第9話 カウンセラー
ほら、いくよハル
大丈夫だって気にするなよ
もう少し前向きになろうぜ
なあ、いつまでお前、後向きでいるつもりなの?
目が覚めた。額に嫌な感触があってゆっくりと体を起こした。
気がつくと異様に汗をかいていて、額の嫌な感触はそれだった。額だけではなく、背中も汗でびっしょりなことに後から気づいた。
枕の横に置いておいた、充電器に差したままのスマホを手に取り、側面の電源ボタンを押して画面に表示された時刻を確認する。まだ朝の5時前だった。
なんだか、変な夢をみていた気がする。内容は思い出せないけど、とても歪な夢であったことは確かだ。
というか、ここ数日間何度も同じ夢をみている気がしなくもない。その度に変な汗をかいて目が覚めて。前までは自分の方が朝には弱かったのに、学校が始まってからというものハルよりも早く起きることが多くなった。
なんだろ、柄にもなく新しい環境に緊張でもしているのだろうか。至って個人的にはそんなつもりは一切ないけれど、ほら、体は無意識のうちにストレスを感じているとかよく言うし。自分が自覚していないだけで施設での生活に慣れていないのかもしれない。
下で寝ているハルを起こさないように、慎重に梯子を下りた。
梯子から下りたら、早速服を脱ぐ。この汗でベタついた感触から早く解放されたかった。
シャツを脱ぎ捨て、一回深呼吸をした。変に心臓が脈打っているのは、夢のせいだろうか。
まだ、ハルには何も話していない。不快感を残す夢をみて目覚めの悪い朝を毎日迎えているなんて、話す機会もないし、それに……
何だか、ハルに弱いところを知られたくなくて、打ち明けたくなかった。
「えーと、今日は昨日も伝えた通り、四時間目の総合学習が月に一回のカウンセリングの時間になる。お前らにとっては初めてだな。呼ばれたら二人で教室を出て、一階のカウンセリング室に向かうこと。カウンセリング室は二つあるが、1の方に母体、2の方に片割れがそれぞれ入って面談だ。わかったかー?」
朝のホームルームの時間。担任の二階堂先生から説明を受けた。先生は三十代後半と思わしきおっさんで、髭はあまり剃られていない。教卓に手をつきながら、少々ため息を交えながら説明を終えた。
「―じゃ、ま、そういうことで。ホームルーム終わり」
日直が号令をかけて、生徒全員が立ち上がる。「気を付け、礼」その声を受けてクラスメート揃って頭を下げ、ホームルームが終了する。いつもの流れだ。
先生は挨拶の後、教室を出ていった。
「カウンセリングってさー、何訊かれんだろーな」
ふいに肩を叩かれたかと思ったら、シキが話しかけてきた。
「さあな。ま、なるようになるっきゃないでしょ」
月に一回のカウンセリング。それが果たしてどんな意味を持っているのか、まだこの時の俺らは知る由もなかった。
「何言われんだろーな。カウンセリングの人、美人だったらいいけど」
「女性とは限らないだろ」
シキのくだらない願望に、トシが口をはさむ。
「え、カウンセラーって基本女性じゃねーの?」
「男だっているでしょ。看護師だって男性がいるくらいだし」
「えー、嫌だー! 男だったらマジで最悪だわー! 俺は美人カウンセラーにあれこれ質問責めにされたいんだ!」
「お前はカウンセラーに何を期待してんだよ」
トシが呆れ気味でそう返した。俺も、話の流れとはいえいきなり個人の性癖を朝から聞かされて若干シキに対して引いた。近くの席の女子もシキに向かって怪訝な視線を寄せている。こういうところを見ると、本当に彼は過去に多くの女性から言い寄られた経験があるのか疑わしくなる。今のシキでは、とてもじゃないけど女子に好かれるようなタイプには見えない。
「ねえ、あのさ」
カウンセラーについて盛り上がり、意識が一点に集中しかけていた俺たちは、ハルの一声によって周りへと注意が向いた。
「うん、どうした、ハル?」
「いや、一時間目化学で実験だから、そろそろ移動しないと……」
そういえば、今日は朝から移動教室の授業であったことを、すっかりと忘れていた。俺ら三人は慌てて立ち上がり必要な持ちものを準備し始めた。ハルはすでに教科書と筆記用具を手に持ち万全の態勢である。
「すまん、ありがとうハル。教えてくれて」
「うん。ほら、急ごう。もうすぐでチャイム鳴っちゃうし」
「せやな。行こうぜ」
四人とも準備が完了し、俺たちは急いで教室を出た。鍵閉めの仕事を任されている学級委員の女子が、ドアの前で待機していた。
「もう、君たち遅いよ。いつになったら出るんだろうって思った」
二人の目がじっとこちらを睨む。四人で「すみません……」と力なき声で謝り、化学室に向かった。
「なあ、ハル」
廊下を駆け足で向かう途中、トシが何やらハルに話しかけていた。ハルはそれに応じたが、二人がどんなことを話していたかは俺にはわからなかった。
ハルが俺以外の同年代の人と普通に関わりを持っていることが、ちょっぴり意外だった。
「美人でありますように……美人でありますように……」
「まだ言ってんのかよ……」
その時間は思ったより早くやって来たように感じられた。四時間目の総合学習が、カウンセリングに充てられたこの時間が。
二人組同士、出席番号の若い人から順番に呼ばれていった。前の番号の組がカウンセリングを受けている最中に、次の番号の組はカウンセリング室の前に設置されているイスに座って待機。カウンセリングが終了したら、その組は教室に戻り次の番号の組を呼び、イスに座って待機していた組がカウンセリング室に入る、といった流れだ。
その間、自分たちの番になるまで教室でだら~と待つ。一応、教卓では先生がイスに腰掛けていて黒板には大きく『自習‼』と書かれている。が、その先生は教卓に突っ伏してグースカ鼾をかいているのだからどうしようもない。真面目に教科書を開いて自習に励む生徒は一人も居らず、皆呼ばれるまで、寝るか読書か小声(先生を起こさないように)で駄弁るか、その三様だった。
「はあー、ガチで男だったらその瞬間に部屋出るわ」
「ふーん、やれるものならやってみな」
後ろで繰り広げられる二人の少し面白い会話の内容に耳を傾けつつ、隣に座るハルの方に目線を移す。
ハルは静かに読書していた。といっても、読んでいる本のタイトルは『小説 ガルルヤイバー ~セイバーへの伝授~』だけど。甲山社キャラクター文庫である。どうでもいいか。
「ハル、」
「何?」
「朝、化学室に行く時トシと何話してたんだ?」
「え、ああ」
ハルは文章から目を離してこちらを向いた。
「なんか、訊きたいことがあるから、放課後空いてるかって話だった。これといった用事もないし、『大丈夫だよ』って返事したんだけど……そうだ、だから今日は先に帰ってていいよ」
「おう、わかった。まあ、でもよ、そういうことだったんならなるべく早く伝えてくれよな。普通にハルと一緒に帰るつもりでいたからさ」
「ごめんごめん。忘れてた」
軽く笑いながら、ハルの目はまた文章を追う作業に戻っていった。もう少し会話をしたかった気分ではあったが、読書に耽っている相方の邪魔はしたくない。しかし自分は本とか持ってきてないし、後ろの二人は二人だけである意味熱いトークを交わしているし(もっぱらカウンセラー皆美人説に対して)、だからといって真面目に勉強するか……なんて気はさらさら起きてこないし、どうしたものかと、とりあえず寝ている先生をぼうっと眺めることにした。人の寝顔って、観察してみると意外に面白い。教師が生徒の目の前で爆睡していていいのか、なんていう疑問は置いておいて。
しばらく経って、そろそろ先生の寝顔を観察することにも飽きてきたころに、俺とハルにお呼びがかかった。
「次、須藤君たち」
ハルは本を閉じ、俺は一度ため息をついて、二人で同時に席から立った。
「失礼します」
一度ドアをノックし、中から返事が聞こえてきたのを確認してから部屋に入った。淡いクリーム色の壁に囲まれて、蛍光灯が室内を照らしていた。
部屋自体はそんなに広くなく、二人か三人程度いれば室内は満たされるといった感じだった。
「どうぞ、席についてください」
長机が一個置かれ、その机を挟んで向かい合うようにしてカウンセラーがイスに座っていた。落ち着いた雰囲気を漂わせる、ロングヘアーの女性だった。女性か、シキの奴喜ぶだろうな。どうでもいい思考が頭をよぎる。
「し、失礼します」
若干、緊張しつつも席についた。俺がイスに座ると、女性はパラパラと手元にある資料のページをめくり出した。
「学校はどう? 楽しい?」
唐突な質問だった。
「え、えっと……」
「あ、自己紹介がまだだったね。質問より先にこっちか。ごめんなさい。私、
彼女はにこやかに笑顔を浮かばせてみせた。俺もつられて表情が砕ける。
「は、はい。よろしくお願いします」
「で、どうかな? 学校は」
質問の続きが再開された。
「あ、はい。楽しいです、今のところ。友達も、できましたし……」
「へえ、それは良かったね。何人できたの?」
「えっと、二組ずつっていうか……」
「なるほど。相手の母体、片割れ両方と仲良くなれたのね」
「はい、そんな感じです」
言葉が交わされていくなかで、カウンセラーはペンを握って資料の空白部分に何かを書き込んでいった。一体今の会話から何を掴みとってメモしているのか、確認したかったけどメモをチラリと見ようとすると、それを阻むかのようなタイミングで次の質問が飛んできた。書かれていることを確認する余裕は存在しなかった。
「何か好きなことある? 趣味とか」
「はい、ハルと……母体の子と一緒によく特撮番組を観てます」
「へえ、特撮好きなのか。もしや、君たちオタク?」
「オタクってほど詳しいわけでもないですけど……でも、母体の方は俺より全然詳しくて、凄いですよ。まあ、俺より長く生きてるんだから当たり前ですけど。にしても凄いです。彼はオタクだと思います」
カウンセラーともだんだん話の調子が合ってきて、会話が弾んだ。俺はカウンセリングなんてことをすっかりと忘れて、ハルのことについて話すのに夢中になった。
「そうかそうか……ところでさ」
ペンが走る音が、一旦止んだ。
「ノブ君は、ハル君のことをどう思ってる?」
静かに、けれど重たい響きを持った問いかけだった。カウンセラーの目はしっかりと俺の表情を見据えているようだった。
「どうって……」
「そのまんまの意味だよ」
彼女は緩やかに口元を綻ばせた。
「片割れから見て、母体であるハル君はどんな人で、君にとってどういう存在なのかな?」
「ハルは……」
何故か言葉が詰まった。ハルは良い奴で、俺とも気が合って……そりゃあ、ちょっと自分よりドジ踏むことが多かったり、もう少し明るくなればいいのにとか、そういうことは思ったりはするけど、でも……
そうだ、ハルは
「自分です。俺と二人で『須藤晴信』です」
結局は、こう答えるしかなかった。
「ハルは、俺といつも一緒です。友人とも、家族ともまた違うんですけど、それは、ハルが自分だからこそ生まれる不思議な感覚なんだと思います」
「……そうか、なるほどね。わかったよ。ありがとう」
カウンセラーは俺の回答に満足したのか、あるいはしてないのかよくわからなかったけど、一先ずは納得したようで、深く息を吐き出してからこう告げた。
「これで本日のカウンセリングは終了です。ノブ君、お疲れ様でした」
*****
一人の少年が、校門の前に立ちそびえ立つ校舎を睨んでいた。
「……」
彼はただ静かに、一言も発せずに見つめていた。しかしその目の奥には、まるで親の仇を打つかの如く熱い想いが宿っているかに見えた。
「うん、あいつ……」
放課後、四時間目のカウンセリングも終わり、職員室に向かう途中だった男性教師、
(あいつは……!)
二階堂は目の色を変えて階段を駆け降りた。早く下に降りなければ。少年はどこかへ行ってしまうかもしれない。
「響!」
校舎口から外に飛び出て、彼は校庭を駆けていった。校門まであともう少しといったところで、少年が駆けよってくる教師の存在に気づいた。
「待ってくれ、待つんだ!」
しかし二階堂の想いはむなしく、少年は気づいた途端にその場を走り去ってしまった。陸上部に所属していただけあって、少年の足は速かった。
「待ってくれ……くそっ」
はあはあ、と息が切れ切れになりながらも二階堂は走った。校門にまでたどり着いたが、当然そこには少年の姿はなく、校門から出て逃げた方を見渡してみても、どこに消えてしまったのかはわからなかった。
(響……お前……)
二階堂はあたりを見回しながら、少年に想いを馳せた。
*****
「何? 話って?」
交流館のラウンジスペースにて、僕はトシと一緒にいた。何かトシが話したいことがあるって今朝言われて、放課後も特にやることがなかったために了承し、こうして丸いテーブルを挟んで彼と対面している。
ノブはシキと一緒に帰ったみたいだった。
「あのさ……」
「うん」
「お前って……雨宮リンとは、実際どうなんだよ?」
「……は?」
「リンとは付き合ってるのかって訊いてんだ!」
ぐいと迫られた。トシの体が全体的に前のめりになって僕に質問を投げかけてくる。
いや、にしても、うん? 僕とリンさんが付き合ってるかどうかって?
「えっと、色々と突然すぎて頭の整理が追いつかないんだけど……」
「……あ、ああ。すまん、ちょっと焦りすぎた。わりぃ」
トシもはっとしたのか、一旦落ち着きを取り戻してくれたようで身を引いてくれた。
しかし、……何イッテンダコイツ。
「くしゅんっ!」
「うわ、どしたリン」
「いや、何だか急に寒気を感じて」
「あらまあ、風邪かな? 気を付けないと」
「うん、そうだね」
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