第2話

砂漠とツンドラ


おかしい。どう考えても彼の様子がおかしい。ステップさんの死後からもう半年以上経つというのに、明らかに彼は死の直後より憔悴している。ステップさんは彼にとって恩師の一人だっただろう、大切な仲間だっただろう、それなのに彼はもうステップさんの話をしない。とにかく、異様な違和感が彼を包んでいる。見たくもないあの無理矢理の笑顔をまたするようになってしまった。肌を隠した服装をしていてよく分からないが、痩せてやつれたようにも見える。

劇場の出番を終え楽屋に戻ると、ツンドラがぼうっとどこかを見つめていた。

「なあ、ツンドラ、何かあったんでしょ?」

「……何もないって言ってるだろ」

何度聞いても答えはこうだ。変わらない。それ以上聞くな、俺に構うなとでも言いたげな目をこちらに向ける。俺は彼が悲しむ事が怖くて、彼にこれ以上嫌われる事が怖くて、彼には何も言えない。それでも。やはりおかしい。どうして誰も気づかない。どうして誰もコイツを救えない。

「服脱いで」

「………は?」

「何もないなら脱げるでしょ」

「いや意味が分からない」

「海に落とされようが熱々のおでんの汁こぼされようが人前で脱がなかったのは誰、何を隠してるの」

無理矢理腕を掴むと服を脱がそうとする。俺なんかより力があるはずの彼は必死に抵抗しているように見えるにも関わらず以前よりも力が入っていない。抗議をする彼の真剣な声に躊躇はしたが、もうどうなってもいいと彼から服を剥ぎ取った。

「やめろって………!」

そこにあったのは無数の傷と打撲痕。圧倒的な光景に思わず息を飲む。内出血の痕は様々な色に残っていて、継続的に暴力を受けているであろう事が推測できる。服で隠れるであろうところを執拗に痛めつけられたそれは、凄惨な児童虐待のニュースで見たものに酷似していた。

「…………なに、これ」

「……なんでも」

「なんでもないわけないでしょ」

顔の筋肉が引きつっているのがわかる。うまく表情を作れない。ツンドラは酷く悲しげな顔をした後ばつが悪そうに目をそらした。その間にも痛々しい傷は俺の目に入ってくる。

「なんで言ってくれなかったの」

「…俺の問題だ」

「お前俺がこんなのになってても放っておけた?」

「………」

「とりあえず病院行こ、んでその後警察にでも行こうよ」

病院、警察、という言葉を口に出した瞬間に彼の目に怯えが映る。

「 嫌だ」

先ほどまでの己への無関心さが信じられないほどに彼は怯え、何かを思い出したのか床を見ながら震えている。

「なんで」

唖然としてそう問いかけると彼は俺の腕を掴み、弱々しく縋る。

「許してくれ、頼む」

「許すもなにも……何、お前それそもそも、誰に」

まただ、また彼の目は見開かれて瞳孔に一瞬の恐怖が映る。誰に?誰にやられたんだろう。体も大きく力も強い、喧嘩しても負けないような彼がここまでされるのは何故だ。ここまでして、庇うのは、

「………なんでこうなったか言ってくれなかったら記者にリークする」

彼はしばしの逡巡のあと彼が一番尊敬するはずの人物の名を挙げた。───サバナさんが、と。








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