第4話 交流館

 この『分離症患者支援センター みらい』には、「街」そのものがすっぽりと広大な敷地に収まっている。

 東側には患者が住む居住施設が建ち並び、敷地の西側には学校や病院といった生活していくうえで基本となるような施設が建設されている。

 そして居住施設と学校・病院等の施設の間を縫うようにしてデパートやコンビニ、書店やレンタルビデオ店、図書館やホール施設といった娯楽・教養施設が多数存在している。

 本当に、分離症に関係する特別な施設以外は何ら外の環境とは変わらない風景が広がっているのだ。

 アパートの前には一本の川が流れており、敷地の中央を分かりやすく分断していた。川にはいくつか橋が架けられていて、学校やデパートに向かう際はそれらを渡っていくこととなる。

 H棟の近くにあった橋を渡っているときは、前をノブとユカ、後ろをハルとリンが後を追うようにして歩いていた。

「へえー、駅でそんなことあったんだ。それで他の人よりもここ来るの遅れたの?」

「まあ、そんな感じかな。でも、遅れたところで何も怒られなかったし、結果オーライだよ」

 何やら話に花が咲いている前方と比べて、後方の二人はひたすら静かだった。互いに時々顔を見合わせ、どちらも何かを話したがろうとして口を開こうとするも、すぐに顔をそらしてしまって会話が生まれなかった。

(どうすりゃいいんだ、マジで……)

 ハルは施設に到着していきなり女子と並んで一緒にコンビニに向かうなんて思いもしなかったので、ただ困惑と緊張の思いが胸いっぱいに広がっていた。相手もほぼ同じことを考えているようで、先ほどから何度か目が合うがドギマギした表情を浮かべているばかりだ。

 ちらりと、前方を見やる。素直で正直なノブと、後ろからでもわかるほど快活にしゃべり表情筋が豊かに動いている相手の……ユカさんだっけか。まるでお似合いのカップルみたいに、二人の会話する様は絵になっていた。

 このままだと一言も発さずコンビニに行きついてしまう。そうなるとその後女子の部屋にお邪魔することになり、朝が明けるまで……はさすがにないだろうが、それでも夜遅くまで彼女たちと談笑することになるだろう。

 それは何としてでも阻止せねばならない。ノブは快く引き受けていたし、ユカさんも何も気にしていないようだが、こちらは分離しているだけで至って普通の思春期男子だ。学校以外の場所、しかも室内で女子と過ごすなんて何も思わないわけがない。つまり心臓によろしくない。

 ここは意を決して、その思いを相手側に伝える必要があった。

「あ、あの」

 頑張って声を出したつもりが、思ったよりも小さくてハルは戸惑った。仕舞ったと感じていたが、どうやら奇跡的に隣を歩いていた彼女には届いていたらしい。少し間があってから、彼女は応じた。

「は、はい。何でしょう……?」

 そう反応した彼女の声も、また小さかった。

「いや、そのさあ……このままだと、まずくない?」

「ま、まずい?」

「その、だから。このままコンビニまで行っちゃうと、その後君たちの部屋に行くことになるんでしょ? 僕、ちょっとそういうのは苦手で……」

「やっぱり、あなたもそう思ってました?」

 彼女の顔は途端に明るいものとなった。

「私も……ユカが勝手に話を持ちかけてしまって驚いちゃって……何だかすみません」

「いや、それはこっちも。ノブが何の躊躇いもなくオーケーしてしまったので」

 互いに相方の非を謝る形みたいになってしまった。前方の二人は特に気づかずに会話に没頭している。

「とりあえず、どうしましょうか?」

 この先のことをどう改善していくか、リンが訊ねる。

「そうですね……さすがに女子の部屋に上がり込むのはまずいと思うので、どこか別の場所にしないか、といったことをノブたちに伝える必要があると思います」

「なるほど……そうだ、確かこの道を真っ直ぐ行くと『交流館』なる施設があるらしいので、そこでやるのはどうでしょう? 患者がくつろげるラウンジスペースがあるみたいですよ」

 ズボンのポケットからスマホを取り出し画面をしばらく見つめてからリンはそう答えた。彼女が見ているのはこの施設専用のマップアプリで、寮の各部屋に置かれている『施設紹介ファイル』に「アプリの説明とダウンロードの仕方』といったページがある。ハルは部屋に着いてすぐにリンたちに誘われたため、まだアプリをダウンロードすることを行っていなかった。

(そういやプリントにファイルをみてアプリをなるべく早めにダウンロードするようにって書いてあったっけ。帰ったらやんなきゃな……)

 リンのスマホ画面を覗き見しながら、ハルはそう思った。

「えーっと、すみません」

 リンは何やら訝しげにハルの顔を見つめる。スマホの画面を覗き見していたのが嫌だったのかと思い、ハルはすぐさま顔を引いた。

「あっと、ごめんなさい。画面視ちゃって……」

「あ、いえ。そういうことではなくて!」

 リンは慌てるようにスマホをポケットにしまった。

「その……まだ名前を訊いていなかったなって」

 そう言われて、ハルははっとした。そういえば、ノブたちはアパートを出てすぐに自然な流れで互いに自己紹介をしていたけれど、僕たちはまだ自分の名前も相手に伝えていなかった。なるべく初日は他人と距離を置きたいと思っていたけれど、さすがにここまできて名前のひとつも相手に言わないのは変だよな。そう考え、ハルは自分から名前を述べた。

「は、ハルです。須藤晴信で、ハーフネームがハル。あ、一応母体です」

「私はリンっていいます。ネイティブネームは雨宮優香里です。私も母体です」

 よろしく。最後にリンがそう続けて、ハルもよろしくと返した。

 母体か。まあ、そんな感じはしていた。あっちの明るい性格の方が母体っていわれてもしっくりこないし。

 そうこうしているうちに、一軒のコンビニエンスストアが橋を渡った先の大通りの右側に見えてきた。



 もうだいぶ日が暮れていて、壁の内側の街は茜色に染め上げられていた。

 コンビニに到着するなり、ノブたちは店内に入って菓子類の棚に直行し、続いて僕ら母体組は後からゆっくりと入店した。

「いらっしゃいませー」

『外の世界』のコンビニと同様にレジには店員が二人ほど立っていた。もちろん、店員がいるのは当たり前のことなのだけれど、変に施設内なだけに、(この店員も施設の職員なのかな)などと考えてしまう。まさかアルバイトではないだろうし……いや、バイトの学生とか普通のフリーターとかも雇ってるのかな? 施設内においてのデパートやコンビニで働いている人たちの立場が気にかかってしょうがなかった。

「ハルさん? どうかしました?」

 雑誌コーナーの前で立ち止まりながらレジに立つ店員を眺めていると、リンさんから声をかけられた。

「あ、ごめん。ぼうっとしてて」

「レジに何かあったんですか? ずっと眺めていましたけど」

 二人で冷やしの飲料の棚に向かって歩きながら、会話を続けた。

「いや、ここの店員ってさ、ちゃんとした施設の職員なのか外から雇ってるアルバイトなのか、どっちなんだろうと思って」

「あー、そういえばそうですね。地味に気になりますね、それ」

「やっぱ、一応施設の職員なのかな。あんまり外から人を雇うイメージ湧かないし」

 棚からそれぞれ飲み物を取り出した。僕はほうじ茶、リンさんは緑茶のペットボトルを手にとった。

「今度、訊いてみたいですね、誰かに。学校の先生とか訊いたら答えてくれるかな」

「どうだろ。でも、訊いたら答えてくれそうとは思うけどね」

 リンさんとそんなことを話し合っていると、突然頬に何か冷たいものが当たった。

 思わず「うひゃっ」なんて変な声が出てしまうほどそれはあまりにも突然だった。後ろを慌てて振り向くと少々ふくれっ面のノブと何故か顔がにやけているユカさんの二人が立っていた。

「おい、そこのお二人方。買いたいものは決まったのかい?」

 どうやら早々に買うものが決まった二人は、ずっと僕らのことを待っていたらしい。ノブはカップのアイスを手に持っていて、先ほど僕の頬に当たったのはそれだった。

「ご、ごめん。待たせちゃって」

「ううん、私は別に気にしてないよ~。私たちの分だけ先に会計済ませちゃったしね。早くあんたらも買ってきな~」

 ユカさんはレジ袋をぷらぷらと揺らしながら落ち着いた声でそう答えた。そんなに僕たちは話し込んでいただろうか。いや、単にこの二人が買うのが速すぎるだけか。

「ごめんね、ユカ。すぐ買ってくるから」

 急ぎ気味になってレジに向かうリンさんに続いて僕も後を追った。レジでの会計の際、ちらりと店員の名札を見てみたが、『スタッフ 斎藤』としか書いてなかった。

 ちくしょう。結局あんたは外から来たのかこの施設側の人間なのか、その正体はなんだ! と、声に出して訊きたかった。もちろん、そんなことはできっこなかったけど。



『交流館』なんて名前だからどんな施設なんだろうと思っていたが、見た目はよくある地域の公共施設といった感じだった。僕は知らなかったけど、ユカさんが「公民館みたいだね」と、建物に対する感想を呟いていた。僕が住んでた地域には公民館なる施設は存在していなかったので、(公民館って、実際にあったらこんな感じなのか)とちょっとした驚きを覚えた。

 場所は『交流館』にしよう。そうノブたちに伝えたのはコンビニを出てすぐのことだった。最初は、特にユカさんが「ええー」なんて言って僕たちの提案に否定的な態度をとっていたけれど、「いや、異性同士が同じ部屋に入っちゃ、たぶんダメでしょ」というリンさんの意見によって、ノブが「そう言われれば……そうだな。ダメか」と頷いて、「だから『交流館』にしようよ。ここなら何の問題もないと思うしさ」と僕がまとめた。

 結果、僕ら四人組は交流館のラウンジスペースにて、親睦会(?)的なものを開くことになった。

 ラウンジスペースにはそこそこ人がいて、どの人も僕らと同じ『分離症患者』であった。まったく見た目が同じ人間なんて、それこそ今までは自分たちくらいしかいないと思っていたけれど、こうしてみると「分離症患者が集う場所」に来たんだなと再認識させられる。明日のガイダンスにはもっとたくさんの分離症患者が一つの場所に集まるのだと思うと、少しだけ身が震えるような感覚がした。

 壁際の丸いテーブル席が空いていたので、僕らはそこに腰を下ろした。

「それじゃあ、たまたまこうして出会った運命を祝してかんぱーい!」

 席につくなりユカさんがそう叫ぶ。が、ペットボトルを掲げているのはユカさんだけだった。しばらく間をおいてからノブが「か、かんぱーい」と小さく呟きながら自身の飲み物を掲げたけど、僕とリンさんは何だかノリについていけず、二人でそそくさとテーブルの上に広げられた多数の菓子袋を開く作業を始めていた。

「ちょっとー、リン。お菓子を準備するのは後でいいからさ。まずはみんなで乾杯でしょー」

 ユカさんがリンさんの肩に腕をまわし、体を寄せて絡みつくさまは、まるで飲み会で酔っ払った大学生みたいだった。

「ちょ、ユカ。くっつかないで」

 そんな光景を見て「はは」と軽くノブは笑う。けれども僕はその光景を微笑ましく思うどころか、真逆の思いが生じ始めていた。

 苦手なタイプだ、こういう人。

 きっと、ユカさんって「ウェーイ」ってはしゃぐ文化の人なんだろう。全体に漂う陽気なオーラがそう感じさせる。リンさんの理想がこういう性格だったのかと思うと、ちょっと意外だった。いや……正反対な人間だからこそ、理想の対象となりえるものなのかな。思えば僕だって……そうか。

「よし、もう一回仕切り直しで! かんぱーい!」「かんぱーい!」

 今度はユカさんとノブのタイミングがばっちり合った。母体組は静かに腕を少し上げる仕草をした程度にとどまったけれど。

「って、二人はお茶!? 渋いねえ、あんたら」

 ほうじ茶と緑茶。対して片割れ組はコーラとオレンジサイダーである。

「ハルはお茶好きだもんな」

「好きっていうか……甘いものがあんまり好きじゃないから」

「へえ、リンと同じだね」

 ユカさんは隣のリンさんの方に目線を送った。目線を向けられたリンさんはおどおどしつつも「そ、そうだね」とちょびっとだけ迷惑そうだった。

「ところで、二人って何かやりたい部活とかって決まってるの?」

 フタを開けて木のスプーンでバニラアイスを掬いながら、ノブがそんな話題を振った。

「部活? まだ何も考えてないや」

「私も……一応この施設の学校のパンフは一度目を通したけど、まだそこまでは」

「そうだよなー。俺もなんだよ。これから高校生になるっていうのになー」

「ていうか……そうか、部活か。そうだよね、他にも高校生になったら色々とあるもんね」

 ユカさんは深くため息をついた。その時の目がどこか遠い景色に想いを馳せているような、定まっていないように思えて、気が付くと口から言葉がこぼれていた。

「どうしたんですか、ユカさん」

「え?」

「いや、何だかさっきまでと違って途端に元気がなくなったように見えたから」

「あー……その、さ。私たちって、寮生活を申し込んでいる以上、もれなくアレなわけじゃん?」

 アレ? ノブがきょとんと首を傾げると、ユカさんはもう一度息を吐き出してから、呟いた。

「だから……親に見捨てられたってこと。二人になった自分らの子供に戸惑って……放棄されたんじゃん、私ら」

 霧が厚みを増して雲となって平地に流れ込むように、僕らの間には重たい空気が流れ始めた。話題をふったノブもあっとした顔になって、アイスを食べる手が止まっていた。

「だから、その……部活とか、考える暇がなかったなーって。時間的な意味での余裕はたくさんあったけど、心のゆとり的なものがね……」

 ノブの顔はさあっと血の気が引いたみたいになっていて、ユカさんの言葉を聴いてからすぐさま詫びを述べた。

「ご、ごめん。そんなつもりじゃなかったんだけど、その……」

「……あー、私こそ。今、ここで蒸し返すことじゃなかったね、ごめん」

 心なしか、二人の会話がどこか遠い地平の彼方で行われているような気がした。何だか頭がぼうっとしてきて、僕は過去を思い出した。僕が分離症になってから、母は僕とノブに対して積極的に関わろうとはしてこなかった。何か訊いてみたり、会話を振ったりすれば一応は言葉を返してくれるけど、二・三個の言葉を交わして、それで終わりだった。元々、母は僕のことをあまり快く思っていなかったことは知っている。父と結婚するまでずっとエリート街道まっしぐらだった母は、我が子にも自分と同等、あるいはそれ以上の『力』が身に着くことを望んだ。でも、『力』を身に着けるどころかいつまで経っても内気で弱々しく、勉強も運動も芳しくない息子をみて、とてつもなくガッカリしたのだろう。それでいて分離症という奇怪で厄介な病気を発症し、もう僕とは関わりたくなくなったのだ、きっと。施設のパンフレットの寮案内のページを僕に見せる母の顔は、どことなく嬉しそうだった……

「って、もうほら! ノブっちも、もうそんな気にしなくていいから」

 誰も悪くなかった。少なくとも僕はそう思う。けれども、もういくらユカさんが盛り上げようとしても、皆で楽しくお菓子をつついて無駄話をしようなんて雰囲気にはならなかった。一応、ユカさんとノブは楽し気に学校のこととか話し合い始めたけど、声の調子はそこまで高くなかった。

 僕とリンさんも、少ししゃべった。でも、四人が全員と会話をすることは起きなかった。













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