第16話 響と出会った日
「静かにしとけ。伝えたいことだけ伝えたら解放してやっから。だけど……このこと、誰にも話すんじゃねーぞ」
少年、といっても僕とほとんど歳が変わらないであろうその男子は、鋭く傷をえぐるような目線で僕の動きを制した。
制服は着用している。半袖ワイシャツに黒のベスト。やはりこの学校の生徒なのだろうか。
ドアの外からはがやがやと生徒の声が微かに聞こえてくる。ドアに気をとらわれていたのがバレたのか、「こっちを見ろ」と言われて顎をつかまれた。
「下手なことしようとすればするほど、戻れる時間が遅くなるぞ」
この言葉を聴いて、無駄な抵抗はあきらめようと思った。相手が言うとおり、ここはおとなしく話を聴くしかなさそうだ。
「ふっ、理解したらしいな」
少年はニヤリと笑みを浮かべた。顎に伝わるその感触は柔らかかった。
「俺は昨日、お前らと会った。覚えてるよな?」
それはもう。忘れるわけがない。忘れたくても、強烈すぎて脳に粘着質な記憶としてインプットされてしまった。
しゃべることはできないため、とりあえず分かりやすいくらいに頷いた。
「だったらいい。俺がお前に伝えたいことは一つだけ」
そう呟いて、少年は右手の人差し指をこちらに向かって突き出してきた。
「明日、午後六時に南ゲート近くの第二みらい公園に来い」
少年はそれだけ言い終えると、「以上だ」と呟いて僕の口を封じているタオルの縛りをほどき始めた。
「っはあ……」
口の中に一気に空気が流れ込んできたような気がした。ここで大声をあげて異常を外に知らせようとすることもできたけれど、しなかった。今、僕の思いはこの少年の存在を周囲に認知してもらうことではなく、少年が何を思ってこんなことをしたのか、何を僕に訴えようとしているのか、それを知りたい気持ちの方が遥かに勝りつつあった。
「声を上げないとは、分かってるじゃないか」
「気になるから。なんで、君は僕らにかまってきたの」
「それ諸々含めて明日言うよ……絶対に来いよ。待ってるから」
そうして少年は腕に縛っていたタオルもほどいてくれた。
「さあ、静かに出ていけ。こっそりとな」
少年は内側の鍵を開け、扉をそっと開いた。ほんの少し顔を出し、周りを確認していた。
「よし、今なら人も少ない。早く出ろ」
君は後から出ていくの。ここの生徒なの。訊きたいことがたくさんあったが、もたもたしていたら少年に強く背中を押され、僕は半分ほど空いたドアから強制的に退出させられた。
「うわっ」
前につんのめって、足がもつれバランスを崩し、派手に転んだ。直後、知らない人からみたら風の影響で閉まったと思われてしまうくらい、ドアは自然に静かに閉められた。
「くっ、いてー……」
地面に顔をぶつける直前に肘をついたおかげで、何とか顔面を守ることはできたが代わりにじーんと、腕に静かな痛みが走ってきた。
「あ、ハル!」
振り向くと、左の方からトシが駆け寄ってくるのが見えた。後ろからノブとリンさんがついてきていた。
「何やってたんだよ。急にいなくなったから心配して」
「ご、ごめん……ちょっと、色々とあって」
「とりあえず、大丈夫か」
「ありがとう」
僕は、トシが差しのべてくれた手を掴み、ゆっくりと立ち上がった。
「で、ハル。お前、カウンセリング室で何やってたんだ?」
ノブが疑問に思って当然のことを訊いてきた。少年のことを話すわけにはいかないし、ここは上手くごまかさなけれざいけない場面であることは分かってはいるが、どう、嘘をつけばいいんだろう……。
「えっと、その……」
「ていうか鍵は? カウンセリング室、普段は開いてないだろ」
ノブの質問に、僕ははっとなって思わずカウンセリング室の扉を振り返った。
鍵は再び中からかけられているようで、開かなかった。同時に、何かがチャリンとズボンのポケットから音が微かにした。
「え、」
まさかとは思ってポケットに手を突っ込んでみたけれど、予想は的中してしまった。カウンセリング室の鍵が入っていたのだ。恐らく、少年に何かの拍子にこっそりと預けられてしまったのだろうが。
後ろを振り返るのが怖かった。この状況を、三人に説明できる気がまるでしない。
少年のことを、すべて話してしまおうか。
自分で黙っておこうと誓ったのに、早くもそれを破ろうとしている。少年を抜きに自分が正常で仕方のない状況だったことを話すのはほぼ不可能だ。友人たちにかなりの変人だと思われるか、少年の謎解明を取るか。二択を迫られている。
「どうしたんだよ、ハル」
「ハルさん……?」
「ハル、食堂でユカとシキが待ってくれてるから。早くしないと、飯食う時間なくなるし……何があったのか話してくれ」
僕は……僕は……
「あのっ!」
意を決して、振り返った。
「職員室に、鍵、戻してくる!」
それだけ言って、僕は猛ダッシュで三人の前から去った。
「あ、ちょっ、おい!」
何かを犠牲にしないで得られるものなんてないんだ。
そう言い聞かせて、自分を納得させるしかなかった。
「鍵、どこにあった?」
職員室にて、二階堂先生に鍵を渡した直後、そう訊かれた。
中に入って、最初に僕に気付き声をかけてくれたのが担任だったことが唯一の救いだった。これがもし見知らぬ教師で、鍵について問い詰められたらさすがにどうにかなって発狂していたかもしれない。
「えっと、廊下に落ちてました……」
「何階の?」
「に、二階の、トイレの前あたりに」
「ふーん……」
先生はポリポリと頭をかき、納得したのかしてないのか、曖昧な声を出した。
僕の胸は、触られたら一発でバレてしまうくらいには激しく脈打っている。
「いや、今朝とある先生がカウンセリング室を利用してたんだけど、鍵をなくしてしまったとか騒いでて……お前が見つけてくれたか」
「え、まあ、はい……」
先生は僕の顔をじっと見つめた。嘘をついていると疑われているんじゃないか。そう思うだけで、流したくない冷汗が首筋を伝ってしまう。どうか、この汗に気付かないようにと願った。
「お前、暑いか?」
「へ?」
変な声が出てしまった。
「汗垂れてるからさ。すまんな、職員室冷房の設定温度低めにされてるんだ。節電だーみたいな話でさ……暑いよな。俺も暑いよ」
先生のデスク上には、小型の扇風機が置かれ、羽が回っていた。
正直、暑くはないと思った。若干湿っ気はあるけれど、冷房は普通に効いてると思う。先生が暑がりなだけなんじゃないか。
「まあ、鍵はちゃんと戻しとくから。ありがとうな、須藤」
「いえ……」
変に疑われることなく済みそうで、本当にホッとした。そうとなったら早くこの
「あの、友達待たせちゃってるんで、すみません。失礼します」
「うん、ああ……」
くるりと背中を向け、出口に向かってスタコラサッサと去ろうとしたその時。
「須藤」
先生が僕を呼び止めた。
「は、はい」
やっぱり不自然だったかな?
危機感が再び上昇し、背すじを百足が這うように嫌悪感と不安が襲ってきたが、先生が次に発した言葉は予想外なものだった。
「須藤、いや、ノブとは上手くやれてるか?」
……上手くやれてる?
「はい……別に、普通です」
「そ、そうか。いや、引き留めて悪かった。友達待ってるんだもんな。すまん」
先生は軽く、悲しげにも感じられる笑みを浮かべた。この時の僕は先生がなんでそんなことを訊いてきたのか、分からなかった。
帰りのホームルームが終わり、放課後になった。
僕らは担任に昨日のことについて報告・相談しようと決めていた。他クラスではあるけれど、リンさんたちもやってきて合流する。
僕は、悩んでいた。
ノブたちが先生に相談しようとするのを、引き止めるべきか。
既に今朝、相談したいことがあるというのはノブが二階堂先生に伝えていた。ノブたちは荷物を整え、先生の元に向かおうとしている。
少年のことを言ってしまったら、先生は少年の正体を突き止めるために動いてくれるだろう。そうなったら、僕が知ろうとしている、少年が知っている何かが、わからないままになってしまうかもしれない。
それは嫌だ。今の僕には分からないことばかりだ。僕は知りたい。この施設内に渦巻いているはっきりとしない何か。そしてここ数日の、ノブの状態について……。
あの少年は僕にとって、変で迷惑な奴から智識を授けてくれるであろう存在へと、見方が変わっていた。
「先生―」
ノブが先生に話しかけようとする。先生も今朝のことを思い出したような表情を浮かべ、こちらを見据える。
気が付いたら、ノブの肩を掴んでいた。
「な、なんだよ、ハル」
「……待って」
「は?」
「先生に言うの、待って」
ノブが一瞬険しい表情をした。僕はそれに怯むことなく睨み返す。
「……意味、わかんねえよ、ハル」
「お願いだよ。待ってよ。無理に昨日のこと話す必要はないでしょ?」
「べつに無理はしてねえよ!」
後ろにいる二人が何が起こっているのか理解出来ずにいた。シキはそんな中でも、とりあえず険悪な場を治めようと、僕らの間に割って出た。
「おいおい、落ち着けってお前ら! どしたんだハル君よ」
それと同時に、後方のドアからリンさんたちが姿を現した。「失礼します」と言いながらユカさんが先頭に僕らに近寄ってくる。教室に入って三歩あたり進んで、彼女らは足を止めた。
「あれ、どうしたの君たち……」
突然、男子たちが只事ならぬ雰囲気を帯びているのを感じ取ったのだろう。リンさんと目があった。
リンさん、あなたの言う通りだった。彼は何らかの秘密を握っている。慎重になるべきなんだ僕らは。そうでないと、せっかくのチャンスを逃してしまう。
先生も腰を上げ、こちらに歩み寄ってきた。生徒が何やら揉め事をしている。動かない教師はいないだろう。
「なんで、ダメなんだ……」
ノブが、僕に初めて見せる表情をした。理解できない相手に対して向ける、嫌悪の目線。
「ハル、俺はお前がわかんねえよ。さっきもいきなりいなくなったり、相談やめようとか言うし……何なんだよ!」
分からない。そう言われた途端、僕の頭に血が急激に昇り始めた。僕は、言ってはいけなかったかもしれないことを、ノブに言ってしまった。
「ノブの方が分かんないよ!」
教室は騒然としていた。先生が睨み会う僕らを引き剥がし、急きょカウンセリング室に呼んだ。
結果的には少年については先生に話す機会を作らず、うやむやにすることに成功したけれど、その代わり僕は、ノブからの信頼を失った。
寮に帰った後も、互いに口をきかなかった。
ノブの方が分かんないよ! 僕が叫んだ瞬間、ノブはハンターに心臓を射抜かれたような獲物の表情を浮かべていた。
「来たな」
翌日、言われた通り第二みらい公園に行った。
多大なコストは払った。それに見合う分の情報を彼から訊き出せるかどうか、それだけを考えていた。
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