案とアイデア
草稿とは文章の下書き。
稿とは詩や文章などの下書き。
初稿とは最初の原稿、最初の原案。
原案は、議論や検討にかけるために考案された最初の段階の案、アイデア。叩き台とも言われる。
決定案、修正案等とは対を成す。
案とは考え、下書き。
アイデアとは発想。
発想とは、物事をどのように把握するか、見解をとるか、どういう概念で理解するか、ということ。
アイデアは思い付きでもある。
ここからは実践魔術を駆使して連想から正解を求める。
想いを発して、思い付く。
想いと思いの違いは重いに。
想いは対で、思いは単。
単を対にすると一と零
対とは一と一
一が光で、零が闇。
光は反射することでそれを光と認識出来るようになる。
出て来るから出来る。
出て来る為には入って行く必要がある。
入る為には要る必要がある。
要るは西の女
西は理解の方角で女は理解を象徴。
であれば、対となるのは東の男
重いは東なら軽いは西。
男は夫
東は知恵の方角で男は知恵を象徴する。
発想、想いを発して工夫するなら上下に穴を開ける力となる。
それが功夫。
功夫とは中国の宋明学(朱子学・陽明学)で多用された用語。当時の俗語(話し言葉)で,〈時間と労力を使う〉〈手間ひまかける〉の意であるが,宋明学では,完全な人格に至るための実践,修行,勉強,努力などをすべてこの語で表現するらしい。
つまり、アイデアを得る為には時間と労力を使って手間ひまかけて完全な人格に至るための実践、修行、勉強、努力をすることで、僕が多用する実践魔術も目指すのは完全な人格である。
なぜなら、厄災は人格の欠落がもたらすものと気づいた人達が、厄災を避けるために考えたのが魔術だから。
小説とは心を説くもので、心を説く為には心が解けなくてはならない。
心とは中心で、解くのは理である。
理を解くことが理解で面白いは理解の感情
感情とは感覚が情報となったもの。感覚とは間隔であり、間隔の情報とはつまるところ時間と空間の情報で時間と空間のことを宇宙という。
ということは宇宙の情報となり、それを理という。
つまり理解の本質とは宇宙と人という対にある。
これを魔術またの名を密儀では
汝自身を知れと教えている。
汝つまり水の女とは理解で、理解を知るには火の男つまり知恵が要る。知の恵みとは体験値。
体験値とは経験値。経験とは過去にある。
知恵とは過去であり、理解とは現在にある。
センスとは感性であり感性とは感受性。
何を受け取ったと感じるか、受け取るものが感覚を心に生み出す。
答とは問と対にある。
対は終にある。
感性は完成を目指す。
つまり完と成り、元となる。
元にあるのは
神。
示し申すもの
示されることが出来事として起こりそれは問となる。
始まりは初め
アイデアの叩き台となるのは命
命を生むのは女
だから案には、女
そして数にも女。
数はカズでカズは一で
つまり一は女で
女は理解で
理解の別名を正解という。
どこまでも連想が正しく連なると想像は創造となる。
これが僕が授かった魔術の恩恵。
僕が描く小説は、心を説く為に書かれ、書かれたものは心を解いていく。
発想するのに必要なのは闇。
なぜなら隠れた知恵は光だから。
三文文士の戯言 冠梨惟人 @kannasiyuito
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