譚の書き直し

ヨナヨナ

1-2


8月23日

 空に大きな雲が見える。菜子は狭い部屋からその1つを眺めながら、

その形を線で囲むようにした。友達に「何をしているの?」と聞かれたら、

どう言えばいいのか、素直に言葉が出ないだろうと思った。

不思議にも、誰にも構われずともこのへんてこな作業はいつでも楽しいと思えた。

頭上の建築。透明な画布がふの絵の具は白か灰。太陽。

太陽を直視し続けると目が見えなくなると言うから、

その太陽にかかる雲にも盲目にかかる毒が含まれている。

けれど、毒ではなく錯覚かもしれない。菜子は盲目ではなかった。

高い樹木からミクロ的視点によって、その足元の菌糸を見下ろす、

その葉の一枚になったのだと思った。

それで今は高い場所にある菌糸を下から見上げているだけだ。

何故か菜子は小さな窓より他に何も無い部屋にいた。

窓の外の景色はまるで静止しているけれど、

四角く区切った空にフォーカスをかけると贅沢な変化を楽しめた。

 壁に目を移す。土壁には非常用の備えが埋まっていると聞く。

コンクリートの壁には仏様が眠っている。


この壁には何が埋まっているのだろう。

壁の向こうの声は唐突に響いて、止んだ。

それがあまりにリアルに聞こえたので記憶の声かと錯覚した。

窮地きゅうちに立たされた人の発揮する桁外れの記憶力により、菜子は平凡な二人の若い男の話を聞き取っていた。

「苦痛ばかりが溜まってそのけ口が見つからないのだからね。

もし仮に、君はすでにそう思っているかもしれない、もし仮に弱い快楽か

快楽の無い自慰があるとしたら。その痒みやその鬱血やもどかしさとかに

耐えられない男がいたとする。そういう男を君は可哀想だと思わないか。

僕はそういう男が羨ましい。それを許す女が羨ましい。いいやこれは嘘だ。

不能共の恋愛を僕はわらっている。でも、その自慰は苦痛かそうでないかが分からない。」

「この建物も大分老朽化が進んでいるね。そろそろ潮目だとか。取り壊しも楽だろうね。それで、苦痛はないね。」

「君の場合を聞いてはいないよ。建物の話はさっき終わった。でも今の内容は大した内容ではない。」

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