第23話 旅行初日と異変
僕は全てを黙っていた。
リンさんとトシには何も教えなかった。
今となっては、それが良かったのかどうかは分からない。
いずれにせよ、僕が卑怯な人間であることは紛れもない事実だ。
僕は、自分が楽でいられる選択をしたのだから。
そんな思いを抱いたまま、僕らは半年振りに施設の外へと旅立った。
「着いたな! 江ノ島!」
藤沢駅に列車が到着し、僕たちはホームに降り立った。その際にシキが発した第一声がこれだった。
「まだ江ノ島の『え』の字もねーよばかやろう」
「恥ずかしいのでやめてください」
トシとリンさんからの素早い反応がシキを襲っていた。リンさん、結構物事をズバッと言えるようになったというか、本音を隠さなくなったような気がする。けれどもユカさんに対してはほんの少し遠慮気味になっているようにも思える。
どうなんだろう、やっぱりユカさんと何かあったのだろうか……事実を確認する勇気なんてさらさらない癖に、僕は無意味な疑問を胸の内に潜めていた。
今から僕らは江ノ島電鉄線の改札口を目指し、そこで一日乗車券である『のりおりくん』を購入し、ゆっくりと一日目の日程をこなしていくつもりだ。現在の時刻は午前十時半。一先ず江ノ島駅まで行くことになっている。
「この駅出たら江ノ島じゃねーの?」
「バカもたいがいにしろよな」
「ここまでくると最早バカを超えてますよ」
「お前ら俺に対して容赦ねーな?」
改札口を通り抜けながらも、三人はやり取りを続けていた。
あの様子を見ると、恐らくシキはまだ衝動に目覚めていないのだろう。となると、ユカさんはどうだろうか。施設を出発する時も、どこか妙な雰囲気で、リンさんはユカさんを避けるように僕に会った途端話しかけて、その後もユカさんと会話をしていなかった。ずっとそれが気になっていた。なるべく怪しまれないように、僕はユカさんをチラ見して様子を観察していたのだけど……
「なあに、ハルくん」
首を少し動かそうとしたその瞬間に、ユカさんが僕の顔を覗き込んだ。
「えっ」
「今日、新幹線に乗っている間からずっと何度か私のこと見てたでしょ」
「い、いやあ、その……」
「なに、私に気でもあるのかな?」
そうユカさんが軽口をたたくと、前方を歩いているリンさんがさっとこちらを振り返った、ような気がした。
「なんだ、そうなのかハル」
ノブが楽しそうに、僕をからかう口調で話しかけてくる。
今はこんなに落ち着いているけど、それもすべては薬の効果によるものだ。一日二回、薬を飲まないとノブは衝動を抑えられなくなる。
「そ、そういうわけじゃ……」
「わっーてる、わっーてる」
そう言いながらユカさんは僕を自分のそばに引き寄せ、静かに耳打ちした。
「リンのこと、頼んだよ」
微かな声だった。けれど重かった。僕が反応する前に今度は背中を押されて、僕は前を歩いているリンさんたちにぶつかりそうになる。慌てて振り返ると、意味がわからないといった表情を浮かべているノブと、変に優しい目つきになっているユカさんがそこにいた。
「ハルさん?」
ふいに肩をつつかれる。
「えっ、なに?」
「前見て歩かないと危ないですよ。人多いですし」
服の袖をつんっと引っ張られた。着ているのは半袖のTシャツだったから、力もダイレクトに伝わってきて、僕の顔とリンさんの顔の距離は自然と近くなる。けれどリンさんはすぐに前を向いた。何だか変に意識した自分の方が恥ずかしくなる。僕がリンさんの横の位置まで来ると、彼女は顔を僕の方に向けた。
「ユカに、何を訊かれていたんですか?」
「え、いや特に……たいしたことでは……」
「そう、ですか」
ならいいんです、とでも言いたげな表情を浮かべて、再び彼女の顔は前の方を向いてしまう。明らかに僕たちと後ろをついてきているノブたちとの距離は離れていた。
僕は気になって振り向こうとした。
阻止されるようにまた袖を引っ張られた。
「行きましょう」
リンさんは決して、後ろを振り返ろうとはしなかった。
「ほわー……」
「はあー、凄い……ヤバイ、尊いっ!」
リンさんがやたら興奮している。もちろん僕も胸は高鳴っていて、一瞬さっきまでの出来事を忘れてしまったくらいにはその対象物に夢中になっていた。
トシは、まあ普通の態度だった。「本当にこれを売りにしようとしているんだなあ」と呟いていた。
反して片割れ組は……わからん、といった表情を浮かべていた。
まあ、そうだよなあ。これがオタクもしくはサブカル文化に触れている人間と、そうでない人との反応の差か。
今、僕たちは片瀬江ノ島観光案内所の目の前にいる。その案内所の入り口付近に、『バトルシップユース!』の主人公とヒロインである『
今回の湘南旅行にきた目的の半分ほどは、リンさんの好きなアニメの聖地巡礼が入っている。彼女の興奮のほどは異様なほどで、周りの存在すべてを忘れているほどだった。
僕も特撮の撮影地に行ってみたことがあったけれど、その時僕もリンさんみたいに興奮しまくっていたなあと、過去を思い出し何だか微笑ましい気分にかられていた。誰だって自分の好きな作品のモデルとなった場所に行けば最高潮にならずにはいられない。
「何だかすげーな」
ノブがそんな言葉をもらした。
「凄いよね。自分の好きな作品の舞台がリアルに存在しているなんて」
「いや、リンの反応が」
「え、ああ。そっち……」
「え? うん」
ちょっとした沈黙が流れる。興奮するリンさんを少しからかうようにシキが隣に行ってその様子を真似ている。トシはそんな片割れの行動に眉をひそめて制止しようとして、ユカさんはノリに完全にはのれずとも、なんだか朗らかに笑っていた。
そんな光景を目の前にして、僕は思わぬことにはっとする。隣にいるノブの顔を見た。
久しぶりに、『会話』をした気がしたのだ。
言葉を交わすこと自体は、もちろんずっと行ってきた。そうでないと生活ができない。
けど、そのコミニュケーションの間には、でっかい溝が存在していた。僕とノブを別け隔てる、何かがあった。
無論、何かの正体は明らかだ。『母体殺し衝動』という残酷な現実が、僕らの関係を蝕んでいる。
その溝が、先ほどの言葉のやり取りには存在していなかった気がしたのだ。
けど、僕とノブだけでない。リンさんとユカさんの間にもきっとそれがある。恐らくこの先、トシとシキにも訪れるのだろう。
「? どうした、ハル」
「え?」
「涙、出てるけど」
「ま、マジで? あれ、なんでだろ……」
このまま何もしなくていいのか。諦める選択を僕は選んだ。でも、果たして本当にそれで良かったのか。
「え、どうしたんですかハルさん⁉」
「なんだ? 洩らしたのか?」
「きったねーな、お前」
「俺じゃねーよ⁉」
「そうじゃなくて、そういうことを訊くこと自体に対して言ったんじゃないかな?」
「ユカさん、その通りっす」
「えー?」
ずっと心の中に引っ掛かっていたことが今になって胸の内から沸き起こってきて、明るみになった。
久しぶりにこの目に映ったなんてことのないような幸せな光景がトリガーとなったのだ。
ふいに、響のことが脳裏に浮かんだ。
そして、僕は口を開いていた。
「あ、あのさ」
皆が僕の顔を見る。
「リンさんと、トシに……後で、話したいことがある」
遅すぎたかもしれない。いや、きっとそうだろう。行動を起こすには、現実を変えるのであれば、もっと早く動き、充分な時間を確保すべきだっただろう。
でも、僕は諦めていた。現実的に解決する手段はないから。それは今も変わらない。神のような解決策なんて見つかっていない。響のしたいこととは違う。彼はただ施設の大人たちに復讐をするだけだ。それだったら何らかの方法で、時間をかければ達成できるだろう。僕がやろうとしていること。それは『母体殺し衝動』そのものに挑む、無謀でしかない愚行だ。
「いいけど、何の話だ?」
「それはちょっと……その時になってから、話す」
「……わかりました。後というのは、宿に着いてから、ということですか?」
「あ、うん。それで大丈夫」
「なーんだ? 母体だけの秘密の話し合いってか?」
シキが口を挟んできた。
「ごめん、リンさんとトシに話したいことだから……」
「なんなんだよそれー?」
シキの顔が近くなる。鼻息が荒い。
「こおーら、やめなさい。ハルくん嫌な顔してるでしょうが」
ユカさんがシキ肩をつかんで、後ろに引き下げるようにして僕からシキを離してくれた。
「こういうことには突っ込まないの。もしかしたら私たちに何かのサプライズをしてくれるためかもしれないでしょ?」
台詞の後半は声を小さくして耳打ちするように囁いていた。
「おおー、そういうことか!」
シキは納得したのか満足気な顔になって、
「期待してるぞ」
と言って僕の左肩にポンッと手をしっかり置いた。
「ま、馬鹿はほっといて。リン、次はどこ行くんだっけ?」
ユカさんが空気を変えるように明るい口調でリンさんに語りかける。一瞬リンさんの体がびくっと反応したように見えた。けど、すぐにその態度は落ち着きを見せて、ちゃんと質問に答えていた。
「えっとね……次は、江ノ島! なのであのながーい」
彼女はある一点を指差した。
「弁天橋を渡ります!」
*****
荒木響にとって、『分離症患者支援センター みらい』に忍び込むことは容易なことだった。
長きにわたる潜入の繰返しによって、彼は完全に監視カメラに映らないルートを把握していた。裏道の裏道を行き、できる限り息を出さないことに努める。そうすることで完全にとまではいかずとも気配を消し、より安全に潜入することができるのだ。
しかし今日は『みらい』に忍び込むために遠いA山県の地に足を立たせているわけではない。今回の目的は違った。
響は、『片割れ覚醒者管理施設』に用があった。
響の中で何かが変わりつつあった。全ては、須藤ハルと出会ったことが原因だ。
彼と何度か会い、自分の復讐への参加を呼び掛けてきた。そして拒まれ、響がやろうとしていることの無意味さ、現状を受け入れる決断をした相手の姿を叩きつけられた。
自分のやっていることは、何なのだろう?
そんな、無力感が覆い尽くす疑問が響の胸に渦巻いていた。
「無意味、ね……復讐なんて意味がないことくらい、分かってるよ、俺だって……」
それでもやりきれない気持ちがある。頭では分かっていても、感情がそれを許さない。情動的になることで、その間だけは楽でいられた。
理論と理性だけで生きていくには、あまりにも辛すぎる。
だから、響は逃げていた。高ぶる憎しみの心に溺れることによって……
響はもう一度、ヒナタに会いたくなった。
面会できるかどうかは分からない。もしかしたら、完全に発狂してしまっていて、最悪の場合……もう、この世からいなくなっている可能性も、ある。
それでも、そうであっても、会いに行こうと決めた。ヒナタの顔を見て決めていこうと響は思った。これから、どう生きていくのかを。
スマホの画面に表示されているマップを確認しながら、田舎町の路地を歩いていく。施設は
バス停から歩いて十五分ほど経ち、山の裾野にたどり着いた。斜面に沿ってアスファルトの道路がなだらかに上へとのびている。一台の自動車が横を通り過ぎ、山へと上っていった。
響は、一度深呼吸をした。そうして目の前の道を見据え、静かにその一歩を踏み出した。
*****
「うっ……や、やめ……」
手術道具が床に散らばっている。手術道具といっても、実験のために使用するものであり、これまで何人もの片割れの腹を切り裂いてきた刃だ。
そんな刃が無惨に散乱しているのは、つい先ほど多人数の片割れたちがここで暴れまくったからだ。そして、二人の研究者が殺された。後頭部と腹にそれぞれメスと手術鋏を刺された二つの死体が道具とともに転がっている。
残った一人は首を強く絞められ、今に殺されようとしている。
「な、なぜ……でら、れたんだ……?」
「黙れ! 死ね! 死ね!」
「うぐ、わああ……」
最後は声が掠れ、研究者は白目をむき始めた。異常を報せるサイレンは鳴っていない。監視カメラもあるのに、誰も異変に気づいていないのか、助けは一向に来る気配がない。
「……存分に味わいなさい。貴方たちが与えていた苦しみを、今度は貴方たち自身が、ね……」
手術室の壁に背中をあずけながら、一人の白衣姿の女性が呟いた。
「あ、なたが……なぜ……?」
ほとんど声にはなっていなかった。それでも言わずにはいられなかったのだ。
数秒後、研究員は死んだ。その遺体を、白鳥文は軽く蹴飛ばした。
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