出許可期間中は僕ら分離症患者は全ての料金を払わずに済む。僕らが外で使った金額は、全て施設が後で払い、負担してくれる。なんとも大盤振る舞いな話だ。
だから、べつに高級旅館やホテルに泊まっても良かったのだが、そこは料金を代わりに払ってくれる施設に何だか申し訳ない気がした。
虚構の楽園をつくっている施設に、そこまで気を遣う必要はないのかもしれないけど。
「夕食は七時からだからね」
「わかりました。ありがとうございます」
民宿の家主さんは、気さくなおばちゃんで僕らを見て最初は戸惑いの表情を浮かべたものの、何かを思い出したかのような顔になり、事情を察してくれたようだった。
分離症患者は少しずつ、その存在が知られていっている。
「晩飯までなにすんべ?」
どかどかと階段を上がっていく。
「とりあえず明日の日程……は、晩飯の後でいいか」
「UNOでもやってようよ。私もってきたし」
「うんじゃ、それでいいか」
階段を上がりきり、一旦は男女別にわかれた部屋へ皆消えていった。暫くしてから雨宮組が男子の部屋にやってきて、夕飯までの暇潰しが行われることになった。
*****
「……騒がしいな」
職員室にて仕事を片付けている最中だった二階堂は、ふと外のざわつきが気になった。廊下を数人が慌ただしく行き交う人影が見える。一度背中を伸ばし体をほぐしてから、徐に彼は席から立ち上がった。
「どうしたんですかね?」
隣の席の若い女性教師も、外の様子が気になっていたのか二階堂に話しかけた。
「さあ……ちょっと確認してきます」
そう言って彼が職員室から出ようとした瞬間、東側の扉が勢いよく開かれた。
「た、大変だ!」
眼鏡をかけた五十近い年齢であろう男性教師が、息絶え絶えに叫んだ。
「ど、どうしたんですか中島先生⁉」
「目覚めた片割れが、反乱を起こした‼」
*****
一瞬、何がおきているのか分からなかった。
『片割れ覚醒者管理施設』が見えてきて、そろそろか、なんて思った矢先だった。
ふらふらと、何者かがカーブの先から姿を現した。覚束無い足取りで、額に手を当てながら呻き声のようなおどろおどろしい声を発していた。
「う……あ……」
相手は俺を認識すると怯えたような、それでも必死に何かを訴えるような目つきでこちらに迫ってきた。
「く、くる……な……」
相手は施設の研究員であることがわかった。白衣に絵の具を垂らしたかのように真っ赤な血が伝っていた。その血は額からあふれでていて、押さえている手の指の隙間からも滲み出て防ぎきれていなかった。
「は……?」
やっと出た言葉がこれだった。血だらけの男を前に、体が固まったまま動かなかった。
「い、いか、ら……に、にげ……」
男は膝から崩れ落ちて、そのままアスファルトの地面に倒れ込んだ。
「お、おい」
金縛りが解けたみたいだった。男が倒れたと同時に、体にピリッと電流が走った感覚に襲われた。
おそるおそる膝を曲げて、伏せて動かない男に手を伸ばそうとした。
前方に、誰かの気配を感じた。
顔を上げる。目の前に、包丁を持った自分と同い年くらいの女子が立っていた。
「はっ……?」
また、すっとんきょうな声が出た。
「はは……」
ボサボサ髪の彼女は、狂気に満ちた表情を浮かべた。
そして、包丁を高く掲げ、降り下ろした。
*****
「いやー、うまかったな晩飯」
壁に寄りかかり、腹をさすっているノブがふと呟く。ハルは窓際に座りこんで、暗い相模湾を見つめていた。
「シラスのかき揚げ、あれマジうまかったよな。明日も店で食おうぜ」
ノブは夕飯のあと、今日も食後の薬を飲んでいた。
気休めの、精神安定剤だ。
「ねえ、ノブ」
ハルは部屋の方に目線を戻して、言った。
「うん?」
「そろそろ」
「あー、なんか母体だけで話したいことあるんだっけ? わかった、ユカの部屋に行くよ。行こうぜ、シキ」
「しっかたねえなあ」
片割れの二人は重たい腰を上げて、部屋の扉を開けた。ちょうどリンもこちらに来て、片割れ組と入れ替わる形となった。
三人で輪をつくるように畳に座りこむ。静かに波音だけが耳に心地よく届いた。
「……揃ったけど、で、なんだ話って」
トシが切り出す。リンもトシも、ハルが何か重大な、只事ではないことを話そうしているのは何時からか察していた。それが話があると言われた直後からなのか、江ノ島の岩場で遊んでいた時からなのかは、二人とも分からなかった。ただ、なんとなくひしひしとはりつめた空気をハルから感じ取っていた。
「あのさ」
嚆矢は放たれた。
「『母体殺し衝動』っていう……ものがあるんだけど……」
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