第12話 ターニングポイント
今、俺は困惑している。
友人に自分の恋計画を成功させるための手伝いを要請し、意中の相手の片割れさんに俺の気持ちを伝えておいてほしいと頼んだ。そして今日の朝、学校で友人から「片割れさんが俺と直接会って話がしたいらしい」なんてことを言われ、よし、着々とマイラブサクセスプロジェクトが進んでいるじゃないか、って意気揚々としていたんだ。
そして、放課後になってデパートのフードコートにて友人と並んで座り片割れさんと対面しているのだが……。
どう見ても、奴さん、怒っているのだ。
「なあ、おい」
俺は耐えかねて小声で友人に話しかけた。
「な、何?」
「なんか怒ってない? ユカの奴」
「えっと、それは……」
「お前、何か余計なことでも言ったのか?」
「言ってないよ、僕は君の考えてることをありのまま伝えて……」
「ちょいと君たち」
俺たち二人の間を一本の矢が通過したかの如く、彼女の言葉は鋭く放たれた。ひそひそと耳打ちし合っていたところに止めがかかった。
「さっきから何をこそこそと話しているのかな?」
ユカの顔は静かに俺を睨んでいて、先程買ったポテトを一本かじりながらも、その目は獲物を見定めた鷹のようであった。やっぱり、ハルの野郎が何か余計なことを言ったに違いない。そうでもなければ彼女が俺をこんなにも睨むことはないはずだ。
「す、すみません」
ユカの物言いに怯えたのか、ハルは弱々しい声を出した。まあ、怯えたくなる気持ちはわかるが、もう少し気張れよ、ハル。
「で、うちのリンに好意を寄せてるって話だけどさ」
ユカの視線が明らかに俺に向けられた。慎重に言葉を選んで答えようとして頭を悩ませていると、俺の応答を待たずして彼女は言葉を続けた。
「トシくんは、どれくらい本気なのかな?」
「えっと……」
「私的にはね、べつにリンを好きになってしまうことには構わない。仕方ないもん。私のリン可愛いし。だけど、それで『はい、どうぞ。リンを幸せにしてやって』ってなるのは話が別。そもそも自分は何もしないでハルくんに根回しさせるとか色々となめてるでしょ」
ここまで言われて、ひとつわかったことがあった。
もしかして、ユカにも伝えておく必要はなかったんじゃないか。
どうやら、ハルは何も余計なことは言ってないようだ。それは、ユカの発言から何となくわかった。
「なあ、ハル」
「え、何?」
「疑って悪かった」
「え?」
よし、とりあえず小声で謝っておいた。
さて、考えの続きだ。つまり、ユカは素で俺に怒りを感じている。俺はユカに、友人に協力を依頼するだけして、自分は何もしない最低野郎だと思われているらしい。
それではいけない。ちゃんと自分もするべきことに取り組んでいたことを、相手に伝えなくては。
「いや、確かにハルには協力を頼んだけど、俺だってやることをやってました」
「……へえ、具体的には?」
「具体的には……その」
恋愛指南書を読んでました。そう言おうとした直前、何だか恥ずかしくて言いづらくなった。
「その、何よ?」
「読んでたというか、勉強してたというか……」
「勉強?」
「トシは、恋愛の指南書を読んで彼なりに勉強をしていたらしいです!」
まさかのまさか。ハルの口から事実が伝えられた。俺が言いづらそうにしていたことに気付き、気を遣って代わりに言ってくれたのだろう。しかしハル。お前声がでかいよ。周りから多数の視線を感じるんだけど。『恋愛指南書』とかいうワードをそんなハッキリと言わんでいい!
「へ、へえ……」
ほら、ユカも何ともいえない反応じゃないか。呆れたのか嘲笑しているのか、彼女は「フッ」と一息笑った。
「ふーん、なるほどね……」
しばらくユカは黙りこみ、ポテトを三本ほどかじりながら何か考えごとをしているようだった。ハルもウーロン茶をストローで啜っている。俺の目の前にもコーラがあったが、色々な意味で緊張していて飲む気にはなれなかった。
「それで、何か得るものあった?」
「え、」
「指南書読んで、どうだったのよ?」
どうだったか……そう訊かれると、何とも答えづらい。まだ数ページしか読めてもいないし。いや、色々と忙しくて。時間がね……って、俺は誰に言い訳をしているんだろう。
「どうなの? 結局」
ユカが人さし指でコツコツとテーブルを叩き始めた。何か答えないと彼女の待ちきれないイライラが爆発しかねない。
俺は、何でもいいからとにかく口を動かした。
「その! ……得られたものは、特に、ないです」
そう言うしかなかった。それが事実なのだから。取り繕って誤魔化したって、いつしか必ずボロは出る。だったら正直に答えてしまった方がいい。
俺が答えると、ユカは「ほれみなさい」とでも言いたげな表情を浮かべていた。
「そりゃそうだよ。恋愛指南書なんて、あんなの読む時間があったらとっとと意中の相手に話しかけるなりなんなりしろって話よ。大体、うちのリンは市販の指南書で攻略できるほど、甘くはないんですけど?」
ユカは肩肘をついて、奉行所の役人が罪人に詰め寄るかの如く勢いで迫ってきた。言葉の一つ一つがまるで弾丸のようで、俺の頭を何個も貫通していった。
「す、すみませんでした……」
「すみません……」
ヘトヘトになり、力なき声で謝罪した。何故かハルも一緒に謝ったけれど。
「何でハルくんも謝るの?」
「いや、何だか僕も謝らなきゃいけないような気がして」
「?」
きっと、ユカの勢いに気圧されたのだろう。確かにあれは自分が例え関係なくとも、思わず自分にも非があったのではと勘違いしても無理はない。
「ところでさ、何でまず私に伝えようと思ったの?」
思っていたことを全部吐き出してすっきりとしたのか、ユカは一旦落ち着き冷静さを取り戻していた。俺も大分緊張が和らぎ、ようやくコーラを飲むことができた。氷が溶けて味はかなり薄まっていたが。
そんな時に、ユカはそう訊いてきた。
「だって、私通すよりもリンに直接、ていうか片割れに話してどうするつもりだったの?」
ユカに続いてハルも、「それは僕も思ってた」なんて追随して質問してきた。
「それは……ユカさんにも俺の気持ちを知っておいてもらえれば、後々楽に事が進むかなって思って」
「はあ……」
答えた直後、ユカはまるでわからないといった反応をみせた。
「うーん、あのさ。トシくんってあまり相手の気持ち考えないタイプでしょ」
はあ? そんなことはない……と返そうしたけど、何故か言葉が詰まった。相手が言ったセリフの内容をゆっくりとかみ砕き、理解するとそれと同時にストンと府に落ちるというか、的を射ぬかれたような気分になったのだ。
「……そうかもしれない」
「やっぱり。私さ、結構人を観察してるから、そういった部分に鋭いのは自信があるんだけど。トシくんって、自分の気持ちが高ぶると周りが見えなくなって、自分の考えている通りに全て上手くいく、なんて思っちゃわない?」
グサグサと降りかかる当を得た発言に、だんだんと意識が変わっていくような気がした。そうだ、俺は昔からそうだった。立石さんの時だって、彼女のことなんかこれっぽっちも考えずにいつ告白するか、成功したら初のデートはいつどこに行くかなんて、自分の楽しみしか考えていなかったんだ。俺は立石さんを見ていなかった。見ていなかったから、彼女を想うのではなく彼女と一緒にいる幸せな自分を想像することばかりしていたから、あんな結果になったんだ。そして分離症にもなってしまったわけだし。俺は、過去の失敗から何も学んでいなかった……
「……うん、あんたの言うとおりだ。俺は、要は相手が好きなんじゃない。恋が実った幸せな自分になりたいだけなんだ」
隣から「ズズッ」て音がした。どうやらハルがウーロン茶を飲み終えたらしい。その音が間抜けに響いた。
「おい、ハル。お前……」
「え? 何」
「いや、何でもない」
「? そう。あ、ちょっと僕トイレ行ってきます」
そう言い残してハルはすたこらとトイレに向かって席をあとにした。俺とユカ二人だけが残された。
「トシくん」
ユカが顔を上げ、何を言い出すのかと俺は身構えた。
「ポテト、食べる?」
彼女は長く細い、若干萎びかけているフライドポテトを差し出してきた。
「へ?」
「いらないならいいけど」
「あ、いや。いただきます」
「はい、どうぞ」
「どうも……」
俺はユカからもらったポテトをかじった。塩がしょっぱいくらいじゃがいもに染み込んでいて、何だか今の自分の気持ちを表現しているみたいな味だった。
「しょっぱいだろ。あそこのバーガー屋、味濃いので有名だから。ま、それが好きなんだけどもね」
ちなみにリンも好きなんだよ、これ。と、ユカは続けた。あの子おとなしい見ためしてジャンキーな食べ物好きだから。飲み物はお茶派らしいけど、といった内容だった。もちろん、それは俺に軽い衝撃をもたらした。てっきり、甘いお菓子とか、そういう激しくないものが好きだと思っていたから。
つくづく、相手のことをよくわかっていないまま好きになっていたんだな、ということを思い知らされる。
「どう? トシくん。まだ、リンを好きって気持ちは変わらない?」
「正直……わからない」
「だよねー。あー、何かごめんね。私が変なこと言ったから気持ちに揺らぎが生まれちゃったよね」
「いや、それはまあ……気にしてないというか自分も目が覚めたというか。……今さら言われても」
「そうだね。意地悪な問いかけだった。こりゃ失敬」
某刑事ドラマ風なセリフを言って、ユカは最後のポテトを口に運んだ。
「まあ、ゆっくり考えなよ。ちゃんと考えて、リンのことが本当に好きだと思ったんなら、私はとやかく言わないよ」
ユカは両の手の平を打ち合いついた塩を払った。
「わかった……色々と、すみませんでした」
「うん。もういいよ」
二人の間で事は解決し、ちょうどハルもトイレから戻ってきた。
「ごめん、お待たせ」
「おう、お帰りハルくん」
「長かったな。大か?」
「ちょ、女子のいる前で!」
「あー、私気にしないから平気だよ~。ただ、リンはあまりそういうネタに耐性ないから気を付けときなよトシくん」
「え、ああ……す、すみません」
こんなやり取りを最後に交わして、俺たち三人はデパートをあとにした。母体二人に片割れ一人。意外な組み合わせだったけれど、思いの外話は弾んだ。むしろユカの中で俺はちょうどいい弄り対象になってしまったらしく、何だか俺にからかうような質問をしてきては、俺が恥ずかしがったり怒ったりするとケラケラと笑っていた。まあ、女子に構ってもらえるだけでもありがたいから、文句はいえねな、うん。
* * * * *
少年は家に帰る途中であった。しかし本当は家に帰りたくなどなかった。母は気を遣っているのか自分に対して腫れ物をさわるように接してくる。父は元から仲が良くなかったこともあって、一度は家を離れたのにまた戻ってきた少年に、常に苛立ちを覚えていた。
少年は思う。
神なんていやしない。
ありふれた思想ではあるが、その考えは少年にとって他の人間よりもさらに深く苦しい意味を抱いていた。
「……死にたい」
立ち止まり、微かな願望を、ぼそりと呟く。だが、少年はまだ死ぬわけにはいかなかった。ある目的を果たすまでは。少年は、生きていかなければならないのだ。
「……畜生、畜生!」
少年は頭をかきむしった。思いっきり叫んだ。他に誰もいない、暗い畑の横の道にて、ぽつんと、少年だけがそこにいた。
しばらくしてから、少年、荒木響は再び歩き始めた。
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