分離チルドレン
前田千尋
第1話 旅立ち
ホームは思ったよりも静かだった。
いつも家のテレビに流れていた、夜のバラエティー番組なんかを観ると、『〇〇駅周辺のオススメグルメ!』みたいなコーナーで大勢の人が行き交う場面が映し出されていたから、てっきり駅っていうのはそういうものなんだと思い込んでいた。
でも、それはお昼を過ぎた午後、あるいは夕方にロケを行っていたからであって、そういった時間帯に駅に人が沢山いるのは当たり前のことだった。
春休みの時期とはいえ、平日の午前中、ましてや新幹線に乗るためのホームには、当然人は少ない。周りにいるのはきっちりとスーツを着こなしているサラリーマンがちらほら見受けられる程度だ(恐らく出張とか、そういった仕事のために)。
最初はがっちりと、帽子をかぶって(かなり深々と)、マスクもして完全状態で駅までの道のりを挑んできたわけだけれど、ホーム自体に人は少なかったので、マスクは外した。それでも、帽子はかぶってはいたけれど。
「帽子もとればいいのに。はい」
キオスクで飲み物を買いにいってきてくれていたノブが戻ってきた。僕はホームのベンチに腰かけて、ぼうっと風景を眺めていたので、突然声をかけられたことに少し肩がびくついた。
「あ、ああ。ありがとう。いや、帽子はかぶっとくよ。怖いし」
「そうかなあ。ハルは気にし過ぎだよ。気にしちゃうから、余計人の目に敏感になってるんだよ」
そう言われるとそんな気がしないでもないけど、でも帽子をとったところでやっぱり気になるものは気になるだけなので、かぶり続けることにした。
ノブと二人、ベンチに座って待っていた。
時折、ホームをうろつく鳩が「ポロッポー」と調子の良い声で鳴く。
「そろそろ新幹線くる時間だな」
「そうだね」
ペットボトルの緑茶を喉に流し込みながら相づちをうった。ノブも麦茶を一口。
「どうなんだろうな。これから俺たちが行くところって」
「さあ……ただ……」
「ただ?」
「僕らはもう、普通じゃなくなるってことなんだよね……」
僕がそのセリフを言い終わるのとほぼ同時にノブは立ち上がった。
「ダメ! ハルのネガティブシンキング! どんな時も後ろ向きになっちゃダメだって! なったらそこでおしまいだぞ」
ノブの口から少し唾が飛んだ。それくらい彼は熱く、僕を叱っていた。
「でもさ、ノブは何とも思わないの⁉ 僕たちは……」
「何とも思わないわけないだろ」
そう言われて、はっとした。ノブの目には涙が滲み出ていた。
「俺だって、そりゃあ……悔しいし、悲しいよ。けど、だからって落ち込んで、沈んでいいのかよ。嫌だろ、そんなの。俺は……!」
「わかったよ、僕が悪かった。ごめん……」
ノブはいつも熱く事を語って、何の躊躇いもなく正論を吐く。ずっとそうだ。これがノブで、ノブは ― 僕の憧れだ。
列車到着のアナウンスがこだまし、程なくして新幹線がやって来た。
ノブはまだ頬に滴が残っていて、そのまま吸い込まれるように新幹線に乗っていった。僕も少し遅れて後を追うようにして乗り込み、僕ら二人の体は遠くの地へ運ばれていくことになった。
幼いころ、まだ物心なんてものはこれっぽっちも目覚めていない時から、僕はよくテレビの前に張り付いている子供だった。
そして、教育番組やアニメを垂れ流すようにして観続けた。そのなかでも僕が幼いながらに熱中して観ていたのが、日曜日の朝や水曜日の夕方に放送されていた「特撮ヒーロードラマ」だった。
普段は明るく、時々熱くなりすぎて失敗することもあるけれど、いざというときは頼りになって、決めるところは決める。悪を憎み、平和や愛、友情を愛する。特撮ヒーロードラマにおける主人公は、大体こんな性格だ。
僕はそんな主人公たちに、無償に憧れていた。
家ではいつもヒーローの真似をして、鏡の前で変身ポーズをとってみたり、ソフビ人形を使って頭の中で思い描いたストーリーに合わせて遊んだりしていた。将来の夢はもちろん正義のヒーローで、通っていた幼稚園でも好きな主人公のセリフを言って友達に聞かせていた。
ずっと、続くものだと思っていた。自分はこれからも、ヒーローに憧れ、自分も彼等のように立派な男になれる。そういった未来が待っているはずだった。
でも、成長する度に「ズレ」を感じるようになった。その「ズレ」というのは、自分が思い描いた理想と、実際に自分が生活している環境や自分自身に対してのギャップだった。
僕はヒーローとは程遠い、臆病で明るくもないキャラになっていた。自分から行動していくことに怖れを感じ、誰かの陰に隠れていた。
それを明確に意識し始めたのは小学五年生になったあたりからだ。そのくらいの時期から子供たちの社会ではカーストというものが徐々に出来上がってくる。いつも明るくて皆を引っ張る子。勉強ができる子。場の雰囲気を盛り上げるムードメーカーな子。可愛くてクラスの男子から憧れの的になるマドンナ。
僕は以上の何者でもなかった(もちろんマドンナには絶対になれっこないんだけど)。僕は陰気くさくて弱気な子。そういうポジションに落ち着いていた。
現実と理想が違うことに、早くも人生の辛さを実感した。僕はその歳になってもまだ特撮ドラマを観続けていて(なんなら
だからこそ、僕はノブが羨ましくてしょうがないのだ。
新幹線に乗っている間、ノブがうるさいので仕方なく帽子もとった。まあ、車内や室内で帽子をかぶるのは確かに変だし、マナー違反でもある。ここはノブの意見に従うしかなかった。
「うん、やっぱり良いな」
唐突に、ノブが僕の顔を見て呟いた。
「何が?」
「ハルの顔。やっぱりイケメンだよ、お前は。帽子をとったことでよりそう感じる」
「それはノブだって……というか男から『格好いい!』なんて褒められても全く嬉しくないんだけど。むしろ気持ち悪い」
「あんだと⁉ ……ま、確かにそうか」
「うん。できるなら女子から言われたい」
「ハルの顔だったら普通に女子からモテそうだと思うんだけどなあ。なんでバレンタインの義理チョコ一個もくれなかったんだろうなあの子たち。観る目なかったよなあ」
ノブはバカだ。純情で良い奴過ぎるが故に大バカだ。善意でものを言うけれど、その言葉が他人に及ぼす影響までは深く考えない。
僕がモテなかった代わりに、君がモテていたじゃないか。明るくて性格の良い君に。僕が中学三年生になってから、ノブも同じ学校に通い始めた。一年という短い間だけだったけれど、最後には皆君を好きになった。ラブとライク、両方の感情が君に集中した。対して僕は変わらず、いやより一層君という太陽が造り出す日陰に隠れていた……。
「おーい、ハル、どうした?」
「えっ」
「なんか、下向いてぼうっとしてたから」
「ああ、ごめん。なんでもないよ」
「……そっか。なら良いんだ」
ノブはほんのりと安心したように笑った。足下に降ろしていたリュックから何かを取り出そうとしてごそごそとし始める。
「何やってんの? ノブ」
「いや、さっき買ったんだけど……あ、あった」
ノブが取り出したのはアーモンドチョコの箱だった。手で揺らされる度にゴロゴロと粒が転がる音がする。
「食おうぜ。ハルも小腹空いたろ?」
「うん、そうだね……僕も食べる」
ぴりぴりと、箱を覆っていた薄いビニールが剥がされていく。ごみとなったビニールは元々はチョコが入っていたレジ袋に入れられて、その役目を終える。
スライド式になっている箱をススーと開けて、艶やかな光沢をもつ茶色い粒がその姿を現した。
「ほい。とりあえず一つ」
「ありがとう」
ノブからチョコを受け取り、次いでノブも自分の分を一つ取って口に入れた。僕も口に放り込む。アーモンドチョコなので舐めて味わうことなんてせず、すぐにカリッと心地よい音を感じながら噛み砕き、食感を楽しんだ。
「やっぱりチョコレートはアーモンドに限るよなあ。ハルもそう思うだろ?」
「うん……僕は普通の板チョコとかも好きだけど」
「あ、それは俺も好き」
「アーモンドに限るんじゃなかったの?」
「板チョコの存在忘れていたんだよ」
「……要はチョコだったらなんでも好きってことなんじゃないの、それって」
「……そうだな。前言撤回。俺はチョコが好きだ。その全てが好きだ」
自分の言ったことを噛みしめるようにして感慨深い表情を浮かべたかと思うと、二つ目のチョコを口に放り込んだ。チョコ一つで色んな顔を見せてくれるノブは、見ていて飽きない。
「そういや先週の」
ノブがそう言いかけた時だった。
車内販売の台車を押しながら新幹線パーサーのお姉さんが僕たちの席の横を通った。
一瞬、心臓がドキリと高鳴った。顔を見られないようにして下を向いた。
冷や汗が頬を伝い、心臓はバクバクと鳴り続けた。
あっという間のようで長くも感じられた時間だったが、パーサーのお姉さんは特に何も気がつかなかったようで、「いかがですかー」なんて声を乗客にかけながら通りすぎていった。
「大丈夫だよ、ハル。もう平気」
「……っはあー。良かった。死ぬかと思った」
「ほんと、ハルは気にするなあ。というか、学校には普通に通ってたじゃん。何を今さら気にしてるんだよ」
「学校や家と外は別だよ。クラスメートは僕らを受け入れてくれたけど、見知らぬ人からしたら奇怪に映るだろ?」
「うーん、そうかな……世間にも一応は認知されているわけだし。びくびくする必要はないと思うけどな」
そうかもしれないけど……。
緑茶を一回飲んで、気持ちを落ち着かせた。
「……そういえば、さっき僕に何か話しかけようとしてなかった?」
「え、ああ! そうだ。いや、先週のさ、『ガルルセイバー』面白かったよね、って話」
「ああ、確かに。なかなかに敵のトリックの暴きかたも丁寧に描いてたしね」
「ああいうのを良回っていうんだよな~。神回とまではいかないけど、程よく面白かった」
僕が観ている特撮番組を、ノブも一緒に観ていた。勧めた覚えはないけれど、いつの日か僕と同じくテレビを観るようになって、気がついたら同じものにハマっていたのだ。
先週の『ガルルセイバー』も、一緒に観ていた。母の異様な視線を背後から感じながら。
目的の駅に着き、新幹線を下車した。
ここから先はバスターミナルからバスに乗って、真の目的地を目指す。
「ハルー……まあ、しゃーないか。許す」
「ノブに許可されなくたって僕はこうするよ」
僕は再び深々と帽子をかぶって、マスクも着用した。もう車内ではないので、意識せずとも行き交う人の顔が目に入ってしまう空間へと出てきたのだ。そういった場所で自分の顔を隠さないのは自殺行為に等しい。
僕らが降りた駅は広大な盆地の中央に位置し、周りには大きな山脈が連なっていた。自然豊かなA山県に僕らは足を踏み入れた。今まで過ごしてきた東京の風景とは、何もかもが違う。
「それじゃあ、まずは乗るバスを探して……何番のバスだっけ?」
「……」
「ノブ? 聞いてる?」
僕が振り向くと、ノブはある一点を見つめていた。どうしたのかと思って彼の視線を追うようにして先にあるものを僕も見つめる。
彼の視線の先には、不安そうな顔を浮かべながらうろうろと歩いている幼い子供の姿があった。
ドクン。心臓が波打つ。
恐らく、あの子は迷子なのだろう。『何かしなきゃ』という思いが芽生えるも、僕は何もしない。何もできない。ただ、困っている人を見て、自分も困ってしまって相手と同じように不安になるだけなのだ。
電車でご老人や妊婦さんが目の前に立っていても、僕は席を譲れない。心は譲りたい思いでいっぱいなのに、体が動かない。
そうこう考えいるうちに、やっぱりそう。ノブが先に動いた。
「どうした? 大丈夫か?」
駆け寄って、目線を合わせるためにしゃがんで。優しいトーンで声をかけて。これだよ。僕がやりたかったことはこれなんだ。
でも、いつだってそれを実現していくのはノブだ。
「ママがー! ママがー!」
男の子はノブの声に安心した反動からか、盛大に泣き始めた。
「おー、よしよし。わかった。兄ちゃんと一緒に、ママ、捜そう!」
「……ほんと?」
「ほんと。だから、ほら泣くな。男がそう簡単に泣いちゃいけないって、ガルルセイバーも言ってただろ?」
「おにいちゃんガルルみてるの⁉」
「おう、観てるぜ。ガルルはいつだって俺たちのヒーローだ。だろ?」
「うん」
「そしたら、ほら。ガルルと兄ちゃんを信じてママ捜そうぜ!」
「うん! わかった!」
男の子の顔はすっかり晴れやかになっていて、ノブが僕に「おーい、ハルも一緒にこの子のママ捜してくれ」と頼んだので、僕はノブとともに男の子の母親捜しを行った。
結果的には約三分後くらいにその子の母親は見つかった。三人で駅の周りをうろついていたら向こうがこちらに気づいて声をかけてくれた。
「本当に、ありがとうございました!」
「いえいえ。お子さんが無事にお母さんと出会えて良かったですよ」
母親とノブの間でそんなやりとりが交わされる。駅の壁に掛かっている時計に目をやると、乗る予定だったバスの発車時刻に差し掛かっていた。
(こりゃ間に合うのは無理か……)
恐らく今から走って行ってもギリギリ乗れるかどうかだろう。だったらいっそのこと、諦めて次のバスに乗る方が賢明に思えてきた。
親子と別れ、バスターミナルに戻ってきた。
やはりバスは既に発車していて、次のバスを待つことになった。
「一本乗り過ごしちゃったね」
「うん? そうだな」
ノブはなんでもないように答えた。
「まあ、べつに良いべ。一つ良いことできたんだし。きっと、いつか巡りめぐって俺たちに還ってくるよ」
やっぱり、ノブは強い。全てにおいて、僕よりも。君はきっと、いつまでも僕の憧れであり続けるだろう。よくも悪くも、君は変わらない。
*****
「お、今年度の入学者一覧ですか?」
「ああ。その寮生活の申し込み者一覧だよ」
「今年も多いですね。というか、年々増えてますよね、この子たち」
「そうだな……何が、子供たちに働いているんだろうな」
「ホント、謎ですよね、これだけは」
とある施設の、とある一室。
ある男のデスク上には、一冊のファイルが置かれている。
そのファイルに収まれている一枚目の紙には、ある少年の顔写真が右上に貼り付けられ、こう記載されていた。
氏名:須藤晴信(スドウハルノブ)
年齢:十五
母体名称:ハル
片割れ名称:ノブ
発症について:十四歳にて「分離症」を発症。
寮生活申し込み者。
住所:×××××
学歴:×××××
アレルギー:なし
その他の持病:なし
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