第22話 終末への足音

「どういうことなんだ……ハル」

 響が僕を睨みつけてくる。当然だろう。彼からしてみれば、協力者を得られるかもしれなかったというのに、その可能性が消え去ろうとしているのだから。でも、僕の意思だって堅い。今ここで自分の思いを曲げることはできないのだ。

「なあ、なんとか言えよ」

 響が苛つき始めた。僕は沈黙を続ける。路地に迷いこんだ一陣の風が、二人の間を静かに通り抜け、服の裾を微かに揺らした。

「なあ、なんとか言えっつってんだよ!」

 響の怒声が弾けた。

「……響、バレちゃうよ、施設の人に」

「お前、ふざけてんのか?」

「ふざけてないよ、ただそう思ったから言っただけ――」

 次の瞬間、響の腕が僕の顔の横を通りすぎていき、力強くその手は壁に打ち付けられた。

「いつまでそんな態度でいるつもりなんだお前……さっきから俺を飄飄ひょうひょうと交わしてよう……」

 彼の目は鋭く憤怒の色に燃えていた。額に一滴の冷や汗が流れるのを確認した。

「どうしたってんだよ……前にこの場所で俺と会ったあの日から……何があった?」

 相手の目線が上に流れ僕の顔を捉える。一度相手の視線から逃れるように顔を逸らし、ため息をついた。そして顔を戻して、僕は答えた。

「何もないよ。ただ、君の言った通りだ。ノブは明らかに悪化している。そうして大人たちも現実を直視しようとしないで、隠そうとする」

 響の腕を払う。彼の囲いから抜け出した僕は、ゆっくりと歩き出す。

「たぶん、このまま行けばノブは僕を殺そうとするんだろうね。それに、ノブだけじゃない……きっとユカさんやシキだって、そうなる」

 建物の間から、切り取られたような四角い夜空が顔を覗かせている。限りなく満月に近い月が、僕の顔を蒼色に染めた。

「そこまで見通して……だったらなんでだよ。なんで、全てを諦める?」

「見通したからこそだよ。予想できる限りでも、僕が出来ることなんて何一つない。でしょ?」

「……そうだろうよ。でも、だから俺がいるし、他の奴にも真実を伝えて仲間を増やすんだよ、そうしようって話、俺したよな⁉」

「……できない」

「は?」

「今の関係を壊す……そんなことはできない」

 響が猛烈な勢いで僕につかみかかってきた。胸ぐらを捕まれ、一気に引き寄せられた。

「壊せないだって? とっくにお前らの関係には皹が入ってんだよ! 直しようがない皹が! それは確実に、日に日に大きくなっていく! 近い未来に決壊する! それを黙ってただ見てるだと……⁉ そんなんでいいのかお前は!」

「僕は響みたいにはなれない!」

 響の腕を掴み反し、彼を突き放す。

 彼といっても、やはり響の腕は男のそれではない。全体的に筋肉質ではなく、柔らかい感じがする。そんなくだらなくどうでもいいことを、なんで今頭の片隅で考えているんだろう。自分でもよくわからない。

「皆が君みたいに強くはないんだ! 僕らは今平和でいられてるんだ! 例えそれが偽りで、既に皮が剥がれかけているとしても!……としても……」

 自分でも気づかなかった。つうっと熱い感触が頬を流れて、響に指摘されて初めて気づいた。僕は泣いていた。

「お前……」

「……臆病なんだ、僕は臆病なんだよ、響」

 深夜の風がざあっと吹く。狭い路地に風の力が凝縮されてその勢いは強くなる。僕と響の髪の毛は荒々しく揺らされた。

「僕は根っからの臆病だ。だからノブを生み出してしまったんだよ、臆病でない理想の自分を思い描いたから。全部、僕の責任だよ、全部……」

 力がふわっと抜けてしまい、腰が抜けたように僕は地面に座り込んだ。夏といえど、太陽に照らされていないコンクリートは冷たかった。

「……」

 沈黙だけが流れていった。やけに風の音だけが耳に響いた。





 *****





「うっ……うっ……」

 先端が異様に光を放ち、煌めいている。今、この針はある者の左腕に刺されることになる。

「さあ、どんな効果が現れるのでしょうか……?」

 注射器を手にした中年らしき白衣を着た男がニヤリと笑う。そうしてその数秒後に、何の前触れもないように注射器をいきなり降り下ろし、針の先を軟らかい二の腕に刺し込んだ。

「ぐ、ぐわあああああああああああああ‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼」

 刺された者は痛みのあまり激しく動いた。が、その動きはたちまち制限されてしまう。今彼の体は台の上に乗せられ、上半身は固定バンドで縛られているからであった。上半身を固められてしまう。それは体全体をロックされていることに等しい。彼のもがきは虚しく、無意味に終わった。

「さあ、新薬の効き目を見せてください!」

 そう叫んで白衣男はゲラゲラと笑いだした。





 悲痛な叫びと、不快な嗤い声が重なって聴こえてくる。今晩も、仲間が一人犠牲になった。

「……ちくしょう」

 俺は拳を握りしめる。

 奴らは俺たちを人間だとは思っていない。だから平然と実験台にしているのだ。

『母体殺し衝動』に目覚めた俺たちは、体のいいモルモットにされている。

 奴らは勘違いしている。俺たちは『母体殺し衝動』を抱いているというだけで、それに全て侵されているわけではない。物事を考えるくらいの、思考力は残っている。

「……くそっ」

 まあ、それもたまにあまりに衝動が高ぶると、思考力は無くなってしまって、完全に母体を付け狙い殺す機械になってしまうが……。

 母体。

 アイツ、今どこで何してるんだろうなあ。

「ヒビキぃ……」

 俺のハーフネームはヒナタ。荒木ヒビキの片割れだ。





 俺はこの『片割れ覚醒者管理施設』に来てから、どれくらいの月日が経ったのか覚えていない。カレンダーや時計がないし、そもそも時々感情が高ぶり過ぎて夢のような時を過ごしていることがあるため、全てが幻影のような気がしている。

 だから、この仲間の叫びも、夢なんじゃないかと、そんな現実逃避をする。

 仲間といっても、俺が勝手にそう呼んでいるだけだけどな。俺たちは一人一人狭い部屋の中で隔離されているから、正直隣の部屋の奴の顔を見たこともない。けど、ここにいるというのはつまり俺と同じ衝動に目覚めて自身の母体を襲ったということ。そんな奴らに自然と仲間意識が何時からか湧いた。

 急に静かになった。実験が終わったのか。

「……」

 俺は耳をそばだてた。

「ダメでしたねえ、今回も」

「耐えられなかったか」

 どうやら、仲間は死んだようだ。こうして俺たちはのための礎となるべく消費されていく。こうして数が減っていくから、決してこの施設は覚醒した片割れで満杯になるなんてことはない。上手いもんだ。





 あれから大分時間は過ぎたみたいだ。他の覚醒者はみんな眠っているのか、静かだった。

 俺はさっき久しぶりに母体のことを思い出したら、目が覚めてしまった。

「ヒビキぃ……ヒビキぃ……」

 ああ、お前を殺したいよ、ヒビキ。お前はこの世にいちゃいけない。いるべきは俺の方なんだよ。なのにこのままじゃ、何時しか俺も実験台にされて死ぬ時が来る。そんなのは嫌だ、絶対にダメだ。俺が生きるべきだ。俺はしっかりと自分を信じて生きていける。体と心が別々だって、それが俺なんだから、揺るぎなく生きていくよ、俺は。だから、なあ、ヒビキ。わかるだろ、俺の方が優先度高いってことくらい、なあ?

 ああ、外に出たい。出たら、ヒビキを先ず殺して、その後は……そうだな、あのクソ親父をどうにかして……アイツも殺すか。そうしたら、母さんのためにしっかり勉強するんだ。勉強して良い大学にいく。そして一流企業に就職する。そしたら母さんをやっと安心させることができるだろう。でも、そうだな……もしかしたら母さんは、こんなことを望むかもしれないな。『孫の顔が見たい』ってね……ああ、良い女性ひとと出逢えるだろうか。あ、でもそういや俺も体は女だから……そうだ、里子を引き取ればいいんだ。美人の奥さんに、可愛い子供。完璧だな。こうなれば幸せ街道まっしぐらだ……だから、そのためにやっぱり外に出て、ヒビキを殺さないとなあ……

 そんなことを、現と夢の狭間のような状態で考えていた、その時だった。

 人の気配がした。

 俺はハッとして意識を集中させた。だんだんとこちらに近づいてくるようだ。次第にリノリウムの床を反響する足音が聞こえてきた。

「なんだ……?」

 扉の方に近づき、耳を当てようとした。次の瞬間。

 ガチャリと、解錠する音がこだました。次いでギイッと扉がゆっくりと開き始めた。俺は慌てて後ずさった。

「は……?」

 俺は混乱した。なぜなら、扉を開けて部屋に入ってきたその相手は、かつて俺がよく知る人物だったからだ。

「久しぶりね、ヒナタくん」

 その人は、優しい笑みを浮かべた。

「あなた、外に出たいと思わない?」

 予想外の言葉が降りかかってきた。その人は扉を閉めた後、膝を曲げて腰をおろして、そう言ったのだ。

「……で、出たい」

 俺は素直に答えた。

「そうよね、出たいわよね」

 

 彼女は、言った。


「もう少しの間待っていて。準備が整ったら、あなたたち片割れを、全員ここから解放してあげるわ!」


 白鳥文は、確かにそう言った。





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