第2話 須藤晴信

 僕、須藤晴信が文字通り二つの存在に分離したのは十四歳の時だった。

 中学生になって一年と半年くらいの月日が流れてから、僕はだんだんと自分の体に違和感を感じるようになった。

 その違和感というものは、まるで自分が自分ではないような感覚だった。生活しているなかで時折意識が飛び、自分が何をしていたのか思い出せないことが増えていった。そういったときは決まって、僕は重たい荷物を持っているご老人を手伝ってあげたり、誰にも頼まれていないのに朝教室で黒板を掃除したり、なんかしらの形で「人助け」を行っていたのだ。

 僕のなかで「人助け」という行為は、やりたい気持ちがあっても勇気が出ずに実際に行動に移すことができなかったことである。それを自分の意識が飛んでいる間にやっていたことに、僕は衝撃を覚えた。

 周りは日に日に僕に感謝するようになった。学校に限らず、家のなかでも母から褒められることが増えた。でも、当の自分は良いことを行った自覚がない。実感がないまま周りだけが僕を持ち上げて、何だか褒められているのに嬉しくなかった。良いことを重ねて皆から英雄視されることは、喉から手が出るほど望んでいたことだったのに。

 そしてその翌年。一月の中旬のある日。

 朝、目が覚めて寝床から起き上がろうとすると、隣にいる誰かと体がぶつかった。僕は自分の部屋で寝ているし、もちろん一人で布団にくるまっている。じゃあ誰なんだと、半分寝ぼけた頭で掛布団をはがした。


 そこには『自分』が寝ていた。素っ裸ですやすやと寝息をたてて、自分と顔も体つきも全く同じ人間が、隣で眠っていたのだ。


『分離症』。そう病院で医師から診断されたのは、もう一人の自分が隣で寝ていたあの日から、三日後のことだった。

 僕も両親も、予測はしていたので医者からそう言われても特段驚きはしなかった。それよりも、親にとってはついに我が子も発症してしまったかという、落胆の感情の方が大きかったようだ。

 自分が二人になる。自分が思い描く理想が具現化する。この奇怪な病気は、わが国のここ最近における社会問題の筆頭ともいえた。

 顔も体も趣向も、もっているアレルギーでさえも何もかもが同じ人間が誕生したのだ。ただひとつ違うのは、分離したその存在は元となった人間の『理想』が反映されているという点だった。

 人は誰だって「キャラ」を使い分ける。その場に応じて性格を変えて、誰とでも接することができる自分を作り出す。

 分離症は、そんな自分が作り上げた「キャラ」がもう一人の自分の素の性格として、自分ではない『自分』が突如として具現化する病気なのだ。

 十年ほど前から存在が確認され、その後瞬く間に発症する人が増えていった。主に思春期である子供が発症しやすいといわれており、実際その患者のほとんどが十代の少年少女だった。

 原因は今のところ解明されていない。日々原因究明のための研究が医学界でなされているが、とにかく謎が多すぎるということで解明にはかなりの時間を要するという。

 分離する前の性格を引き継いでいる方は『母体』と呼ばれ、自分が演じていたキャラ、あるいは理想像が反映された性格の方は『片割れ』と呼称される。母体と片割れはそれぞれハーフネームを決めねばならず、それが戸籍にも登録される。

 こうして、僕は「ハル」。片割れは「ノブ」と名乗ることになった。



 いつの間に眠っていたのか、気が付くとノブに肩を揺すられていた。どうやら目的のバス停に着いたらしい。まだ寝ぼけまなこのまま腕を引っ張られ、僕の体はされるがままの状態でバスから降りることになった。

 意識が完全に覚醒したのは、バス停に降り立ってしばらくしてからだった。

「あー、ノブ。ありがとう、起こしてくれて」

「どういたしまして。今朝は早く起きてたしね。しょうがないよ」

 ノブとそんなやりとりを交わし、改めて辺りを見回した。周りには民家がちらほらと点在している程度で、大きなデパートも威圧してくるような巨大なビルも建っていない。本当に、自分たちが今まで生活してきた環境とは何もかもが違う場所に来たんだな。そう、感じられた。

「ハルー。こっからどの方向行けばいいんだっけ?」

 体をわざとらしく揺らしながらノブが訊ねてきた。ノブは時々、こうして甘えたような声を出して僕に頼ることがある。すべてにおいて僕より優れているのに、まるで兄を慕う弟みたいになるのだ、こいつは。

「ちょっと待ってて。調べるから」

 スマホをズボンのポケットから取り出して、ゴーグルマップを開いた。目的地である施設の名前を入力して、検索にかける。

「えーっとね……とりあえずこっち」

「お、了解」

 僕はスマホの画面にしたがって、ノブは僕の行く先についていって二人はバス停をあとにした。



 道中、道の両側はすべて田んぼで、偶然にも野生のキジに出くわした。ノブが最初に発見し、声をかけられたので僕もスマホの地図から目を離してノブの指さす方向に視線を向けた。キジは数メートル先に、田畑のど真ん中に立っていた。動物園以外でキジを見るなんて初めてだったし、「ケーン」という鳴き声を聞いて(キジって本当にああ鳴くんだ)なんて地味な感動をも覚えた。ノブもキジを見つけたことに対して大人しくながらもはしゃいでいて、それが何だか微笑ましく感じられて「ははっ」と小さな笑いがこぼれた。

「お、ハル楽しんでる? 今の状況」

「え、いや。べつにそんなんじゃないけど」

 ノブに笑っていたのが伝わってしまった。別にだからどうってわけではないのだけど、何故か照れくさくなる。

「良かったよ。ハルが楽しんでるようで」

「だから、そんなんじゃないって言ってるだろ」

「何を怒ってるんだ?」

「怒ってねーし」

「いや怒ってる」

「違うゆーてるだろ。いいから早く行くぞ」

 再びスマホの画面に目線を戻し、地図とにらめっこしながら歩き出した。最初に右に曲がった以外は、ほとんど真っ直ぐ一本道をいくだけだと地図に表示されているので、スマホの画面を凝視する必要はそこまでないのだが、何だか目線を他に移したくなくてずっと画面を見続けながら歩いた。

「うわ、すげー。鷲? 鷹かな。なんか飛んでる」

 ノブはあちこちを見渡しては一人言を呟いていた。その中にはこちらの反応を伺うような、話かけようとしているような口調のものもあったが、すべて無視しておいた。

 目的の施設に辿り着いたのは、バス停から歩いて十五分ほどの後のことだった。

 まるで刑務所みたいに周りが白いコンクリートの壁に覆われている。しかしその規模はかなりのもので、白い壁が左右に延々と続いているように思われるほどだ。

 壁と壁の間に門が存在し、どうやらそこが入口のようだった。壁には門と近い位置にこの施設の名前が彫られていた。

「『分離症患者支援センター みらい』ねえ……」

 施設名を読み上げて、ノブが意味ありげに深いため息を吐き出す。

「なあ、ハル。前から思ってたんだけど俺たちってなんで病人扱いなんだろ? べつにどこも悪くないのに」

 門が開いていたので中に入ろうとしたらノブが疑問を投げかけてきた。いや、そんなこと僕に訊かれてもわからないよ。

「『分離症』は医学で病気認定されていて、それを発症しているんだから僕たちは病人なんでしょ。知らないけど」

「いやでもさあ! おかしいじゃん! だって命にかかわってもないし、俺もハルもこうして元気に生きてる。なのに病人扱いでまるで治さなくちゃいけない『悪いモノ』みたいに言われてるなんて……変だろ⁉」

「だから僕にそんなこと言われても……どうしても納得いかないことがあるんだったら施設内で誰かに訊けばいいじゃん。それこそ僕らを『病人認定』している大人が沢山いるんだしさ」

 その人たちに言いなよ。少し投げやり気味に、半分怒気を含ませながら応えるとノブもはっとしたようで、少し間をおいてから口を開いた。

「そ、そうだな……悪い。ハルに言ってもしょうがないよな。熱くなり過ぎた。ごめん」

 ノブは手の平を合わせて謝った。熱くなる時も謝る時も、ノブの表現はいつもオーバーだ。ほんと、僕とはあらゆる面において真逆の位置に存在している人間だ。

 けれども、同じ『自分』なんだよな。その現実に、なんともいえない歯がゆさを感じる。

「まあ、いいからさ。とりあえず中に入ろうよ。さっさと受付済ませないと。いつまで経っても寮に着けないよ」

そう言って、僕はマスクを外して帽子もとった。


『分離症患者支援センター みらい』。これから僕たちは四年間ほど、この施設の中で暮らしていくことになる。

 分離症を発症した患者には、分離症だと診断された一週間後に封書が送られ、この施設への入所案内を受けとる。寮生活を申し込めば施設内での寮に住むこととなり、自宅から通うことを希望した場合は施設の近くに家を引っ越すなどの行為をしなければならない。いずれにせよ、分離症を発症した青少年は必ず施設に入所することが決まっており、施設の中で様々な検査・カウンセリング等を受けながら四年という年月を過ごしていくことになっている。

『みらい』には患者を検査する医療施設をはじめとして、学校、デパートなどの娯楽施設がいくつか設けられており分離症患者が生活していくための環境が整備されている。施設の外に出ることはほとんどなくなるような生活が、これから先に僕らを待ち構えているのだ。

 門を抜けると、『今年度入所者案内』という文字とともに行先を示す矢印が書かれた看板が見えたので、それに従って歩いて行った。

『集会所』と呼ばれる施設で受付が行われた。見た目はかなり大きい体育館といった感じで、広々とした建物内の中央にぽつんと、受付担当の職員が椅子と机を用意して待機していた。

「あの、遅れてすみません。今年入所する者なんですけど」

「はい。それじゃ、先ずはこの紙に必要事項を記入してください」

 受付の担当は女性だった。結構綺麗な人で、その人から用紙とペンをもらう際に少し手が震えた。

「うん? どうしたハル。なんか顔が……うげっ!」

 ノブが何かいらんことを言う前に勢いよく足を踏んでやった。

 名前、住所等を記入し、ペンを置いた。

「あの、書き終わりました」

「あ、はい。そしたら保険証を見せてもらえますか?」

 軽く頷いて、リュックを降ろして中から財布を取り出し、そこから『須藤晴信』の保険証を出して担当者に渡した。

 受け取った女性は僕が記入した用紙と保険証、さらには元から女性の手元にあったファイルの中から出した紙、この三つに目を通し始め、暫くの間沈黙が流れた。

 一分ほど経った後に、担当者は顔を上げた。

「はい。須藤晴信さんですね。そしたら、これをお渡しします」

 担当者の手から青いプレートが付いた鍵と、プリントを一枚受け取った。

「それが寮の部屋の鍵です。今日は部屋でゆっくり休んでください。施設についての詳しい説明は、明日入所者全員を対象に合同ガイダンスを行います。集合時間は朝の九時半です。渡したプリントにも記載されているので、そちらも確認してください」

「わかりました……」

 それから何の気もなしにぼうっと立ち尽くしてしまったけれど、「もうこれで大丈夫ですよ」と受付の女性に言われて、恥ずかしい思いが胸いっぱいにこみ上げてきた。「し、失礼します」と慌て気味に挨拶して、急いで集会所から出ていった。

「さっきからきょどり過ぎじゃない?」

 寮に向かう道中、ノブにそんなことを指摘された。

「ハルって相変わらず年上の女の人に弱いよね」

「はあっ? ちげーし。そんなんじゃねーし」

「でも明らかにさっきのは受付の女性ひとにドキドキしてたでしょ。いやあ、わかりやすいなあハル君は~」

「だから違うって言ってんだろ! しつこいよノブ」

 ノブはこうして時々僕をからかう。ノブの口調は至って明るく、それこそ少しおバカなタイプの特撮ドラマの主人公がヒロインあたりをからかって「あんたにはデリカシーってもんがないの?」と返されるようなシチュエーションが似合う喋り方だ。僕の理想が具現化したのだから、こういった性格なのは当たり前といえばそうなんだけど、何もこんなところまで具現化しなくていいのになあと思う。最近は純粋過ぎるヒーローに付き合う仲間の苦労が少しずつわかってきた……気がする。

 それからしばらくして、『集会所』から歩いて五分ほど経った頃。寮というより、規模でいえばアパートといった方がしっくりくる建物群にたどり着いた。

 渡された鍵のプレートに書かれているH棟を探す。横一列に綺麗に並んでいる建物の壁にそれぞれのアルファベットがペンキで書かれており、H棟はすぐに見つかった。

「お、あそこだな」

「うん。意外と大きいね」

「だな。俺、もっとぼろいの想像してた。こう、分けられてるのは部屋だけで廊下はつながってて便所は共用みたいな……」

 それはいつの時代の長屋だ。心の内で突っ込みを入れつつ、しかし口には出さないでおいた。

 鍵にはもちろん部屋の番号も書かれていて、『206号室』とあった。最初の数字から考えて二階なのだろうと思い、階段を上がっていった。

「あ、あったよ206号室」

 階段を上っている途中で僕よりも先に駆け上がっていったノブが部屋を見つけた。鍵を持っているのは僕なので、ノブが先に着いたところで部屋に入れるわけではない。案の定、重い荷物を背負ったままで無駄に駆け出したノブはドアの前で勝手に息を切らし、立ち尽くしていた。

「ハル、早く開けて。疲れたよ」

「意味もなく急ぐのが悪いんだよ」

「だって、居ても立っても居られなくて」

 何がお前を突き動かしたんだ。新居に心が躍ったのか? たまに子供みたいになるよなノブは。言いたいことが山ほどあって、でもそれらをいちいち口にするのは面倒くさいと思うほど僕も疲れを感じ始めていて、とりあえず「落ち着け」という言葉だけが口から出た、その時だった。

 何やら人の声がしたと思って、ふと後ろを振り返った。すると向かいのG棟の階段から二人の女子が下りてきていた。二人といっても、厳密にいうと一人だった。彼女たちも、顔から体つきまで全く同じだったから。たぶん僕と同じ、今年度入所者の『分離症患者』だ。

「それでさ、コンビニで何買おっか?」

「別になんでもいいよ。私はお茶買うだけだから」

 彼女たちは最初こちらに気づかず何やら会話にふけっていたが、快活にしゃべっている方、おそらくは片割れだと思われる方が僕らに目をとめた。

「あれ、君たち今着いたのー?」

 わざわざ訊かなくても、見ればわかるだろう。そう思って返答ができずにいると先にノブが答えた。

「うん、そうだよ。ちょっとここ来るのに遅れちゃって。さっき受付済ませたところなんだ」

「そうなんだ。あ、そうだ。私たちさ、これから近くのコンビニに行こうと思ってたんだけど、一緒に行かない? そんでその後私たちの部屋で話ししようよ。荷物、部屋に置くの待ってるからさ」

 僕が話の意味を理解して反応する前に、ノブが明るく「ああ、いいよ」と答えて了承の意を示してしまった。いやちょっと待って。何勝手にオーケーしちゃってるの?

「ちょ、ノブ⁉ 何言ってんだよ。嫌だよ僕は!」

「なんだよ、ハル。向こうから快く誘ってくれたんだからいいだろ」

 そういう問題じゃないんだよ。いきなり初対面の同年代の女子と同じ部屋で話するとか。お前にはなんかこう、思うところはないの?

 ふと女子たちの方を見やると、こっちと同じように母体と思わしき人が片割れさんに対して抗議の文句を述べているようだった。そうだよね、嫌だよね。僕も同じ気持ちです。ミートゥー。

「……何だか、お互い苦労してるようだね」

 向こうの片割れさんがそんなことを言い出した。かと思うとこちらの片割れも

「そうみたいだね」

 なんて苦笑いを浮かべている。僕も向こうの母体さんも、おそらく考えていることは一緒だった。

(何言ってんだこいつらは……)

 こうして、『分離症患者支援センター みらい』にたどり着いた初日に、僕たちは予期していなかった強烈な出会いを果たすこととなった。



























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