(10)
1週間の見学期間が終わり、今日から部活動が始まる。
既に数日前から授業は始まっていて、上級生と同じ時間割をこなしていた。
なので、この1週間は1年生を部室に連れて行こうと、放課後になると教室の出入り口に上級生が
だが、もうその人集りはいない。
いた時はなんとも思わなかったが、いないならいないでなんとなく寂しい。不思議だ。まるで販売を中止してしまうお菓子のようだ。
てっきり
何故なのか気になって、放課後、帰り際に昇降口で手島に訊いてみた。
「手島、結局どこにも見学行かなかったけど、いいの?」
すると、手島は振り返ってばつが悪そうに頬を掻くと、苦笑いした。
「いや、どっか他の部活見に行くと、そこに入りたくなるかもしれへんやんか」
自虐的なその笑みは、苦々しくも見えた。ひょっとしたら手島も俺と同じく意志が弱い方なのかも、と思った。
後ろでは、華道部が最後の見学会のお知らせをしながら歩いて行った。
「でも、マジで陸上部入りたいって思ったから、大丈夫やと思うけど」
手島はそれを横目で見送ると、今度は明るい声で笑いながら「一応な」と付け足した。
そして、結局俺も手島も、他の部活の見学に行かなかった。
見学期間が終わる日、つまり今日は、部活ごとにミーティングが行われることになっている。新入生と上級生が公に初対面し、今後の活動予定や新入生にやってもらう手続きに関して連絡されるらしい。
俺は、陸上部に入部した。
散々悩んだのだが、大学や企業の面接で「ずっと陸上を続けていました」と言うと受けが良いのではないかという邪な考えが出てきて、その誘惑に負けてしまった。
結局、俺の決意なんて悪魔のささやき程度で崩れてしまう、砂はおろか埃のような城なのだ。
ここまで来たら心中だ。腐れ縁も、縁の一種だと割り切った。
陸上部のミーティングが行われるのは、第1演習室。
前に一度、教科書販売の時に入ったことがあるが、結構広い部屋だ。
部屋割りは部員数によって割り振られるらしいが、この部屋を充てられるということは中々人数が多いのだろうか。
演習室に入ると、そこそこ席が埋まっていた。
ざっと見回すと、列で学年が分かれている。特に決まっているわけではなさそうだが、なんとなく同じ学年で固まっているのだろう。1年生は一番廊下側の列だ。
その列の空いているところに、手島と並んで適当に座る。
ぱっと見、1年生が男女合わせて20人ほど、上級生が40人くらいか。
それにしても、見たことない人ばかりだ。
いや、ちらほら見覚えのある人が座っている。真ん中の列、一番前にドカンと座っているのが伊村部長だ。改めて近くで見てみると、顔も体格もゴツい。特に腕の筋肉が鍛え上げられていて、端的に言うと握力エグそう。筋骨隆々という感じだ。
そして後ろの方では
1年生はみんな、不安そうな表情で座っている。その前で1年生の数を数えている、髪を七三で分けている真面目そうな先輩は、確か前川先輩だ。
「うん、1年生は全員揃っとるな。隼人、始めてええんちゃう?」
前川先輩がそう声をかけると、伊村部長は「そうか」と呟いて立ち上がり、前の教卓に移動した。前川先輩がその隣に並んで立つ。
「初めまして1年生諸君!四日市東高校陸上競技部へようこそ!俺は部長の
「
伊村部長の声は太くて通るのだが、それに加えて声量がでかい。久しぶりに自分の鼓膜がキャパオーバーするのを感じる。隣をチラッと見ると、手島も少し顔を顰めていた。
ヨンパーと言うのは、400mハードルの略称だ。語感の問題でヨンハーじゃなくてヨンパーなのだろうが、確証はない。5000は5000mの事なので分かると思うが、ヨンパーという呼び方は未経験者には分からないと思うので、後で手島に教えないと。
伊村部長がニコッと笑い、前川先輩が一礼すると、今度は前川先輩が喋り始めた。
「1年生のみんな、陸上部に入部してくれてありがとう。うちの部は強豪と言うわけではないけれど、弱くはない中堅校だと僕は思います。東海大会まで進んだ先輩も、昔は何人かいました。なので、楽しく真面目に部活動が出来ると思っています」
「見学期間がなかったから、詳しいこと言えへんかったからな!アッハッハッハ!」
伊村部長が横から口を挟んで、豪快に笑う。いや見学期間なかったの誰の
前川先輩はあまり気にしていないのか、表情を崩さずに続けた。
「それで今日から部活やけど、まず部門分けです。未経験の人も、なんとなく自分が短距離か長距離かは決まっとるとは思います。もし迷っとる人がおったら、後で僕か伊村に声かけて欲しいです。あと今回は跳躍と
俺はこっちに手を挙げる。長距離に転向しようにも、俺は壊滅的に持久力がないので不可能だ。200m以上は、走っていて拷問だとしか思わない。
手島もこちらに手を挙げる。そういえば手島と専門種目の話はしなかったが、短距離志望だったとは。知り合いが一緒で
周りを見回すと、体感6割くらいが手を挙げている。俺たちの少し後ろで美那もピンと挙手していた。
前川はふむ、と頷くと、少し頬を緩める。機械ではないので当たり前だが、表情があって良かったと謎の安堵をした。
「いっぱいおって良かった。じゃあ、残りは残りは長距離とマネさんやな」
「マネさん?サディオ・マネのこと?」
手島が、ん?と首を傾げる。なんでこいつはリヴァプールのサッカー選手がここにいると思っているのだろう。
「違う違う、マネージャーのこと」
俺が小声でそう訂正すると、手島は「あぁそっちか」と苦笑いして、手のひらをこちらに向けてグーをしてから親指と小指を立てた。なんでハワイ式ありがとうやねん、ツッコミどころ多すぎるだろ。
「まぁ、今挙げやんかった人は長距離やとして、マネさん希望の人いますか?」
前川先輩がそう問いかけると、おそるおそる2人、手を挙げる。
その2人とも女子で、先輩、特に男子からは歓声が上がった。
「今、マネージャーが1人しかおらへんからホンマ助かるわ。よろしく頼むな」
伊村部長がそう言ってニカッと笑うと、手を挙げた2人がペコッと頭を下げた。勝手な第一印象だが、両方大人しめな人だ。キツそうな人じゃなくて良かったと、密かに胸をなで下ろす。
「じゃあ、細かい種目とかは追々決めてくとして、今日はアナウンスせなあかんことがあります。去年度まで顧問やった
新しい顧問というのは、確かリレー事件の時に一緒に謝ってくれたと椎田先輩が言っていた、あの先生のことだろうか。新任早々、問題を起こした部の顧問になるとは災難だったろう。責任はないに等しいにしろ、教頭から厳しくお灸を据えられたはずだ。
心の中で勝手に哀れんでいると、演習室の戸がガラガラと開かれた。
「すみません、職員会議が、長引いてしまいまして」
息も絶え絶えに、先生が部屋に入ってくる。その女性は、見覚えがありすぎてなお有り余る人だった。手島は唖然とした表情で口をポカンと開けていた。多分俺も似たような表情をしていることだろう。鏡がないから分からないけれど。
伊村、前川先輩が少し横にずれると、先生が教卓に立って深呼吸し、息を整え、ニコリと笑って自己紹介を始めた。
「皆さん、初めまして。今年からこの学校で教鞭を取らせて頂くことになりました、
そう言うと、我らが担任の久利先生は深々と頭を下げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます