玄人が表現する闘争描写

映画やドラマのアクションには殺陣師が動きを付けるが僕はいつも殺陣師が付ける動きが気になった。感覚的に殺陣は偽物に感じられる。


僕は武から文を、文から武を研究し探求して来た。それは空間と時間の把握として認識され感覚を心象とし言語化から理解に結ぶ。理を解すると武は陰陽の変転に過ぎない。自ら身を極めて陰陽を変転させることで動く。合理的に身体を動かすと正解が形となる。


文章の正解は難しい。


物語は語り手が語ることを聞くことでそれを心象に映像とする。語る声が文字となり文字を読むことで見ることになるのは想像する機能が心にあるから。


読者の想像する力を作者はわからない。


作者は作者の想像出来る範囲で想像するものを言語化して文章に変え場面と情景を描写する。


あらゆることに言えるが結局は物事の基礎にして奥義は感性だと思う。


何を心に生み出すか、それは何を感じるかで変わる。


以下は僕が表現した闘争の描写である。


 僕は必死に命乞いをしている。

 悲鳴、怒号、嘲り、嘲笑が混ざり合い感じたことのない感情が震えながら背を這い上がって来る。


 命乞いをしている者を蛮族の刀は容赦なく切り裂いていく、自分以外の者が皆、倒れ血に塗れ、自らに刃が振り降ろされた。


 嘲笑とともに振り降ろされた刃は空を切った。


 自分で動いた感覚はなかったのに自然に倒れるように身体が前に出た時、鞘から抜き放たれた剣が目の前の男を貫いていた。


 吸い込まれるように刃が首を突き抜けると、痙攣したかのように震えた身体は、手は、止まらなかった、腰を左右に切るように動かし、左右に立つ男を手首を翻しながら切り裂くと二つの首から血が吹き出した。


 僕は微笑を浮かべながら血に煙る中で白刃を舞うように走らせ、その場に立つ者は自分だけとなっていた。


 身を守るために腰に下げていた剣が、初めて剣としての役目を果たした瞬間だった。


 僕は一人だけ生き延び、血に濡れた剣を見つめた。


言葉で動きを表現するのは難しい。しかし難しいから表現する価値があると僕は感じる。


 

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