第13話 母体である僕ら

 トシがリンさんを呼び出した。

 それは中間テストの最終日。最後の試験科目である数学Aのテストが終了し、男四人で帰ろうとした時だった。

「ごめん、ちょっと俺用があるから先に帰ってて」

 トシはふいにそんなことを僕たちに伝えて、鞄を持って一人教室を出ていった。その後姿を、僕ら三人はポカンと見つめていた。

「どうしたんだ、あいつ。あんな急いで」

 シキが首を傾げる。

「ありゃ、シキ知らないの? トシの用事」

「いや? あいつが一人でやることなんて特に思い浮かばないし、今朝も何も言ってなかったし……」

「うーん、じゃあ何だろ?」

「あ、もしかしたら女子に告白しにいったとか、なんてな。あいつにはそんな度胸ねえし」

「おいおい、それはどうなんだ」

 シキとノブが楽しげに話をしているなか、僕だけは急激に焦りを感じ始めていた。理由はもちろん先程のシキの発言だ。冗談のつもりで言ったんだろうけど、トシには好きな相手がいることを知っている自分からしたら、その冗談がフラグにしか聞こえなかった。

 あの日、ユカさんに僕とトシが呼び出された時以来、トシは迷っていた。ユカさんに言われたことを受け止めて、本当に自分は相手が好きなのか、そのことに悩んでいた。

 だから、僕はある意味安心していた。彼が悩んでいるおかげで、当分は僕とリンさんの関係に変な亀裂は入らないだろう、そう思っていた。

 けれど、どうだろう。もう、あれから大分時間は過ぎていった。

 トシが思い直して、「やっぱり俺はリンが好きだ!」ってなっていても不思議ではないのだ。僕がそのことに考えを費やしていなかっただけで、その間にトシがどれほど考え直していたかは僕の知るところではない。

 そう思うと、いてもたってもいられなかった。突っ立っている場合じゃない。トシが行く後を早く追わなければ。

「ごめん、僕も用事あるの思い出した。二人で帰ってて!」

 鞄の紐を肩に急いでかけて駆け足で教室を出ていった。


「……」

「帰るか、ノブ」

「うん」

「最近、二人で帰ること多くなったな」

「……だな」



 すでに1組にはトシとリンさんの姿はなく、二人がどこに行ったかわからなかった。慌てて校内を探し回り、途中で「告白するとしたら外かな」と考え、本校舎の南側、一階の昇降口を出た先にある中庭をまず見ることにした。

 昇降口を何の気なしに飛び出してうっかり二人に出くわしてしまうとまずいので、昇降口を出る直前で逸る気持ちを抑え、慎重に、出入り口からそっと顔を出して覗くように辺りを窺った。

 そんな僕の姿を、何人かの通りかかった生徒にコソコソ話しながら見られてしまったけれど今はそんなことはどうでもいい。それより、重大な光景が今僕の目に映っていた。

 中庭にある池の近く、一本の金木犀が生えているその下で、トシとリンさんがいた。しかもどうやらちょうど告白した瞬間だったらしく「す、好きです」みたいなセリフが微かに聞こえた。

 ビンゴかよ……

 僕は一度顔を引っ込め、がっくりと力が抜けたかのように腰を下ろした。

 やっぱり、リンさんのこと好きだったのかよ、トシ。

 そんな思いが、真っ先に胸中に広がった。ユカさんに指摘されたことを気にして、しばらくの間は自分の想いが本当であるかどうか悩んでいたのに、結局は好きってことに落ち着いたんだな。

 一度、「好きかどうかわからない」なんて言ってたくせに。

「なんなんだよ……」

 ぼそりと、言葉が零れ落ちた。





 今日、男子に放課後に呼び出されるという人生において初めての体験をした。

 誰かに呼び出しをくらうこと自体は初めてじゃない。中学の時に、いじめられていた頃にはよく受けていたし。でも、いじめの主犯は女子だったから。同性に、しかもいじめとは関係のないところで「放課後、○○に来て」って言われたのはかつてない出来事だった。

 相手はここ最近友達関係になったとある男子。名前は確かトシ、だっけか。ハルさんとはよく話すし、良い友人だとは思っているけど、正直トシという人に関しては会話した回数も少ないし、そもそもどこか雰囲気が尖っている感じがしてあまり好きな性格タイプではなかった。そんな人からおどおどとした態度で伝えられたので、何事かと驚くばかりだった。

 まさか、告白とか。

 最初、今朝教室に相手がやって来て件のことを言われた直後にそう思った。

 だって、マンガやアニメだったら大体そういうパターンだし。私が今ハマっているマンガでも、ラブコメで最新巻で主人公がヒロインに想いを伝えたシーンを読んだばかりだった。

 だから、脳が自然とそういう思考回路に行き着いたわけだけど、程なくして「いや、それはないよね」って思い直した。

 私に告白? まさかそんなアハハ。あるわけないない。って、思っていたのに。

 まさかだった。告白だった。

 昼下がり、木漏れ日が煌めくその光を浴びて、男子から初めて告られた。

 え、いや、どうしよう。

 相手は頭を下げたまましばらく動かなかった。愛の宣言を終えて、あとは相手の答えを待つつもりなのだろうか。

 そうだとしたら、凄い困る。だってどう答えればいいのかなんて、今の私だったら百年悩んでもわからないだろう。ましてや相手は友達といえども知りあいに毛が生えた程度の仲である男子だ。相手のこともよく理解していない状態で、果たして返事を出していいものか。

 これがもし、相手がハルさんだったら、どうなるかな……。

 と、考えかけたところで再び思い直す。いや、そもそも男子に告白された経験がなくて困ってるんだからハルさん相手でも変わらないでしょ……

 変わらない、かな。

 あれ、何だ、どうした私。

「……リン、さん?」

 トシさんに声をかけられて、どこかに遠のいていた私の意識は引き戻された。

「え、何?」

「いや、何かぼうっとしてたから……顔も赤いし」

「はあっ⁉」

 思わず声が出た。声量はかなりのものだったようでトシさんが体をびくつかせて一歩後ずさったくらいだ。

「うわ、びっくりした」

「あ、ごめん……」

 でも大きい声出ちゃうよ。なに顔が赤いって。まるでそんなの、私が……

「で、どうっすか?」

「え?」

「返事、オーケーですか? それとも今すぐには出せませんか?」

「えっと、その」

「今すぐに出せなくても全然大丈夫です! 俺、いつまでも待てるんで!」

「あ、あの、ごめんなさい!」

「え?」

 躊躇なく人の内側に土足でずかずかと入り込んでくるかのような勢いにどう対応すれば困惑し、とにかくこの状況から脱け出したいと思って口から出た言葉がそれだった。

 トシさんの表情は固まっていた。想定される出来事のなかで最悪のパターンが起きた、そんな顔をしていた。

「えっと、そうか……はは」

 彼は数歩私から離れて、考え込むように額に手を当てた。

「ま、そうです、よね……いきなり告白されたら、意味わかんないですもんね」

「すみません。私、誰かと付き合うのは無理っていうか……」

「いや、良いんです。逆にハッキリと言ってくれて良かった」

 私は彼の顔を見れなかった。何故だろう。私は彼に呼ばれた側であり、突然愛の告白をされて私自身には何の落ち度もないはずなのに、まるで自分が相手に迷惑をかけてしまったかのような、罪悪感が心を支配した。

「ほんとに……なんか、まあわかっていたけど……」

 小さく、負け惜しみのようなそうでもないような言葉が呟かれていく。私はそれを、ただ地面を見つめながら黙って聴いているしかなかった。

「……ちくしょうっ」

 最後にやるせない悔しさがこもった一言を口にしたかと思うと、私の前から彼の気配が消えた。顔を上げて後ろを振り返るとトシさんは鞄を体の前に抱き抱えながら走り去っていた。

「あ、あのっ」

 呼び止めたところでどうにかなるわけではない。相手も私の声が届かなかったようでこちらを振り返ることなくどんどん遠ざかっていく。いや、あえて聞こえないフリをしているだけかもしれない。何にせよ、私は告白されてその相手を振るという、最初にして最後かもしれない体験をしたわけだ。

 妙に女の子みたいな走り方で去っていったトシさんは、その数秒後昇降口から突如姿を現したある人物と衝突事故を起こす。



 俺、新倉トシ、一世一代の告白イベントは、あっけなく終わってしまった。

 口早く相手に迫るような勢いで話しかけたのがまずかったか。しかし、今さら悔やんでも後の祭であって、一度フラれた以上は潔く諦めるのが男というもの。

 俺は後腐れなくこの場を去ろうと、努力したつもりだった。だが、現実は思わず「ちくしょう」だなんて言葉を呟いてしまったくらいには、情けない去り際だった。

 せめて涙は流さないように。万が一流してしまったとしてもそれを相手に見られないために、俺は全力でこの場を走り去ることにした。走ること自体、心情が深く傷ついていることを相手に覚られてしまう行為なわけだが、そこはもう致し方ない。今は、とにかく早く彼女の前からいなくなりたかったのだ。

「うをぉぉぉー‼」

 ああ、これもまた青春の一ページ足りうるのだろうか。そうだ、そうなんだ。俺はちゃんと頑張った。ちゃんと相手のことが本気で好きどうか考え抜いたし、あの時と違ってちゃんと相手の答えをしっかりと聴けた。俺はやるべきことをやったし、自分の気持ちに素直になった。それ故の結果なんだから、いいじゃないか……

「……でも、やっばり……ちくしょうっー‼」

 二度目の雄叫びを上げた直後、ふいに横から姿を現した者がいた。

「へ?」

 気づいたその瞬間にはもう遅く、昇降口の前を走り抜けようとしていた俺はそのまま何者かと激しくぶつかることになった。



「帰るか……」

 いつまでもここにいたってしょうがない。僕は立ちあがり、鞄を肩にかけ直した。

 トシはリンさんに告白した。それは彼が彼女のことをちゃんと好きであったからで、トシは勇気をもって告白を行ったのだ。それは少なくとも否定されることではなく、むしろ称賛に値することだ。

 誰かに自分の想いを告げることがどれほど困難で恐ろしいことか、僕はよくわかっている。

 それにトシはチャレンジした。そういう意味では、僕より彼の方が立派だし勝っている。

 僕は歩き出した。一歩一歩を踏みしめるように。

 明日、トシの告白が成功したかどうかは、噂が回ってきっと僕にも伝わるだろう。僕とリンさんの関係が変わるかどうかは、その時にまた悩めばいい。

 今は、とにかく寮に帰ろう。

 昇降口を出るその直前、何やら野太い叫びが聞こえてきた。なんだろうと思いつつも、沈んだ気分でいた僕はこれから起こることを予測出来ずにぼうっとしていた。

 次の瞬間、何かと衝突した。

 地面に顔面を打って、鼻血が出た。




 ハル、リン、トシの三人は学校の保健室にいた。

 実際に治療を受けているのはハルだけで、衝突したといっても側であるトシは無傷でいた。リンはほぼ付き添いである。まあ、自分が半ば今回の事故の原因みたいなものだったから、付き添わずにはいられなかった、というのもあるだろう。

「いやー、派手にぶつかったんだね、ほんと」

 保険医に顔に消毒薬が染みた綿をあてられながら、ハルは「はい……」と力なく答えた。

「ほんとに、ごめんな、ハル。俺が、勢いつけて走ってたから……」

「いや、私がそもそもトシさんを、その……アレしちゃったからこうなったわけだし……ごめんなさい」

「二人とも謝んなくても。トシの声が聞こえていたのに何の対応もしてなかった僕が悪いんだよ……アイタタ……」

「何、君たち仲良いねえ」

 保険医が静かに吹き出した。微笑ましいなあ、そう彼女の表情は言っていた。そこで三人は互いを初めて強く意識した。それぞれ母体である、自分たち。

「はい、とりあえずこれで大丈夫。暫く痛みは残るだろうけど、我慢できるね? 男の子だし」

「はい……」

 鼻に葉巻状に丸めたティッシュをぶっさしているハルは、これまた弱々しい声で答えた。



 三人で公園にいた。壁に囲まれた居住地域の中に、二つある内の一つだ。

 といっても幼い子供がほぼいないこの分離症患者支援施設だけあって、滑り台の遊具は一切ない。あるのは砂が轢かれた広場と二つのベンチ、それにトイレと自動販売機がある。

 トシとリンはベンチに座ってそれぞれ空を眺め、ハルは自販機で飲み物を買っていた。

「はい、」

 買い終わったハルがベンチに戻り、二人に缶を差し出す。リンには緑茶、トシにはアイスココアを買った。

「さんきゅ」

「ありがとう」

 二人は礼を言って受けとる。ハルは二人の間に座り込み、炭酸水缶のタブを開けた。

 三人で飲み口に口をつけるタイミングが同じだった。飲もうとしていた手が三人とも止まる。

「……飲まないの?」

「いや、飲めば?」

「じゃあ飲もうよ。なんで互いの顔を見合ってんの?」

「それはハルさんも同じですよ」

「ぶふっ」

「なんだよトシ」

「いや、その……ティッシュぶっさしてる顔がやっぱり面白いなって」

「はあっ、お前! お前のせいでこうなったようなもんなんだからな!」

「あれ? さっき保健室で自分のせいだって言ってなかったっけ⁉」

「あれは……ていうか反省はしろよ!」

「反省はしてるわボケ!」

「あーもう、喧嘩しない!」

 リンが珍しく声を張り上げた。リンの勢いに気圧されたのか、男子二人の口喧嘩は止んだ。

「……ごめん」

「すんませんでした」

「もういいじゃないですか、そのことは。誰のせいとか、もうそういう話じゃないんですし」

「せやな……」

「そう、だね」

 三人とも沈黙する。夕方に吹く涼しい一陣の風が、公園の中を吹き抜けて木々を微かに揺らした。

 突然、トシがベンチから腰を上げた。

「あのさ!」

 彼は座っている二人に向き直り、リンの方を見た。

「俺たち、友達のままではいいんだよな? 一応、確認するけど」

「え、ああ……それは、はい」

「うう~ん、ぱっとしない返事だけどまあいいや! そんならさ」

 そう言って、今度はハルの方を向く。

「俺たち三人、改めて友達ってことで、いいっすか?」

 トシは両手を差し出した。その表情には恥ずかしさも滲み出ていた。が、彼は差しのべたのだ。

 片割れ組は出会ったその時から、何だか打ち解けていた。けれど、母体である三人はいつまで経ってもぎこちなかった。ハルとリンの関係でさえ、まだ二人の間にはよそよそしさがあった。でもそれは仕方がないことだった。元々、人付き合いが苦手なタイプ同士だったのだから。人間関係を上手く築けるようであったら、そもそも分離症なんかにはならない。

 互いに、自分の理想があって、その理想が具現化した自分たち。分離症の母体である僕ら、私たち、俺ら。

「うん、よろしく」

 リンが、最初に彼の手を握った。

「おう。さっきフラれた相手に手握られてるってのも不思議だけど」

「それはごめんなさい。でも、友達としてなら、私は大丈夫です」

 トシとリンが笑い合う。その光景を見て、ハルもトシの右手を握った。

「僕も……よろしくね、トシ。リンさん」

 これからはリンさんだけが友達じゃない。トシも大切な友人である。ハルはそのことを受け入れた。

「ああ、よろしく」

「私も、改めてよろしくお願いします、ハルさん」

 母体である三人はこうして、『友』となった。

 三人の心は、とても清んでいた。軽やかな心地よさが、胸を満たしていた。


 これから先に立ち込める暗雲なんて、知る由もなかった。


















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