第15話 コンタクト
静かな帰り道だった。
人は多いはずなのに、まるで通夜みたいに皆沈んでいた。
公園から出て、川沿いの道を六人で歩いていた。誰もがとぼとぼと足取りが重かった。茜色から暗い青色へと変わるグラデーションで彩られた空を、ぼうっと見上げていたり、俯いて地面に転がっている石ころを軽くけりとばしていたり、いずれにせよ、その表情は明るくなかった。
触るな片割れ! か……。
僕はアスファルトを見つめながら、公園での出来事を思い出していた。あの人は……おそらく僕らと同年代か、そうでなくとも近い年齢であろうあの男子は、一体何を思ってあんなことを叫んだのだろう。
シキを片割れだと一目で判断できたところももちろん驚いたけれど、僕はそれよりも、片割れに対して強い恨みでも抱いているような、あの目つきの方が気になっていた。
明らかにあれは、対象に憎しみを向ける目だった。たぶん、彼は母体なんだろうと考えられるが、自信の片割れと何かあったのだろうか。喧嘩でもしたのか。でも、そんな理由で他人の片割れに当たるなんてことは考えにくいし、もし本当にそのようなことが原因だったら、単に迷惑極まりない人物としか言いようがない。
「なあ」
ノブが足を止めた。つられて残りの五人も立ち止まり、ひとつの塊が静止した。
「俺、考えたんだけどさっきのこと……明日、先生に相談しないか?」
ノブは落ち着いた声でそう提案した。最初は誰もうんともすんとも言わない沈黙の間があったけれど、程なくしてそれは破られた。きっかけは、ユカさんの頷きだった。
「そう、だね。ちょっと、あいつ嫌な感じだったし」
「おそらくあいつは俺らと同じ高校生だろうし、だったらこの施設内に高校は一つしかないんだから同じ学校に通ってるにきまってる。どの生徒なのか……捜して文句言うつもりはないけど、こういう嫌な目にあったってことはちゃんと学校の誰かに相談すべきだと思うんだ」
「なるほど。確かにそりゃあいい提案だな」
片割れ組がどんどんノブの意見に賛同しつつある。母体の方は、トシは微妙に明るい笑みを浮かべて片割れたちの話に耳を傾け、リンさんは下を向いて、もみあげを指でいじりながら何か考え事をしているようだった。
「どうしたの、リンさん」
「え、いや……」
僕らは小声で話しあった。
「何だか、嫌な感じがするんです」
「嫌な感じって……ああ、さっきのこと思い出して?」
「違う、そうじゃなくて」
彼女はぼそりと、けれどはっきりとした声で言った。
「さっきのことを他人に話していいのか。私たちだけのなかで、周囲に漏らさない方がいいんじゃないかって」
「そ、それはどういう……」
「公園で、思ったんです。いや、感じた。似てるんです。私が、その……中学生だったころ、感じてた『息苦しさ』が、あの男子からも伝わってきたような気がして……」
ノブたちは話を進めていき、明日の何時ごろ、どのタイミングで先生に相談しに行くかも決まっていきそうな段階に差し掛かっていた。けれど、僕の意識はリンさんの話す言葉一つ一つを、聞き逃さまいと集中しており前方での会話の内容なんてまるで頭に入っていなかった。
「あの人は、苦しんでるんじゃないかって。もう少し私たち、慎重になるべきなんじゃって、そう思っちゃって」
リンさんは言い終えた。しかし、彼女はその思いを前にいる人たちに伝えようなんてことはしない。いや、できないんだ。僕も同じだから。本当に大切だと思ったことほど、僕ら母体は相手に伝えづらくなる。
この後、各々明日の段取りを確認し合って、それぞれの部屋に帰った。
ジーッ
カメラのレンズが、六人の姿を捉えていた。
寮の部屋に戻り、ノブと二人でつくったカレーライスを食べた。ローテーブルを男二人で囲む食卓。施設内では外食ができる場所がいくつもあるし、それらは一部を除いて患者の健康を配慮した栄養満点の料理を提供してくれる。みらいカードでなんでも済ませられるから、多くの人は自分で料理なんてつくらずご飯を済ませてしまうけれど、僕たちは基本料理を自らつくるようにしている。部屋には台所が完備されているし、ノブが元々料理好きなのだ。料理なんてつくろうと思ったこともなくて、けれど同年代でつくれる人がいたり、自分で弁当をつくって持ってきたりする人がいると、羨ましく感じるくらいには、心のどこかで料理できる人というものにあこがれていた。片割れであるノブは、僕のそんな些細なことさえも理想として具現化していたのだ。
「あ、そろそろ始まるよな」
壁にかけられた時計をふと見たノブが、そう呟いた。
「そういや、そうだね」
僕もあることを思い出し、慌ててテレビのリモコンを取る。
部屋に一つ設置されている、小さい薄型テレビの画面が家庭菜園の番組の映像を映し出した。
リモコンを使ってチャンネルを切り換える。直接番号のボタンは押さずに、癖で上下でチャンネルを往き来するボタンを押してしまう。
三回ほど親指を動かし、お目当てのチャンネルに行き着いた。
程なくして画面に映ったのは、とあるドラマのアバン映像。アバンが終了し、次いでオープニング映像に移行する。
画面に映し出される、かっこよくレタリングされた文字で『
水曜日の夜七時から放送されているガルルセイバー。僕を特撮の沼に引きずり込んだ原因たるシリーズの最新作品であり、一番好きな特撮ドラマである。
♪熱く~猛る想いを~打っ放せー!
熱血ソングが部屋に流れるなか、僕はカレーを一口、口に運んだ。
「なあ、そういえば、ハル」
珍しく、番組が始まったというのにノブが話しかけてきた。僕とノブは今まで、作品を視聴している時に会話をしたことがない。それは一句のセリフも聴き逃さず、テレビに集中するためであって、ゆっくりと内容を味わうというファンとしては当たり前の姿勢だった。それは例え、毎回同じ歌詞と映像であるオープニングでも変わらない。オープニングもちゃんと観ないと、『作品が始まった気がしない』というのは、僕らの間での共通認識だ。
だからこそ、いつものルーティングから外れたようなノブの行為に、僕は少し驚いた。
「何?」
画面を見つめたまま、とりあえず返事をする。
「俺……さっき、公園でさ。思ったことが―」
「あ、本編始まったよ」
オープニングが終わって、いちいちCMを挟む番組と、そうでないのがあるが、ガルルセイバーは後者だった。オープニングはまだ多少の会話も出来なくもないが、流石に本編が始まったら話を打ち切らざるを得ない。
けれど、それはノブも分かっていることだろうと、そう思っていた。
ノブは「おう」とも言わなかった。ただ黙っていて。僕はとにかく今はガルルだと思ってノブの無言の態度は気にせず、普段通りに作品を楽しんだ。エンディング映像まで今日の放送が無事に終了し、隣にいるはずのノブに、視聴直後の感想を語り合おうと思って振り向いた。
ノブの姿がなかった。
ノブは、いつの間にか後ろの冷蔵庫の前にいて、中から牛乳パックを取り出しているところだった。
ガラスのコップに牛乳が注がれていく。なみなみまで入れたコップを口につけ、ノブはそれを一気に飲み干した。
「っはぁー……うん? どうしたハル」
「え、いや……」
「ガルル、今回も良かったな」
「あ、うん」
良かった、なんて言葉では言い表せないくらい、今回のエピソードは重要な回であったし、かつ話のテンポも良くかなり面白かった。所謂『神回』というやつだと、僕は興奮していた。そのホットな感想をノブに伝えたかったし、ノブもそうだろうと思っていた。
だから、エンディング映像の途中で立ちあがり、喉を潤していたことに、僕の理解力は追い付かなかった。
良かったな、って、それだけ……。
「なあハル」
空のコップを持ったまま、こちらに近寄ってくる。
「な、何?」
「俺たち、須藤晴信だよな?」
「……」
ノブの顔からは何か得体のしれないものに追われているかのような緊迫が伝わってきた。
一体全体なんでそんな事を質問してくるのか……とりあえず、僕は。
「そ、そうだよ。当たり前じゃん」
月並みな言葉を口にすることしか、出来なかった。
翌日。
ノブとは口数が少ないまま一緒に登校した。昨晩のことを思い出したくないかのように、ノブは無言で食パンをかじり、鞄に必要な教科書を入れて、部屋を出た。僕はそれに、後からついていくような感じだった。
学校に到着し、教室に入ると新倉たちがすでに中に居り、僕らに気づいて挨拶を交わした。
「お、はよーっす」
「おはよう」
そこで初めて、ノブは言葉を発した。
「放課後、だよな。先生に相談しに行くの」
「ああ。帰りのホームルーム終わったら」
ノブはシキと昨日話していた謎の男子の件を先生に言うための確認をしていた。それはいつも見慣れているノブの愛想のいい表情で、何も変わっていやしなかった。けれど、だから尚更、昨日の夜と今朝寮を出るまでのノブの態度が、より謎として浮き彫りあがってきて、わけが分からなくなった。
「どうした、ハル」
肩を叩かれた。
「え、何?」
「いや、目がどっか行ってたから。疲れてんのか?」
トシにそう訊かれて、「かもしれない」と答えイスを引いた。
四時間目の授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、生物の先生が教室を出ていった。
一気に教室は喧噪に包まれる。退屈な授業が終わった解放感と、絶望的なまでの空腹感が合わさった結果だ。
「よし、うんじゃ食堂行こうぜー!」
シキが真っ先に席から立ち、僕ら三人を先導するように教室を出て行こうとする。「待てって」「落ち着け」トシとノブから一斉に小言を食らっていた。
「えー、早う行こうぜー腹すきまくってんだよ」
それは皆同じだ。
今日も、四時間目の授業が早く終わりやすいリンさんたちの方が先に食堂に行って席を確保してくれているだろう。僕たちはシキを先頭に食堂に向かった。
昼休みの間、学校の廊下は凄まじいことになる。多くの生徒と教師が行き交い、まるで交通渋滞の如く人工密度が濃くなる。
一階にたどり着いた。すでに二回ほど入ったことのあるカウンセリング室の前を通り過ぎようとした、その時だった。
僕の体が何かに引っ張られた。腕を掴まれ、そのままカウンセリング室の中へと僕は消えていった。突然のことで理解が追い付かなかった僕は声を出すこともできず、ただなされるがままにノブたちと離れてしまった。
一番後ろを歩いていたのがいけなかった。何だかノブに近づきたくなくて。というよりかは、距離をとってノブを観察したかった思いもあったかもしれない。そのおかげで、僕は廊下の人ごみに紛れてしまったのだ。
でも、今さらあーだこーだ考えてもしょうがないことだった。
何者かは僕を引きずり込むとすぐさま扉を閉めて内側から鍵をかけた。そしてこちらに歩み寄り、僕の口にズボンのポケットから取り出したタオルを当て、後頭部で端と端が結ばれた。すぐにほどこうとしたけれど、その動きも見越していたかのように押さえられ、両腕は相手の右の脇でロックされ、相手は空いている左手でもう一つのタオルを取り出し、それを僕の両腕に巻き、縛った。
「静かにしとけ」
僕の目の前には、昨日の男子が立っていた。
「伝えたいことがある。それが終わったら解放してやる。だけど、このことを誰にも話すんじゃねえぞ」
この瞬間から、全てが崩れ去ろうとしていた。
荒木響。彼と直接的に関わった、初めての出来事だった。
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