第5話 合同ガイダンス
静かな帰り道だった。
いつもだったら嫌というほど話しかけてくれるユカが、この時だけはうつむきながら歩き私に絡んでこなかった。
ハルさんたちとは途中で別れた。一緒に居づらい。互いにそんな雰囲気が漂っていて、機転を利かしたユカが「私たち、ちょっと寄るトコあるから」と言ってくれた。そうしてハルさんたちと別れ、彼らが交流館の前からいなくなってだいぶ経ってから、私たちは彼らが去っていったのと同じ道を、歩き出した。
さすがに日はもう落ちていた。『秋はつるべ落とし』の季節は過ぎ去ったとはいえ、四月に入ったばかりのこの時期に、夏至の到来を予感させるにはまだ日の長さが足りなかった。
「あのさ、リン」
ユカが足を止めた。私の体は自然と後ろを振り返る。
「どうしたの?」
「その……ごめんね。私が変なこと言っちゃったから、なんか微妙な空気になっちゃったよね?」
ユカは周りによく気を遣う。それは前の私がそうだったから。だから、そんな彼女があんな風に周りの雰囲気を無視するようにぶっちゃけたことを話したのは、かなり珍しいことだった。
でも、驚きはしたけど私はそこまで気にしてない。むしろ、場の空気が沈んでくれたおかげで居やすかった……こう言うとヤバい人間みたいだね。そうです、私は陰キャですよ。マイナスの空気が肌に合うんです。
「大丈夫だよ。私は気にしてないから」
「ほ、ほんと?」
「本当」
私が落ち着いて答えると、ユカは「よかった~」と呟き胸を撫で下ろしつつも、まだ顔には曇りが残っていた。
「……私、本当にどうしたんだろ。普段だったらあんなこと言わないのに……」
「ユカの言ったことは、間違ってないと思うよ」
「え?」と声を漏らし彼女は顔を上げた。
「だって、ユカの言ったことはその通りじゃん。事実じゃん。私、あのノブさんって人、ちょっと苦手だよ。無神経っていうか、あまり物事を深く考えてなさそうっていうか……」
「うーん……私は明るくて良い人だと思ったけど」
「とにかく、私は気にしてないってこと。だから、ユカも気に病む必要はない、以上」
くるりと踵を返し、再び歩き出す。てくてくと、ユカが後ろから駆け寄ってくる。
「ねえ、リン。ノブっちの評価はわかったけど、もう片方はどうだったの?」
ずい、と顔を隣から寄せてきた。いきなりユカの顔面がドアップで視界に入ってきて思わずたじろぐ。
「うわ、何⁉ 片方?」
「ハルくんの方だよ~。結構話してたじゃん! どう? いけそう?」
「いけるって何が……」
「もう、忘れたの? 私たちがノブっちたちに近づいたのは男友達を得るためであって、その先には運命の彼氏と巡り合う―」
「あー、ないない」
ユカの体から遠退きながら手を振って何かを払う。
「ハルさんとは単に話しやすかったって、それだけだから」
「えー、何かトキメキとかなかったのー⁉」
「ないよそんなの。じゃあ、逆に訊くけどユカはノブさんにトキメキを感じたの?」
「それは……ないかな」
「でしょ。べつに良い人たちだとは思うけど、ただそれだけだよ」
そんなやり取りを交わしながら、寮までの夜道を歩いた。今晩は月が出ていて、二人の姿を月光が穏やかに包んでいた。
「てか、リンまだノブっちたちのこと『さん』付けで呼んでるの?」
「ユカは一日で仲良くなり過ぎだよ。何『ノブっち』って……」
ピピピピ、ピピピピ……
スマホの目覚ましアラームが鳴り響く。寝ぼけた手つきで音の出処を探しだし、指に触れたその薄い板を引き寄せる。
発光する画面が眩しく、開きかけていた目が光に反応して閉じかける。
「はわあ……」
欠伸を出しつつ、アラームを解除した。ふと上を見ると、天井がかなり近い位置にあった。
いや、これは部屋の天井ではない。自分は今、二段式ベッドの下段に寝ていたことを思い出した。
だんだん頭が覚醒してきたので、ゆっくりと体を起こす。伸びをしようとしたら腕が二段目の天井にぶつかったので、ベッドから降りた。
狭い所から脱け出し、再び体を伸ばす。背すじがじんわりと伸びていく感覚が気持ちよかった。
ベッドの上段を見ると、まだ相方はぐっすりと眠っており、フガフガと鼾をかいていた。
窓に近づき、閉じていたカーテンをばっと開ける。
暖かな日差しが窓から部屋に入ってきた。壁に囲まれた街全体が朝日を浴びている様はどこか美しく思えた。
「う~ん、まぶしーな……」
ごそごそと、ノブが起き上がった。
「おはよ、ノブ。今七時」
「あー、何時に出るんだっけ……」
「八時半より少し前くらい。集会所まで意外と時間かかるから、なるべく早めに。朝飯も食べないといけないし」
そう言って僕はスタスタとリュックの元に行き、チャックを開けて新しい下着や服を取り出した。まだもう一着分あるし、洗濯のやり方も親から教わったけど、二着分では到底これからの生活をやり過ごしていけない。今日、ガイダンスが終わった後にでも服屋に行かなくちゃな。
「キャ」
奇声が聞こえたので後ろを振り向いた。
「何?」
「ハルのエッチ。 目の前で着替え始めるなんて」
「うん、ベッドから引きずり下ろして頭ぶん殴っていい?」
「ごめんなさい。ふざけました」
「下らないこと言ってないでノブも早く着替えなよ」
「ほーい」なんて返しながらノブはおもむろに立ち上がって、梯子を使ってベッドから降りていった。
朝食は昨日帰りに見かけた牛丼屋で済ませようという話になり、時間までには余裕があるが早めに外に出ることにした。朝食セットなるメニューを宣伝している旗が立っていたのを思い出したのが一番の理由だった。
牛丼屋を出たらそのまま集会所に行くつもりだったので、あらかじめ持ち物は準備して部屋を出た。といっても、プリントに記載されていた必要なものは筆記用具くらいで、あとは貴重品を手元に持っておくだけなのだが。
ドアを開けて、ノブが出てくるのを待つ。鍵を持っているのは自分のため、ノブが出てきた後は僕が鍵を閉めた。
「あ」
何やらすっとんきょうな声が聞こえてきて、ノブの方を振り向いた。
「どうしたの? ノブ」
彼の視線の先を目で追うと、ノブが変な声を出した理由がわかった。
「あ、ノブっち! おはよー」
ちょうど彼女たちと外に出るタイミングが一緒だったのは、運がいいのか悪いのか。片割れであるユカさんがこちらに気づき軽快に手を振る。
「お、おはよう」
ノブの返事は心なしか声のトーンが低かった。基本的に能天気なノブでも、さすがに昨晩のことがまだ胸の内に引っかかっているのかもしれない。
「ねえ、ノブっち達これからどこ行くの?」
彼女は駆け足で階段を下りていきながら、そう早口で訊ねてきた。ユカさんは昨日のことを気にも留めていないのだろうか。そう思わせるほど、彼女の態度には昨日の夜までとなんら変わらない明るい雰囲気が漂っていた。
「えっと、朝飯食べに、牛丼屋へ……」
「へえ。私たちもモックで朝ご飯食べに行くところなんだ」
「そうなんだ」
ユカさんがノブに話しかけているなか、リンさんはゆっくりと自分のペースで階段を下りて行った。下り終えるとユカさんよりも半歩後ずさって立ち止まった。けれど、彼女の目線はこちらを、特に僕に対して向けているような気がした。
ふと、互いの視線がぴったりと重なり合い、向かい合った。十秒くらいまじまじと見つめあってしまったけれど、互いに気恥ずかしくなってそれぞれ逆の方向に目線を逸らした。
「じゃあ、そういうことで」
「うん、了解」
話を聴いていなかった。気が付いた時には片割れ同士で会話が終了していて、何やら約束事を決めたようになっている。ユカさんはリンさんを連れてこの場を去っていき、あとには外に出たまま一歩も動いていない僕らだけが残っていた。
「何を話してたの?」
「え、ガイダンスが終わったあと一旦待ち合わせしようって話。昨日がしんみりしちゃったから、それのお詫びがしたい、だってさ」
「ふーん、そういうこと……」
べつに気にしなくていいのになあと思う。わざわざお詫びなんかしてくれなくても。昨晩のことは、お互い様だと思うし……
「とりあえず、俺たちも飯食いに行こうぜ」
そう言ってノブが階段を下り始める。僕も駆け足気味になって後を追った。
牛丼屋で朝食を済ませた後、僕らはすぐさまガイダンス会場に向かった。すでに会場内にはかなりの人数が集まっていた。来た人からどんどん前の席に座っていく感じで、会場の入口の前から長い列が出来ていた。
列の最後尾にくっつき、列が動くのに合わせて自分たちも動く。二列で並んでいたが、同じ顔を持つ人間が隣り合って並んでいる様は、実質一列ともいえなくもないな、なんて変な考えが頭に浮かんだ。
入り口に着くと、そこで待機していた職員からガイダンスの予定表であるプリントを渡された。
集会所内の雰囲気は、学校の体育館で行われる式典等の行事模様とほとんど同じだった。パイプイスがずらっと並べられて、そこに今年の入所者が一つ一つの席に座っていた。
「うおー、すげーな……」
ノブが辺りを見回しつつ呟く。集会所内がちょうどぎっしりと埋まるくらいには人が集まっていた。
席に近づいたあたりから列は二列になった。ノブが前のイスに腰掛け、僕が後ろに座る形となった。
「すごいよな。毎年こんだけ俺らみたいな奴が出てるってことだよな」
ノブができる限り声を小さくして語りかけてきた。
「そうだね。それより前見ないと。そろそろ始まるっぽいよ」
前方にあるステージ台に、ぞろぞろと何人かの職員が上がってきているのが見えた。誰もがスーツなど整った服装でいて、これで僕らが全員制服を着ていれば学校の入学式そのものだった。
「えー、それでは静かに。これより、『今年度入所者ガイダンス』を始めます」
眼鏡をかけた男性が、ステージの右端でマイクを手に握りながら言い放った。それと同時に会場内が自然と静まり返る。音ひとつ聞こえない静寂を確認してから、男性は言葉をつづけた。
「ガイダンスの司会・進行役を務めさせて頂きます、
男性が言い終えるた直後、ステージ左端から一人の女性が中央にある演台を前に躍り出た。見た感じは四十かそこらに見える、けれどもその表情にはどこか若々しさが残っている、そんな女性だった。
「皆さん、おはようございます。『分離症患者支援センター みらい』センター長を務めさせてもらっております、寿瑠美子です」
台上のマイクが彼女の声を拾い、会場いっぱいに力強く落ち着いた声色が響き渡る。それは聴いている相手をどこか安心させるような声だった。
「我が施設は、原因不明とされる謎の病『分離症』を発症した患者に対する、心身ともに完璧なサポートを行うための環境をつくることを目的に、今から四年前に建設されました。つまり、あなたたちは四年目の入所者となるわけです。
あなた達は、『母体・片割れ』ともにこの施設内で生活していくことになります。人によって差はありますが、大体三~四年ほど施設で暮らし、全ての検査等を終え、『社会に出ていくための完全なサポート』を受けた状態で施設を出ていくことになります」
と、そこまで話し終えたセンター長は一旦間を置いた。一度、僕ら全体を見渡すようにして眺めたあと、口を開いた。
「先ほどから私は『分離症』、『患者』という言葉を便宜上使っていましたが、私自身はあなた達のことを、『病人』だとは思っていません。私は、一人の人間が二人の存在に分離していることも個性だと考えています。障害を抱えている人と同様に、それはあなた達が持つ個性なのです。ですから、思い悩んだり、自分という存在を互いに否定しあう必要はありません。自分という存在を、あるがまま受け入れていいのです」
いい人だな。ぼそりと、ノブが呟いた。そういえば、昨日施設に到着したばかりの時に、病人扱いされていることに怒ってたっけ。そんなノブからしてみれば、確かにセンター長の言っていることは深く心に響くだろう。僕も、センター長はいい人だと思った。真っすぐに向き合ってくれるような、僕らをほっとさせてくれる……
(お母さん、みたいな人だな)
そう、感じた。
そこからセンター長の話があと三分ほど続き、次は『施設内での生活について』の説明に入った。そこで、こんな説明があった。
「ガイダンス終了後、皆さんには個別にお渡しするものがあります。それがこのカードです。このカードは、我が施設内で生活していくためになくてはならない必需品となります。なくさないよう、気を付けてください」
『生活担当者』と司会の男性に紹介された見た目二十代くらいの女性が、一枚のカードを手にもって掲げた。大きさは自動車の免許証と同じくらいだった。
「このカードは『みらいカード』と呼ばれ、これ一枚が皆さんの身分証明書となります。であると同時に保険証でもあります。また、このカードで買い物もできます。月に一度、学校やコンビニエンスストア等に設置されている専用の機械にスキャンしてもらえれば、何でも買えることができます。昨日までは皆さん、各自のお金で買い物をしたかと思われますが、これからはこれ一枚で会計が済むようになります」
施設に入る前に、母から渡された案内パンフレットに『みらいカード』についての記載があった。母に「小遣いはガイダンスの前日まで含めて多めに渡しておくから」と言われてお金を受け取っていた。昨日や今朝もレジにおいて「みらいカードはお持ちですか」なんてことを訊かれた。
「俺たちのために国も大変だよなー」
ノブが感想を口からこぼす。僕も同感だった。
「我が施設には外から多くの分離症研究者も訪れます。また、少数ではありますが自宅から施設に通っている入所者もいます。その入所者の保護者・家族にも施設を自由に出入りできるようになっているため、現金で払えるシステムは残してあります」
さらに詳しいことは各部屋に配置されている施設紹介ファイルに記載されているので、そちらも確認してください。そう女性職員は続けて、みらいカードの受け取り場所とその手順についての説明を始めた。最後に生活していくうえでの基本的な注意事項について述べ、演台の前から去っていった。
ガイダンスはつつがなく進み、一時間半くらい経ったのちに終了した。集会所を出ると、みらいカードを受け取るため『第一センター』に向かう人の流れができていた。
「うわっ、すごいな」
人の流れを制御するように職員が列をつくって動くよう誘導していた。
「ノブ、僕らもはやくあの列に」
「うん、ちょっと待って」
ノブはズボンのポッケからスマホを取り出して何かを確認し始めた。
「どうしたの?」
「ユカたちからROINEがきてた。『みらいカード』もらってから合流しようって」
「ああ。そのことね」
ノブが「OK!」とスタンプを送った。その後僕たちはカードを受け取るため、人の波の中に入っていった。
「ノブいつROINE交換してたの?」
「え、昨日だよもちろん。ていうかハルもリンとやってないの?」
「してないよ」
「えー、交換しとかなきゃそこはー。この後にでも交換しときな」
「……わかった。リンさんに言ってみる」
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