第14話 遭遇 ②
季節は移ろい、爽やかな五月晴れの日々が終わり、どんよりとした曇りの日が多くなっていった。
湿度も高くなり、体を動かすと汗が出てくるようになる六月の下旬。生徒たちの服装も、そのほとんどが半袖の夏服に衣替えしていた。
ちなみに未来高校に明確な衣替えの日は決まっていない。地球温暖化の影響で気候が変化しやすいこともあって、制服の選択は生徒の意思に任せているのだ。
中間テストが終わったと思いきや、今度は期末が控えている。真面目な生徒は今の段階から休み時間も教科書を開いて勉強しているし、一週間前にならないと手を動かさない奴らは、休み時間とはいえあまりにも勉強の「べ」の字も頭にないような顔をしている。
僕の後ろにいる、新倉シキが後者だった。
「いや~、女子の夏服たまんねぇ……」
そんなことを呟いている。
「なあ、ノブもそう思わねえ?」
そして僕の片割れに話しかけてきた。
「あはは……そうだね」
「うん、何だお前。あまり興味なさそうだな」
「いや、そういうことじゃなくてね。実際に女子がいる前でそんな話はしづらいよ」
「あー、お前、そういうの気にするタイプか」
最近シキはノブによく絡むようになった。片割れ同士、ってこともあるとは思うけど、ノブはシキの話すことにあまりついていけていないのか苦い表情を浮かべている。でも、ノブは優しいし、基本的に誰とでも快く接するから、いつも彼の声かけに拒否することなく感じのいい態度で応じてしまう。
そんな時に、僕は何かシキに一言言って、ノブを楽にしてあげるべきなんだろうけど……何となく、躊躇ってしまう。
「なあ、それ何読んでんの?」
突然、声が降ってきた。いきなりのことだったので最初声がした方向とは真逆の方に首を動かしてしまったが、直後に「こっちだ。こっち」と肩を叩かれた。
「あ、トシ」
机の横に立っていたのはトシだった。彼が自分の席を立って、僕のそばに近寄るのは珍しいことだった。
「お前、いつも十分休みの時本読んでっけど、どんなの読んでんの?」
そう言って、トシはカバーがかけられている僕の一冊の本を目で示した。
「えっと……こんなの」
口で言うのは何だか恥ずかしくて、カバーを取って表紙を見せることにした。
「『小説 御免スライダーサバンナーズ』……?」
「特撮の、小説……」
「え、特撮って小説もあるもんなの⁉」
トシは興味津々といった表情で僕の本を手に取り、ペラペラとページをめくり始めた。
「全ての作品にあるってわけじゃないけど、特撮作品のノベルはいくつかあるよ。講版社キャラクター文庫から主に出てて、今はガルルシリーズと、御免スライダーシリーズで小説が何作品か出版されてる。基本、本編の後日談か、パラレルの話になるんだけど……」
「ほうほう、相変わらず語りだすととまらねえなお前」
ページをめくり続けながら、トシにいつも通り軽く指摘される。
「あ、ご、ごめん」
「ま、もう馴れたけどさ。気にはせんでいいよ」
僕が特撮のことになると熱くなってしまう癖は、もはやトシとの間では当たり前のことのようになっていた。
それほど、僕たちはよく会話するようになったし、親しくなっていた。
「えー、そんじゃまあ、テストもあるけど、勉強も遊びも部活も恋も頑張れ。以上」
今日も先生はどこかハキハキとせず、かったるいように肩を動かした。コキコキと鳴らした音が教室に響く。五時間目の授業まで終了し、帰りのホームルームでのことだった。
「よし、日直、号令」
「はい」
本日の日直は僕だ。皆、僕の声で席から立ち、先生の方を見据える。
「気をつけ、礼」
ありがとうございました。さようなら。
クラスの生徒全員の声が重なった。
「なあー、夏休みどうするよ?」
教室を出たその直後、シキがそんな話題を振ってきた。まだ七月にも入ってないのに、気が早いんじゃないだろうか。
「夏休み?」
「そうだよ、だって夏休み『外出許可』出るべ?」
シキの発言に、僕の足が止まった。先を行く三人の後ろ姿をしばらく見送ってしまった。
「あれ、どうしたハル?」
トシが振り返り、ノブたちも続くようにこちらを見つめてきた。
「ご、ごめん」
慌てて三人を追いかける。駆け出したものの足は何だかおぼつかなく、途中つまづきそうになった。
「で、話戻すけどさ。さっき先生言ってたやん。『テスト終わったら夏休み。その夏休みに初めての外出許可があるから楽しみにしてろ』って……」
「ああ、施設案内のパンフにも書いてあったね。先生のおかげで思い出したよ」
「お前らはさ、実家帰んの? その期間」
シキの質問に、今度はノブの足も止まった。僕も自然と歩む速度が落ち、二人して立ち止まった。
「お、どした?」
「……帰らないよ、家には」
僕が口を開く前に、ノブがはっきりと言った。
「俺らが帰るべき場所じゃないから。あそこは」
「え、それってどういう……」
シキが言いかけたところで、トシが間に立ってシキを制止した。
「いいだろ、シキ。そこは訊かなくても!」
シキは何がなんだかわからないといった表情だった。無神経で鈍感な自分の片割れの非を詫びるように、トシは無言のまま、目つきで僕らに謝った。
僕も「別に大丈夫だよ」と、口には出さずに表情で応えた、つもりだ。トシが安堵していたので、どうやら意思は伝わったらしい。
新倉たちは分離症によって親との関係に『捻れ』が生じなかったのだろうか。シキの発言から察するに、彼らは実家に帰るつもりだと思われるのだけど。
「新倉たちは、帰るの?」
ノブも同じことを考えていたようで、彼らに訊いた。
「うん? どうしよっか、トシ」
「どうしような。まあ、今はいいだろ、その話は」
「えー、重要なことだぜ? だってそれによっては外出許可期間中に皆でいつ遊びに行くかが変わるし」
「遊びに……?」
シキの言ったことに耳が反応した。つい呟きがこぼれてしまい、シキにそのことについて詳しく訊こうとした瞬間に。
「おー、チミたち廊下で立ち止まってどうした?」
ユカさんが僕の横からひょいと顔を出した。リンさんも遅れて姿を現した。
「うーん、旅行かー」
「おうよ、せっかく施設から出られるんだし、どっか行こうぜ」
いつの日だったか、半月ほど前に僕も含めた母体組が改めて『友達』として意識しあったあの公園に、今僕たちはいた。雨宮さんたちはベンチに腰掛け、僕とトシはその近くに立っており、ノブとシキはベンチの横に設置されているブランコに乗っていた。
「京都とかさー、沖縄とか。修学旅行がないから、そういう所に行っておきたいって思わねえ?」
「まあ、確かにそういう思いはないことはないよねえ」
ね、リン。と、隣のリンさんに返事を求める。はっきりと言葉を出さず、曖昧に返事した様子を、僕はぼうっと眺めていた。
「お前らはどうなんだよ。旅行、興味ある?」
「うん、俺はべつに良いと思うよ。ハルはどう?」
「え、っと、僕は……」
そう言いかけて、僕は周りにいる友人たちを見回した。皆、僕の解答を待っている。皆の僕の顔に集まる視線がそう言っている。
正直、かなり胸が高鳴っていた。友達が出来たこと自体、初めてに近い体験だったというのに、それに加えて一緒に旅行に行こうかだなんて、ドキドキしないわけがなかった。
僕はあまり、人と集団で何か行事に参加するのは得意ではないけれど、このメンバーなら大丈夫な気がするし、何より静かな興奮が勝っていた。
「僕も、行きた……」
皆が僕を凝視していた。不思議そうな顔をして、ハルはどうしたのだろうといった思いが表情から見てとれるようだった。
それは当たり前のことで、何故なら今、この瞬間僕は言いかけたセリフを途中で飲み込んだまま固まっているからだ。
しかし、僕が固まっているのにももちろんわけがある。僕の目には、とある人物が映っていた。
その人物は、公園の入り口に突っ立っており、こちらを見つめていた、否、睨んでいた。睨み付けてきている僕らと同じくらいの歳であろうその少年に、僕は気圧されていた。なんでこっちを見ているんだろうと思うと同時に、名前の知らない、赤の他人であるはずなのに、どこかで会った気がしてならなかった。
次の瞬間、もっと衝撃的なことが起こった。
少年が、こちらに向かって歩いてきたのだ。
「え」
少年はゆっくりと、だが確実に歩み寄ってきていた。思わず声が漏れ、ようやく皆も僕の見つめる先と同じ方向に振り向いた。
「……誰、あなた」
少年が僕らの目の前まで来て、制止した。ユカさんがベンチから立ち上がり、少年を怪訝な目で睨む。
「……」
少年は、黙ったままだった。
「なんだよ、お前。俺らになんか用か?」
シキがブランコから飛び降りて地面にドカッと着地した後、少年に近づいていった。
その直後だった。
「……お前らは、知らない」
ぼそりと、その言葉は呟かれた。
「は?」
「知らないまま、生きていくんだろう……でも、いつしか絶対知る、そういう運命だ……」
ブツブツと、低い声で少年は言葉を紡いでいった。まるでそれが呪いの詞のように、僕らの耳にするりと入り込んできた。
「なんだお前? さっきから何をブツブツと……」
シキが少年の肩に手を触れようとした、その時だった。
「触るな片割れ!」
突如、少年は張り裂けるように叫んだ。耳をつんざくかのように思われるほど、不快感をもって公園中に響き渡った。
「うわっ、なんだお前!」
少年はシキが腕を掴もうとしたその前に、この場から早く逃れるようにくるりと踵を返し走り出した。
「ちょ、待てよ!」
シキが追いかけ、遅れてノブも彼の後を追うように駆け出した。残された雨宮さんたちと、男子二人はただ茫然とその場にいるしかなかった。
なんで、シキが片割れって決めつけられたんだ……?
僕の頭の中は、ただ一つその疑問が重く転がっていた。
もう少し後になって、思い出した。
彼は、僕らがまだ高校に入学する前、雨宮さんたちと遊んだ帰りに、道の途中で僕とぶつかった、あの人だった。
「ハルさん……」
リンさんが、僕のそばまで近寄ってきて。
「あの人、確か」
リンさんの言葉に無言で頷き返した。トシは何だ何だ、とでも言いたげな顔で僕とリンさんを見回し、ユカさんは入り口の外にまで出ていってしまった男子二人を心配するように、一歩前に出て公園の入り口を見つめていた。
しばらくして、ノブたちは帰ってきた。
「途中で見失っちまった……」
シキが、そう言った。
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