第6話 新倉俊樹

「うはあ……」

 さっきから隣にいる奴がやたらため息をつきながら、けれどもその顔はにやついている。それはもう気持ち悪いくらいに。

「シキ、いつまで眺めてるの……」

 奴が掲げているのは、先ほど貰ったみらいカードだ。何のデザイン性もない、ただ『MIRAI』と書かれたそのカードを、まるで夢にまで見て勝ち取ったアイドルとの握手券の如く拝んでいるのである。

「だってよぉ、トシ、これさえあれば何だって買えるんだぞ!」

 俺のはチャラい。見ためも、性格も。俺自身はどこにでもいそうな陰気くさいキモ男子。前髪長いし、眼鏡かけてるし。対して片割れであるシキは、であるが故に顔は同じなんだけど、髪は綺麗に整えてかっこよくワックスなんかで固めちゃって。服装もわりかしオシャレなものを選んで着用している。顔は至って俺だから、どんなに着飾っても意味ないのに。ブスメンがかっこつけても痛いだけだ。

「何でも買えるっていっても、さっき受付の人が言ってたじゃん。買ったものはカード内に記録されて、月に一回のスキャン時にデータが送られるって。その時に、必要以上にものを無駄に買いすぎてないかチェックされて、場合によっては注意メールがケータイに送信されるって……」

「あー、わかったわかった。あーだこーだうるせーよ」

 シキは俺の肩から手を離した。いつもこんな感じだ。シキが何か浮かれたことを言うと俺がそれに対してめんどくさい注意をして、シキが嫌がる。

「たくっ、お前ってほんと融通きかないっつうか、めんどいよな」

 そりゃあ、もう。あなたの母体ですから。君がお気楽な性格なら、俺は頭の固い頑固者。基本、母体と片割れは真逆な人間であるものだ。

「シキは浮かれすぎなんだよ」

 こんな奴でも、かつて俺はこいつみたいになりたいと思っていた時期があったんだ。



 新倉俊樹にいくらとしき。それが俺の名前だ。まだ『分離症』を発症していない頃の、俺が一人の人間だった頃の話だ。

 中学二年生の頃、その時のクラスは大変だった。といっても、ひどいいじめがあったとか、学級崩壊並みにクラスが荒れていたとか、そういうわけではない。俺のクラスは至って普通で、むしろ皆明るくて仲が非常に良いクラスだった。チームワークというか、団結力っていうのかな。体育祭や文化祭なんかがあった時には、それは皆で協力しあって頑張ったもんだ。

 と、いった後景を、俺は端から眺めていた。クラスメートではあったけど、そうではなかった。えっと、分かりにくいね。要は、他のメンバーが皆主役級のなかで、一人だけモブがいた、そんな感じ。

 俺は無口だった。今もあんまり変わんないけど。でもその時はシキみたいな話す相手、つまりは友達がいなかったから、余計に言葉を発する機会がなかったんだ。

 だって誰も話しかけてこないんだ俺に。俺は自分から他人に交流を求めるタイプではなかったから、受け身の姿勢で新しい環境に臨んだんだ。

 そしたらいつの間にか、一人になってた。びっくり。まさか正真正銘のぼっちになるとは思ってなかったから。一応、一年生の頃は友人がいたというのに。一人だけだけど。その一人ともクラス替えで違うクラスになった途端にパッタリ交流が途絶えたけど。あれ、おかしいな。ま、いいや。

 とにもかくにも、ぼっちとなった俺は、俺以外の全員が固い絆で結ばれた教室が、非常に居心地が悪い場所となった。想像してみ? 朝、教室で「おはよう」「おっすー」なんて挨拶が飛び交う中、一人誰からも認識されず、無言のまま教室のドアを開け、自分の席にまでたどり着くその時間を。苦痛でしょ。

 でも、そんな俺にも密かな楽しみが出来た。それは人間観察だ。

 クラス内の人物の関係を観察するのだ。皆仲はいいのだけど、その中でもこの子とあの子はとりわけ仲良しだったり、あるいは逆にちょっとうまが合わない子たちがいたり、そういった人と人のつながりをひたすらこの目で捉えていくのだ。

 中でも特に俺が注目しているクラスメートが二人いた。

 一人目は男子で、名を瀬田健太せたけんたという。クラスのリーダーともいえる存在で、イベント等にはいつも彼が率先して皆を引っ張っていた。

 あとすげーイケメンだった。実際、一度学校からの帰り道にスカウトされたことがあるらしい。確かにそれほどの美貌を彼は持っていたが、それ以上に彼は『女好き』だった。

 クラスの男子で一番、女子に人気があったし彼自身が積極的に女子との交流に努めていた。

 かといって男子から妬みの視線を受けることもなかった。瀬田は同性の友人も大勢いたし、男同士とも友情を育んでいた。彼が女子に囲まれているようなシチュエーションがあっても、「ま、瀬田ならしょうがないよな」と周りの男子が納得してしまうくらい、彼は元から備わっているカリスマ性で人を黙らせる力があったのだ。

 そろそろ二人目の話にいこう。俺が注目していたもう一人の人物は、女子であり、立石春菜たていしはるなという名前であった。

 彼女はひたすら謙虚で、おしとやかな性格だった。それでいて容姿も端麗だった。そんな彼女に少なからずとも好意を抱かない男子なんて居らず、俺もその内の一人、といっても目立たないモブだから『隠れ立石さんファン』だった。

 立石さんはコミュニケーション能力に優れ、皆の輪が平穏なものになるように努力していた。誰分け隔てなく接し、かつ気が利く人だった。筆記具を忘れたクラスメートがいたら、すぐにシャーペンと消しゴムを貸していた。

 彼女は本当に誰とも平等に接した。というのも、なんと立石さんはこの俺にも話しかけてくれることがあったのだ。

 立石さんは俺の隣の席だった。初めて声をかけてくれたのは五月のゴールデンウィークが明けた時期のことだった。

 ある日、俺はノートを忘れてしまった。宿題をやってその後鞄に入れ忘れたのだ。

 どうしたもんかと思いながら鞄の中を手探りした。ないとわかっているのに何故か探す手が止まらないのはどうして何だろう。

 一時間目は数学なので、余計焦っていた。ノートにバリバリ計算式を書くというのに、これじゃあまともに授業を受けられない。

 とんとん、と肩を叩かれたのはその時だった。横を振り向くと立石さんがこちらを心配そうに見つめていた。

「どうしたの? 新倉くん」

 まず彼女が俺の名前を知っていたことが衝撃的で、驚きのあまり言葉が出なかった。

「……忘れ物でもした? 何だか焦ってるみたいだけど」

 そう言われて、やっと返事ができた。

「えっと、うん……ノート、忘れちゃって」

「ありゃ、それは大変だね」

 ありゃ、って言い方が可愛い。て、そこはどうでもいいんだ。

「はい、これ」

 立石さんが鞄から取り出したのは、ルーズリーフだった。まだ買ってから一度も使っていないようで、紙の束が入った袋は未開封だった。

「好きに使っていいよ。私、買ったけどずっと使ってなくてさ。今日はこれにノートとって、家帰ったらノート帳に貼ればオッケーだから」

 立石さんは優しく笑みを浮かべていた。俺はしばらく緊張して固まっていたけれど、彼女が「早く受け取ってよー」と言ってくれたおかげで意識がはっとし、何とか受け取ることができた。

「あ、ありがとう」

「どういたしまして」

 彼女の返事を聞いてから、ゆっくりと袋を開封した。ルーズリーフを一枚取り出して、あらかじめ机の上に置いておいた数学の教科書の隣に置いた。

「あ、そうだ」

 ふいに立石さんが呟いたかと思うと、彼女はまた俺の肩を優しく叩いた。

「ね、ね。一応、これで貸し一つだからね」

 その笑みは小悪魔的だった。ふふっ、と笑うと「冗談だよ。気にしないで」なんて彼女は続けた。

 立石さんの態度にどう反応すればいいのか、てんでわからなかった俺はただ黙っていることしかできなかった。

 これ以来、立石さんはたまに俺に話しかけてくれるようになった。

 それも、ほんの些細な会話だ。次の授業に必要な持ち物の確認とか、そんなことだ。けれども、自分にとってはクラスメートと言葉を交わす貴重な時間であり、人間観察とともに学校に来るための楽しみにもなっていた。俺が自然と恋心を抱くようになったのも、時間の問題だった。

 俺はついにとんでもないことを考えるようになる。彼女に告白しようと思ったのだ。自分の正直な気持ちを。自分がクラスの底辺であることは理解しながらも……いや、もしかしたらそのことは忘れていたかもしれない。いつしか、俺の目には立石さんしか映らなくなり、自分がクラスメートということ、主要メンバーではなくてモブであったことがいつの間にか頭から抜け落ちていたのだ。

 告白は二学期の最終日。クリスマス・イブの放課後に行うことにした。「放課後、伝えたいことがある」といった旨を立石さんに伝えるべく、俺は十分休憩の時間に彼女に話しかけた。

「あの、立石さん。ちょっといいかな?」

「うん、何?」

「あのさ、今日の放課後って、何か用事とかあったりする?」

 なければさ、と言葉を続けようとしたところで彼女の返事が挟まれた。

「ごめん、今日は用事あるの」

 彼女はやけに早口だった。その言葉の意味に、この時点で気付くべきだったんだ。彼女の真意を。自分の愚かさを。

 帰宅後、親におつかいを頼まれて夕方のデパートに買いものに行った。夕方といえど冬なので、あたりはすっかり暗くなっており、デパートの壁に飾られたイルミネーションがキラキラと輝いていた。


 そこで遭遇してしまった。『恋人繋ぎ』で手を繋いでいる、瀬田と立石さんに。


 二人はクラスに黙って付き合っていた、らしい。らしい、というのは冬休み明けに二人のことがバレて教室内で色々と話が飛び交っていたのが耳に届いただけだからだ。

 よくよく考えりゃ、そりゃそうだ。立石さんを瀬田が狙わないわけないし、無口で陰気くさい男よりも明るく少しくらいチャラけた雰囲気のある男の方が、女子からしたらいいに決まっている。

 そんな当たり前のことに気が付けなかった自分が、無性に許せなかった。

 なんて俺はバカなんだ。少しでも考えればわかることだろ⁉ なのに……ああ、畜生、畜生、畜生、畜生、畜生、畜生、畜生、畜生、畜生、畜生、畜生、畜生、畜生、畜生、畜生、畜生、畜生、畜生、畜生!


 変わりてえな、そう思った。

 もっと社交的で、明るくて、女子とも気軽に話せるような、そんな自分になりたい。


 そうして、後は他の分離症患者と大体同じ。翌日の朝、が素っ裸の状態で隣で寝ていたんだ。




『分離症患者支援センター みらい』に来て、俺はの親友と出会うことになる。彼、彼女らとはみらいカードを受け取り終わった際に一度すれ違っていたんだけど、この時はまだ気付いていなかった。

 施設内の高校に入学して、シキが最初に彼に話しかけたのがきっかけだった。けれどそれはまだ、ほんの少し先のお話。





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