4.アンドロイドの城
ヒューテック・ビリンズ本社ビルは、業務時間外であるため非常灯以外の灯りは落とされて、出入口も封鎖されている。
エストレはその場所を前にして、心臓の鼓動が早くなるのを感じた。
「此処に父がいるのね」
「既に中で待っている。何だ、怖気づいたか?」
心臓の音を抑えるように、エストレは何度か深呼吸をした。傍に立つレーヴァンは、不可解な生き物でも見るような目を向ける。
エストレの頭の中には、死んだ母親の姿があった。ほんの数日前のことなのに、随分と遠い出来事のように思える。二人で暮らした家のリビングで、母親はまだ床に倒れているはずだった。娘を逃がそうとして凶弾に倒れた母親は、アンドロイドに突破された防犯システムを再起動するために壁のスイッチを探りながら、エストレに向かって告げた。
逃げなさい。
貴女が人間になれば、あの人は諦める。
だから、貴女を人間にしてくれる人を探すのよ。
それを事実上の遺言と受け止めたエストレは、今まで遊びで触っていたACUAを駆使して、シズマへと辿り着いた。ジャズバーで出会った男は、歯車の銃を持っていた。
「……ママが私をシズマに会わせた」
今までの出来事が全て母親が遺したものであることを、エストレは直感で悟っていた。理由はわからないが、母親はエストレより先にACUAを知り、そしてそれを使って様々な仕掛けをした。
エストレが生き延びれるように。そして自分で道を作れるように。
「だから、怖がる必要なんてないの」
レーヴァンが入口の傍にある装置にセキュリティコードを打ち込むと、微かな起動音と共に防犯シャッターが解除され、その奥にある自動ドアにライトが灯る。誰も近づいていないのにガラス製の扉が左右に開いて、建物の中身を曝け出した。
「どうぞ、お姫様」
エストレは何も言わずに、その中へ足を踏み入れる。
この国屈指の大企業、「ヒューテック・ビリンズ」。その本社はシブヤの一等地を大胆に使い、地上二十階という高さで存在をアピールしている。
父親の会社であるにも関わらず、エストレが此処に来たことは殆ど無かった。まだ両親が上手く行っていた頃は、母親に連れられて訪れたこともあった。だが、エストレが成長するにつれて両親の関係は悪化していき、それに従って足も遠のいた。
広いロビーには高級そうなソファーやテーブルが並び、簡単な商談スペースが作られている。受付には会社のロゴが大きく掲げられているが、そこには誰もいない。エストレはそれを見て、眉を持ち上げた。
「受付に誰もいないわ。訪問記録を残さなくても大丈夫かしら?」
「気になるなら、俺が後で代筆しよう。此処の従業員は真面目でね。定時を超えるとすぐに帰る」
「良い事だわ」
唐突に床の誘導ランプが点滅を始めた。まるでエストレの訪問を喜ぶかのように様々な色に変化しながら、床の上に道を作っていく。奥のエレベータへと導くルートを作成すると、点滅は止み、赤い光の帯となって床に刻まれた。
「あれに乗れということね」
「上に行ったことは?」
「小さい頃に何度か。父の部屋から外を見たこともあったわ」
帯の上を進み、エストレは落ち着いた口調で話す。
「アンドロイドしかいない会社だから、お手洗いがなくて随分と困ったことがあったわ。ロビーには来客用に設置されていたけどね」
「人間には面倒なことが沢山ある。風呂、食事、排泄。アンドロイドにはどれも無意味なものだ。彼らには同情する」
「……やっぱり貴方、アンドロイドなのね」
エストレは一度立ち止まり、レーヴァンを見上げた。美しいが冷たい表情で、殺し屋であるアンドロイドはエストレを見つめている。
ハンバーガーショップで、アイスローズは明らかにエストレとイオリを遠ざけようとしていた。その意図を汲んだエストレは二人から離れて、トイレで着替えを行った。だがトイレの中まで入らなかったイオリは、二人の会話がわずかにだが聞こえており、それをドア越しに伝えてくれた。
その単語は極わずかであったが、レーヴァンの正体に予測をつけるには十分だった。
「貴方の正体をアイスローズは知っていた。貴方、彼女に話したの?」
「まさか。何の意味がある?」
「だとしたら彼女は、シズマの最初の依頼である「レーヴァンのことを調べる」は遂行したことになるわ」
エストレは指を弾いて思考を切り替える。ロビーにその音は大きく響いた。
「彼女が貴方に取引を持ち掛けたのはいつかしら?」
「答える義務はない」
「恐らく、シズマが着替えを持ってくるように頼んだ時。彼女がハンバーガーショップに来た時には取引が成立していた。シズマが連絡をして彼女が現れるまで一時間。発信機や服の準備で殆どの時間は消費されていた筈だから、貴方への取引の持ちかけは……思い付きじゃない」
指をもう一度弾き、エストレは歩みを再開する。
「でも最初から裏切るつもりなら、貴方のことなんか調べないわ。彼女の目的は何?」
「金が欲しかった。そう言っていた」
「それは真実で、でも全てじゃない」
「じゃあ何だ。あの女は裏切るつもりはなかったが、裏切りをしたと? 俺にわざわざお姫様を渡して、小鳥に地団駄を踏ませ、それでも裏切りではないと?」
レーヴァンは馬鹿にしたように鼻で笑った。
「理解不能だ。あの
「……貴方はシズマより先にアイスローズに会っている。本当に彼女が裏切るつもりだったなら、私たちが帰った後、すぐに貴方に繋ぎを取ればよかった。それをしなかったのは……」
エストレは最後にもう一度指を弾いた。それは今までの中で一番力強く、鋭い音となってロビーに反響した。
「父のところに行きましょう」
「さっきから不可解な行動ばかりしているが、何かの時間稼ぎか? それとも悪あがきか?」
「どちらでもないわ」
エストレは自らエレベータの呼び出しパネルに指を伸ばす。小さい頃、何度も母親にせがんでは押させてもらったことを思い出していた。
「私はただ進むだけよ」
指先が触れたパネルが、薄暗い中で一瞬眩い光を放つ。そしてエレベータの起動音が続いた。
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