第11話 報告

 私の名前は白鳥文。職業として心理学を研究し、四年前から『分離症患者支援センター みらい』設立とともに施設のカウンセラーとして働くことになった。

 大学でずーっと心理学研究ばっかりしていた私に声がかかったのは、今から五年ほど前、暑い夏の日のことだった。

「文君、生の分離症患者に会ってみたくないかい?」

 私の師である大谷教授に昼食に誘われた。大学校内の食堂において、コーヒーを一口飲んで一息ついた際に、ふとそんなことを訊かれた。

「え、そ、それは……」

「君は私の下で心理学、とりわけ分離症患者における心理状態について研究しているだろう? 母体と片割れの、互いに対する認識作用についての研究、あるだろ」

「はい、現在取り組んでいますが、私は週に一度は我が大学病院の精神科にかかる分離症患者に会っていますし、データは着々と集めています」

「だが、たったそれだけだろ? ほぼ毎日、患者を直接この目で見ることができるとしたら?」

「そ、そんなことあるんですか⁉」

 私が驚きのあまり目を見開くと、教授は日替わり定食のおかずである豚カツを一つ頬張り、「あるとも」と口をもごもごさせながら答えた。

「ま、正確にはだけどな。君にはまだ伝えていなかったが、分離症患者に対する本格的サポートを行う大プロジェクトが始まるんだよ」

 カツをごくりと喉に流し込み、ゲップがでかかって慌てて口に手を当てた後、しばらくして落ち着いてから教授は言葉を紡いだ。

「大プロジェクト……」

 私は呟き、唾を飲み込んだ。我が国に突如として発生した謎の病気である分離症。思春期の少年少女の間で瞬く間に発症者が増えていった。『キャラの演じわけ』などの心理的状態が起因とされるが、本当の原因は何一つわかってない。一人の人間がある日突然二人の人間になる。これは比喩でもなんでもなく、本当に姿形はそのままの人間が二人の存在に分裂する。双子とは全く違う、それは一人の人間そのものなのだ。

「ああ、つまりは患者を全体的に監視できるような、大規模な施設を造るって話だ。精神医学、心理学研究の関係者が密かに国と連携して動き始めている」

「監視、ですか……」

 私は、その言葉につっかえるものを感じた。教授がこの言葉を使った意味は察することはできるがやはり感じの良い言葉ではない。

「ああ、残念ながら監視だ。母体と片割れの間に、いつアレが来てもおかしくないからな」

 そう言って二つ目のカツを頬張る。

「だから、全国の患者を一つの場所に集めてしまおうってわけだ。分離症についてわからないことはたくさんあるが、確かにわかっていることも存在する。我々はその数少ないことについて最善の策 をとるしかないのだよ」

 教授は淡々と述べていくだけであった。今年で五十代も半ばとなり、口を動かす度に年々生え際が後退しつつある額の筋肉がぴくぴくと動いている。どこを見ているんだって話だけど、私が教授よりも座高が高い分、見下ろさないとなると私の目線が行き着く部分はそこなのだ。

「……あの、それで、仮に私がその施設で働くとして、具体的にはどういったことを?」

「おお、そうだったな」

 教授は一番伝えるべきことを慌てて思い出すように、コップに入った水をごくりと口に流し込み、話す準備を整えた。

「文君にはその施設で、患者の精神状態の正確なデータを取ってきてもらいたい。カウンセラーとして患者に接し、母体、片割れ両方にコンタクトをとる。そして、もしアレが発生するようだったら、君はすぐさまそれを報告するのだ」

「……つまり、私の仕事は今後の分離症研究においての必要となるデータの収集、及び患者間で × × × が発生していないかチェックをすること、ですね」

「そうだ。 × × × は患者によって個人差があり、いつ発生するかがわからん代物だからな。カウンセラーとして患者を接していくなかで危険だと判断したらすぐに上に伝えること。あとは × × × 研究機関の奴らが後始末をつけてくれる」

「なるほど。私の他にも、声がかかっている方はいらっしゃるのでしょうか」

「それはもちろん。君以外にも多くの分離症研究に携わる者に声がかかっている。分離症の謎をいち早く解き明かすためにも、協力してほしい」

「わかりました。喜んでその仕事、お引き受け致します」

「うむ、それは良かった。ところで、文君」

「はい?」

「食わんのかね? さっきから手をつけていないが」

 教授は私の手元を見るよう目線で促した。確認すると、私はまだトレーに乗せられた料理に一口も口をつけていないことを思い出した。

「た、食べます!」

「はっはっは。話を聴くことに夢中になっていたな」

 私はすっかりと冷えてしまったハヤシライスを、スプーンですくって口にした。



 そうして翌年の一月に、正式に分離症患者支援センター みらいで心理カウンセラーとして働くことが決まり、三月から大学での研究生活から離れて、A山県の施設に勤務することになった。

 研究生活から離れたといっても、患者と接し症状を分析すること自体が研究の一環ではあった。施設内の患者相手にカウンセリングを行い、これまで数百人もの一人であり二人である子供たちを診てきた。

 私が診てきた患者の中には、 × × × を発生してしまった子供もいた。私はその予兆をカウンセリングのなかで気づく度に、通称『北施設』の × × × 研究者たちに報告した。彼らは私が報告する度に嫌な笑みを浮かべる。そして私の顔を見つめ「あとはお任せください」なんて言ってニタリと口を歪めるのだ。彼らがどんなことをしているのかは私は知らない。知りたくもない。いくら × × × が危険だとはいえ、まだ十代である患者たちを彼ら研究者に預けるのは、とてつもない不安が胸に渦巻く。

 北施設は、『みらい』施設よりももっと奥の方、盆地を超えたその先の山の頂上に、灰色の建造物としてひっそりと存在している。

 ちょうどみらい高校の屋上から、その姿が小さく目で捉えることができる。



 月に一度のカウンセリング。これが夏期休暇後の二学期に入ると二週間に一回のペースと早くなる。患者によっては一学期からカウンセリングの回数を多くしていることもあるが、基本はこんな感じだ。

 分離してから一年は何ともないが、その後患者の年齢が重なるにつれて、 × × × の発生率は高まるとされる。しかしそれはあくまで一つの説に過ぎず、分離してからの発生時期は、未だに予測不能な部分があるのだ。

 今日は一年生の生徒を担当した。午後の授業の時間をまるまる使ってのカウンセリング。

 私を含め計六人のカウンセラーが全三クラスの生徒それぞれの母体、片割れに対して行った。

 私はこれまでずっと片割れを担当している。片割れは × × × が関係していることもあり、カウンセリングにおいても特に重要視されている。ぶっちゃけていえば、母体に対してのカウンセリングはやる必要性がそんなにないのだ。片割れだけに行うと不自然に見られるため、カモフラージュ的な意味合いで行っている。

 今日のカウンセリングは、一先ず大丈夫そうだった。どの片割れの子も、まだ精神的に安定している。これが二学期になると、数人ほど予兆を感じさせる生徒が出始める。まあ、いつものことだ。

 カウンセリングを終えて、私は職員室に向かっていた。一年三組の担任である二階堂秀則先生に本日のカウンセリングの大まかな結果を報告するためだ。

 カウンセリングの結果報告自体は、通常翌日に行う。情報をしっかりとまとめてから報告するためだ。しかし、二階堂先生からはまとまってなくてもいいので、早く結果が知りたいから放課後に職員室に来てくれと頼まれている。片割れ担当の私は特に。二年連続で二階堂先生のクラスを担当しているが、去年もそうだった。母体担当のカウンセラーはちゃんとまとめてから報告したいとのことで、先生も母体の生徒に関してはそこまで結果を知るのを急がなくてもいいことをわかっているので、その意思を了承した。

「失礼します」

 私が中に入ると二階堂先生はすぐにこちらに気付き、急いで立ち上がろうとしてデスクに足をぶつけた。

「すみません、お恥ずかしいところを」

 カウンセリングのある日、先生はいつもこうだ。結果が来ることを待ちわび、しかしその内容に万が一のことがないか恐怖している。入り乱れた思いが焦りとなって、慌てた行動として表れる。

「それじゃ、行きますか」

 二階堂先生の提案に、私はこくりと頷いた。



 私が先生に結果報告する場所は、三階の多目室。といっても、三学年の空き教室を名称を変えて使用されているだけだ。通常ならここは三年三組となるはずだったが、ちょうど一クラス分の生徒が施設を去った。

「三年になると、流石に生徒の数はめっぽう減りますよね……」

 適当に席を選び、ゆっくりと着席した後に先生が呟いた。

「まあ、二学年を境に半分の生徒がこの施設を去りますしね。みらい中学及びみらい高校どちらも、学年が上がるごとに生徒数は全体的に減少します」

「そうですよね……あ、それで、どうでした、私の生徒は」

 どこか憂いに満ちた表情で教室全体を眺めたいた先生が、はっとした顔を浮かべて私に訪ねてくる。

「今のところは大丈夫です。片割れの生徒に精神的異常の兆しは見られませんでした」

 私が答えると、先生はかなり安心したようでため息を一つついた。

「良かった、とりあえず。本当に……」

 背中にのし掛かっていた重圧から解放されるようだった。両手を組み、大きく肩が動く。

「また来月にカウンセリングがあります。それまでしばらくは安心して大丈夫かと」

 二階堂先生は私の言葉を、まるで神からのありがたい教えを聴くようにして、「ありがとうございました」と何度も呟いた。去年からこの様子は変わっていない。

「あ、そういえば」

 しばらくして、一旦落ち着いた先生からこんな話を聞いた。

「さっき職員室に着く前に……響を見かけました」

「え、響って……荒木くん、ですか?」

「ええ」

「それは一体、どこで?」

「廊下の窓から、校門の前に立っているのを見つけて、すぐに外に出ていって声をかけたんですけど……逃げられちゃいました」

 先生は恥ずかしそうな笑顔だった。けれどもその顔は数秒経たないうちにうつむき加減となり、笑顔は消えた。

「荒木くん、どんな感じでした?」

 私が訊くと、先生は数秒間の沈黙を挟んで、口を開いた。

「睨んでました。学校を。きっと、まだ恨んでいるんでしょう。私たち、『みらい』で働く全ての大人たちを」



 荒木響あらきひびき。二階堂先生の前のクラスの生徒であり、彼はもう、一人だけの人間である。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る